発売日: 1986年3月24日
ジャンル: ポストパンク、オルタナティブ・カントリー、ドリームポップ、オーストラリアン・ロック
『Born Sandy Devotional』は、The Triffidsが1986年に発表した2作目のフルアルバムであり、
オーストラリアのインディーロック史における金字塔として語り継がれる傑作である。
前作『Treeless Plain』で提示された“音の荒野”は、ここでより詩的に、より壮大に、より感傷的に結晶化しており、
フロントマンであるデヴィッド・マッカンビーの詩人としての資質と、バンド全体のアレンジ能力が最高潮に達した瞬間が刻まれている。
タイトルには“信仰的な砂の祈り”とも訳せるような、宗教的で象徴的な響きがあり、
楽曲の多くは孤独、別離、記憶、風景のなかの愛の残響といったテーマに貫かれている。
その音楽はオーストラリアの乾いた大地を連想させながらも、どこかイギリスのポストパンク/ドリームポップにも通じる湿度と憂いを漂わせる。
まさに、土地と感情のあいだに存在する“第三の場所”を音にした作品なのである。
全曲レビュー
1. The Seabirds
海岸の風景を背景に、恋人の失踪と残された者の痛みを描くバラード。
サウンドは重厚だが抑制的で、あたかも海そのものが感情を語っているかのよう。
最初から本作の“深度”を提示する名曲。
2. Estuary Bed
エスチュアリー(河口域)の湿った空気を感じさせる、ややアップテンポの曲。
愛と逃避行の記憶が、ざらついたギターと波のようなコーラスに重ねられている。
3. Chicken Killer
本作中でも異質なアグレッシブ・トラック。
タイトル通り暴力性を孕んだリリックが不穏なリズムとともに展開し、
オーストラリアの“裏社会のフォークロア”のような空気を帯びる。
4. Tarrilup Bridge
橋を舞台にした幻影的なラブソング。
亡霊のようなピアノ、浮遊する女性コーラス(ジル・バーツ)、そして抑えられたリズムが、
“通過する記憶”を具現化する。
5. Lonely Stretch
ロードソングの形式をとりながらも、明確な行き先を持たない旅の曲。
ギターのリフが延々と続き、タイトル通り“果てしない孤独の直線”を走っているような感覚を与える。
6. Wide Open Road
バンドの代表曲にして、世界的にも知られる名曲。
“大きく開かれた道”という希望的な言葉の裏に潜む、喪失と距離の物語。
マッカンビーの歌声が乾いた大地を切り裂くように響き、
風景と感情が完璧に同期した瞬間がここにある。
7. Life of Crime
“犯罪者の人生”をテーマにした寓話的ロック・ナンバー。
逃避と退廃、そして儚いロマンスが混ざり合い、
都会と荒野の間を行き交うような不安定なテンションが魅力。
8. Personal Things
最も内省的でミニマルなトラックのひとつ。
リリックはきわめて個人的で、まるで日記の断片を読み上げるかのよう。
アルバムの中盤にふさわしい静かな呼吸の場。
9. Stolen Property
『Treeless Plain』からの再録。
原曲よりもアレンジが洗練され、感情の“余白”がより際立つ。
“盗まれた所有物”とは、愛か時間か、あるいは自分自身か。
10. Tender Is the Night (The Long Fidelity)
F・スコット・フィッツジェラルドの小説からタイトルを取ったアルバムのラスト曲。
“夜は優しく”と歌われながら、その優しさには痛みと諦念、そして永遠への希求が込められている。
長いフェイドアウトが、まるで風景そのものが遠ざかるかのような印象を残す。
総評
『Born Sandy Devotional』は、音楽という手段を通じて“風景と記憶と感情”を地層のように重ねた、詩的で映像的な作品である。
The Triffidsは、このアルバムにおいてカントリーやフォーク、ポストパンク、ドリームポップといったジャンルを超えて、
“地理的なルーツと内面的な喪失”を音で接続する唯一無二の言語を創り上げた。
『Wide Open Road』のようなヒットを持ちながらも、商業的には大きく成功したとは言い難いが、
本作は後のNick CaveやTindersticks、Dirty Threeといったアーティストたちに**“情緒と空間の音楽”という系譜を残した記念碑的作品**である。
乾いた風、遠くの地平線、取り戻せない誰かの名前──
それらが、まるで夢のように波打つ音のなかに封じ込められている。
おすすめアルバム
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The Go-Betweens / 16 Lovers Lane
オーストラリア発の詩的ポップのもう一つの到達点。 -
Nick Cave and the Bad Seeds / The Good Son
荒野と宗教、喪失と祈りが交差する静かな名作。 -
The Blue Nile / A Walk Across the Rooftops
感情と都市の夜が織りなすポストポップの極北。 -
Talk Talk / Spirit of Eden
音と余白の関係性を極めたサウンド・ミニマリズムの傑作。 -
David Sylvian / Secrets of the Beehive
深い静寂と詩性に満ちた1980年代後期の孤高のソロ作品。
特筆すべき事項
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アルバム・ジャケットには、西オーストラリア州ジェラルトンのビーチの空撮写真が使用されており、
実際の風景とサウンドスケープの強い連関が意識されている。 -
『Wide Open Road』は英国インディー・チャートで上位を記録し、
The Triffidsにとって国際的な評価を決定づけた曲となった。 - 本作はオーストラリア音楽誌『Rolling Stone Australia』などでたびたび**「オーストラリア史上最高のアルバムのひとつ」**に選出されている。
- フロントマンのデヴィッド・マッカンビーは詩人としての評価も高く、このアルバムの歌詞は単独で詩集のようにも読まれている。
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