1. 歌詞の概要
「Bellyache」は、Echobellyが1994年に発表したデビュー・アルバム『Everyone’s Got One』に収録された楽曲であり、バンドの存在を強く印象づけた初期代表作のひとつである。
その衝撃的とも言える内容は、中絶を経験した女性の心の痛みと自己肯定の試みにフォーカスした、極めてパーソナルかつ政治的な一曲である。
タイトルの“Bellyache（腹痛）”は、そのまま身体的な痛みを表す言葉であると同時に、女性の身体性、罪悪感、内面の葛藤、そして社会が押しつける道徳観との衝突を象徴している。
この曲において語られる「痛み」は、単なる身体的な苦しみではなく、もっと深く、見えにくく、言葉にならない種類の痛みだ。
語り手は、決して被害者として語られてはいない。
むしろ彼女は、自分自身の選択とその代償に向き合いながらも、“誰にも自分の人生を決めさせない”という芯の強さを失わない。
そのメッセージは、ポップなギター・ロックの裏側に、しなやかで鋭利な刃のように隠されている。
2. 歌詞のバックグラウンド
「Bellyache」が登場した1994年という年は、ブリットポップの胎動期にあたり、Echobellyもまた“女性ボーカルを擁する新鋭バンド”として注目され始めていた。
だが、他のバンドとは一線を画していたのが、ソニア・オーラ―のリリックの鋭さと社会性だった。
当時、英国社会において中絶は合法であったが、その道徳的・宗教的な議論は根強く残っており、女性の選択をめぐる議論は今よりもずっとセンシティブだった。
そんな中で、「Bellyache」は中絶を“告白”としてではなく、“経験の一部”として語ることによって、女性が語る権利そのものを主張した稀有なロックソングだった。
この曲がリリースされた直後、多くのメディアがその歌詞の内容に驚き、Echobellyは“政治的”とも“挑発的”とも評されたが、ソニア本人は「これはただの現実。私自身のこと」と語っている。
その姿勢は、ブリットポップの華やかさとは対照的に、内面と現実を見つめる“もうひとつの90年代”の姿を鮮やかに浮かび上がらせた。
3. 歌詞の抜粋と和訳
You say it’s love but you left me with a bellyache
愛だって言ってたけど、残ったのはこの腹の痛みだけ
この一行に、楽曲の核心が凝縮されている。
「愛」と「痛み」が並置されることで、関係の中で女性が背負わされる感情的・身体的負担が鋭く描かれる。
And I’m not ashamed, no, I don’t feel ashamed
恥じてなんかいない、全然恥ずかしいなんて思ってない
ここにあるのは、選択に対する誇りと、自分自身を肯定する声。
社会や他人がどう思おうと、自分の経験は自分のものであるという強い主張だ。
I had to rid myself of you
あなたを、私の中から消さなければならなかったの
この行は極めて直接的でありながら、感情と身体が交錯する複雑な痛みを内包している。
中絶というテーマに対して、“正しさ”や“罪”ではなく、“解放”として語られる数少ない表現のひとつだ。
※歌詞引用元：Genius – Bellyache Lyrics
4. 歌詞の考察
「Bellyache」は、女性の身体的・心理的選択が、いかに社会によって過剰に規定されているかを突きつける、静かな闘争の歌である。
語り手は、自分の選択に対して罪悪感を抱くことなく、正当化することもなく、ただ「これは私の現実」と語っている。
そのスタンスこそが、この楽曲を一種のフェミニズム・アンセムへと昇華させている。
また、「痛み（bellyache）」という感覚的な言葉にあえて焦点を当てることで、知的に語られがちな中絶の議論に、身体のリアルを持ち込んでいる点も重要である。
痛みは、一時的で、個人的で、不可視であるがゆえに、社会はしばしばそれを軽んじる。
だがこの曲は、「この痛みは確かにここにある」と歌うことによって、身体の声を社会に突きつける詩的なマニフェストとなっている。
そして何より、この曲は“哀しみ”だけでは終わらない。
語り手は苦しみながらも、確実に“選択した側”であり、“未来へと進んでいく者”である。
それが、「痛み」と「力強さ」が同時に宿る、この曲の真の魅力なのだ。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Me and a Gun by Tori Amos
女性の声で語られる性暴力の経験を、静かながらも圧倒的な力で伝える名作。 - He’s a Keeper by Beth Orton
複雑な関係と女性の選択を、ささやくようなボーカルで深く描いた一曲。 - Glory Box by Portishead
女性の役割や愛のあり方に対する違和感を、官能と絶望で包み込む。 - Luka by Suzanne Vega
家庭内暴力を受ける子どもの視点を通じて、見えない痛みを歌にした社会的バラッド。 - Not a Pretty Girl by Ani DiFranco
「可愛らしさ」に期待される女性像を拒否する、鋭いフェミニズムの主張。
6. “声にならない痛み”を歌うということ
「Bellyache」は、ポップミュージックの領域では極めて稀な、女性の中絶経験を正面から扱った楽曲でありながら、その語り口には告発ではなく、沈黙の中にある“私はここにいる”という存在の証明が込められている。
ソニア・オーラ―の歌声は、怒りでも涙でもなく、むしろ静かで凛としている。
その静けさの中にこそ、この社会で語られることの少ない“女性のリアル”が潜んでいる。
彼女は誰かの代弁者ではない。
ただ自分の物語を、自分の言葉で、自分の声で語った。
それだけで、この曲は数多くの女性にとって、「自分にも声がある」と気づかせる原点となった。
「Bellyache」は、忘れてはいけない曲である。
痛みを隠さず、声に出してもいいということ。
選択は、誰かの理解がなくても、肯定されるべきだということ。
そのすべてを、たった3分少々の中に刻み込んだ、しなやかで強靭なメッセージソングなのだ。
コメント