
1. 歌詞の概要
「Can’t Hardly Wait」は、The Replacementsが1987年にリリースしたアルバム『Pleased to Meet Me』のラストを飾る楽曲であり、彼らのキャリアの中でも最も洗練され、なおかつ感情的に成熟した一曲である。
この曲は、移動のなかで抱える苛立ちと期待、愛と喪失、自由と自己嫌悪といった、相反する感情がせめぎ合う“ロード・ソング”である。タイトルの「Can’t Hardly Wait(待ちきれない)」は、文法的には二重否定だが、ポール・ウェスターバーグの言語感覚では“いてもたってもいられないほど、何かを待ち望んでいる”という、焦燥と希望の入り混じった感情を端的に表現している。
しかし、何をそんなに待っているのか、それははっきりとは語られない。それが帰郷なのか、愛なのか、救いなのか、あるいはただ「どこでもいいから違う場所」への希求なのか——その“曖昧な衝動”こそがこの曲の核であり、普遍性である。
2. 歌詞のバックグラウンド
「Can’t Hardly Wait」は、実はアルバム『Tim』(1985年)時点ですでに原型ができていた楽曲であり、当初はラフなギター主導のデモが存在していた。しかし、ポール・ウェスターバーグはこの曲に対して強いこだわりを持っており、アレンジに何年もかけて完成を目指した。その結果、1987年の『Pleased to Meet Me』では、ホーン・セクション、アコースティック・ギター、ストリングス的なキーボードまで導入された、The Replacementsとしては異例とも言える“壮大な”音作りがなされている。
録音はメンフィスで行われ、プロデューサーはジム・ディキンソン。ここでのウェスターバーグは、かつての酔いどれパンク詩人ではなく、旅の果てに立ち尽くす孤独な作家のような佇まいを見せている。バンドのなかで唯一“夢”を見続けた人間の、ほろ苦くもあたたかいラストメッセージ。それがこの曲に刻まれている。
3. 歌詞の抜粋と和訳
以下に、印象的な歌詞の一部を抜粋し、日本語訳を添えて紹介する。全歌詞はこちら(Genius Lyrics)を参照。
I’ll write you a letter tomorrow
Tonight I can’t hold a pen
明日、君に手紙を書くよ
今夜は、ペンすら持てないけれど
この冒頭からすでに、感情の不安定さと時間感覚の揺らぎが表現されている。何かを伝えたいという想いと、それがどうしても形にできないという焦り。ここにウェスターバーグの詩人としての本領が現れる。
I’ll be home when I’m sleeping
I can’t hardly wait
眠っているときだけ、僕は“家に帰れる”
待ちきれないほど、それが恋しい
このフレーズは、物理的な帰郷ではなく、心の中の“拠り所”を夢に見るような、切ない幻想を含んでいる。ツアーの移動、街から街へと移動し続ける孤独な生活のなかで、“居場所”がどんどん抽象化されていく様が伝わってくる。
I can’t wait to see you
I can’t wait to say
How much I blame you
When I get home, I’ll stay
君に会いたくてたまらない
そして言いたいんだ
君のせいだって
帰ったら、今度こそずっといるよ
愛と怒り、優しさと毒。ウェスターバーグらしい相反する感情が複雑に絡み合い、単なる“再会”の歌ではないことを明示している。
4. 歌詞の考察
「Can’t Hardly Wait」は、The Replacementsというバンドの終着点を象徴する楽曲のひとつである。パンク的な初期衝動は残しつつも、音楽的にはより広く、より豊かに、そして何より“痛み”を優しく包み込むようになっている。
この曲に描かれている“待ちきれない”という感情は、ただの希望ではない。それは、過去の失敗や後悔、言いそびれた言葉、叶わなかった夢といったものに対する、せめてもの再起の願いである。しかもそれは確実な未来ではなく、“そうあってほしい”という想像にすぎない——だからこそ、この曲は“哀しくて美しい”。
また、冒頭にある「ペンすら持てない」という表現に象徴されるように、ここでは“表現すること”自体が苦しみとして描かれている。これは、自己表現を生業としながらも、常にその重さに押し潰されそうになっていたウェスターバーグの姿とも重なる。
この曲が放つ最後の光は、“明日書くよ”という未完の約束にある。それは、今この瞬間には届かないかもしれないが、それでも伝えたいという想いが確かにあること。そしてその想いだけが、僕たちを次の場所へと運んでくれる。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Here Comes a Regular by The Replacements
酒場に生きる男たちの哀しみを描いた、孤独と温もりの名曲。 - Thirteen by Big Star
若さと恋の無垢な瞬間を、シンプルに綴ったアレックス・チルトンの詩情。 - Between the Bars by Elliott Smith
自己破壊と優しさの境界をなぞる、深い夜のバラード。 - No Name #5 by Elliott Smith
絶望と自己否定のなかに、それでも残る希望のきらめき。 - Box Full of Letters by Wilco
誰かに言いたかったことを、“言えなかったまま”音に託す90年代の哀歌。
6. 書けなかった手紙に、音楽で印をつけるように
「Can’t Hardly Wait」は、ロックバンドの音楽としては珍しく、静かなエンディングを選んだ。その終わり方には、諦めでも満足でもなく、「これから先も続いていく」という未完の感情が宿っている。
The Replacementsにとって、そして多くのリスナーにとって、この曲は“もう戻れない場所”と“まだたどり着けない場所”のあいだに立っている。だからこそ、その不完全な響きが心に残る。そして不思議なことに、それが“旅を続ける力”にもなっていくのだ。
本当に言いたかったことは、たぶん書かれていない。でも、その“書けなさ”すら含めて、この曲は誰かのためのラブソングになっている。音楽とはそういうものなのだ。言葉にできなかったことを、音で抱きしめる——それが「Can’t Hardly Wait」の持つ静かな魔法なのである。
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