発売日: 1970年4月20日
ジャンル: プログレッシブ・ロック、フォークロック、ハードロック
“恩恵”の裏側に潜む影——孤独と変容を抱えた、Tull流ダーク・フォークの原点
『Benefit』は、Jethro Tullにとって3作目のスタジオ・アルバムであり、
前作『Stand Up』で確立された独自の音楽スタイルが、より内省的かつ重厚に深化した重要作である。
この作品から、ジョン・エヴァン(鍵盤)が正式加入。
オルガンやピアノが音の厚みを加えたことで、
Tullの音楽はさらにプログレッシブな色合いを強め、
陰影に富んだ“ダーク・フォーク・ロック”の領域へと踏み込んでいく。
テーマは、ツアー生活の孤独、音楽業界への幻滅、時間や存在への哲学的問いなど、
一見日常的でありながら、根深い人間存在へのまなざしを感じさせる。
全体的に寂しさや疲労感が漂っており、
これはTullの“メランコリック期”の幕開けと言えるかもしれない。
全曲レビュー
1. With You There to Help Me
開幕から幻想的なフルートとエフェクトを駆使したギターが交錯する、
夢と覚醒のあわいにあるようなサウンドスケープ。
孤独な語りから、エモーショナルなサビへと展開していく構成が秀逸。
2. Nothing to Say
Tull版“シニシズムのブルース”。
言葉に意味がなくなる瞬間の虚無感を、ずしりと重いリフとともに描く。
イアン・アンダーソンの語るような歌い方が光る。
3. Alive and Well and Living In
短めながら、バンドのリズム感とユーモアが垣間見えるフォーク・ロック。
“生きてるけど、なんとなく死んでるような毎日”という感覚を、皮肉まじりに表現した小曲。
4. Son
家族や父親への反発を描いた、アンダーソンには珍しいほど直接的な歌詞が印象的。
ギターとフルートが激しくぶつかるアレンジも、内面の葛藤を音で可視化したかのよう。
5. For Michael Collins, Jeffrey and Me
アポロ11号の飛行士マイケル・コリンズと、Tullの“ジェフリー”を並列に語る不思議な構成。
宇宙と地上、孤独と友情という対比が美しく交錯するフォーク・バラード。
6. To Cry You a Song
ヘヴィなリフが支配する、本作随一のハードロック・トラック。
歌詞は切実でありながら、音はどこか突き放すような冷たさも。
フルートは抑えめで、ギターの主張が前面に出ている。
7. A Time for Everything?
一見ポップだが、どこか捻れた感覚がある中編フォークロック。
“すべてに時がある”という聖書的な言葉を逆手に取ったような、諦念と達観が入り混じる。
8. Inside
珍しくストリングスが入る、美しくも儚いメロディの楽曲。
ツアー中の孤独や疲れを綴った歌詞が、“部屋の中”というメタファーに込められている。
9. Play in Time
ミニマルでサイケデリックなフルート、逆回転テープエフェクトなど、
Tullにおける“音響実験”のはじまりが感じられる攻めたトラック。
時間と記憶が溶け合うような不思議な感触。
10. Sossity; You’re a Woman
荘厳なギター・アルペジオとフルートが絡み合う、アルバムを締めくくるにふさわしい格調高いフォーク・バラード。
“Sossity”という女性像は、文明や社会のメタファーとも解釈される。
終始漂う憂鬱と優雅さが、Tullの“芸術性”の始まりを告げる。
総評
『Benefit』は、Jethro Tullがブルースやフォークという地表から、音と思想の“地下世界”へ潜り始めた瞬間を記録したアルバムである。
音は厚く、テーマは重く、雰囲気は深い。
そして何より、ここにはアンダーソンの孤独な視線と、バンドの密度ある演奏が見事に融合している。
Tullにとってこのアルバムは、
次作『Aqualung』という“芸術と批評の金字塔”に至る前夜であり、
同時にリスナーを“陽光のロック”から“陰翳の詩学”へと誘う、分岐点となる作品である。
おすすめアルバム
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Genesis – Trespass
同じく1970年発の英国プログレ初期作。内省と幻想の共存。 -
King Crimson – In the Wake of Poseidon
構築美と哀愁が共鳴。Tullの静謐さと親和性が高い。 -
Nick Drake – Bryter Layter
アコースティックの繊細さと孤独感。『Benefit』の静の側面と響き合う。 -
Procol Harum – Home
ブルースとクラシックの融合。Tullの重厚さに通じる空気。 -
Jethro Tull – Aqualung
本作の発展系にして代表作。ここで撒かれた種が開花する。
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