
1. 歌詞の概要
Bela Lugosi’s Deadは、イングランドのポストパンクバンドBauhausが1979年に発表したデビューシングルである。1979年8月にSmall Wonder Recordsからリリースされ、録音は同年1月26日、WellingboroughのBeck Studiosで行われた。作詞作曲はBauhausのメンバーであるPeter Murphy、Daniel Ash、David J、Kevin Haskins。演奏時間は約9分半に及ぶ。ウィキペディア
この曲は、ゴシックロックの起点、あるいはその象徴的な誕生の瞬間として語られることが多い。実際、Bela Lugosi’s Deadは後年になって、最初期のゴシックロック・レコード、あるいはゴス文化の決定的な出発点として位置づけられてきた。
だが、この曲を単にゴスの元祖と呼んで片づけるのは、少しもったいない。
Bela Lugosi’s Deadは、ロックソングというより、ひとつの儀式である。
曲が始まってすぐに歌は出てこない。ドラムの乾いたリムショット、ダブの影響を感じさせる空間的なベース、遠くで軋むようなギター。音は多くない。しかし、その少なさが不気味な余白を作る。
まるで、誰もいない地下室に入った瞬間のようだ。
壁は冷たい。
天井は高い。
どこかで水が落ちる音がする。
まだ何も起きていないのに、もう何かがいる。
そこへPeter Murphyの声が入る。
彼は歌うというより、宣告する。タイトルそのものがそうだ。Bela Lugosi’s dead。Bela Lugosiは死んだ。ヴァンパイア映画の象徴であり、1931年の映画Draculaで伯爵を演じた俳優Bela Lugosi。その名前を、Bauhausは死の言葉と結びつける。Lugosi自身は1956年に亡くなっているが、この曲では彼の死が、ひとつの文化的な亡霊としてよみがえる。ウィキペディア
歌詞は、物語を詳しく語らない。
そこにあるのは、黒いマント、鐘楼を去った蝙蝠、血を抜かれた犠牲者、赤いビロード、黒い箱、墓を通り過ぎる花嫁たち。ホラー映画や吸血鬼伝説の断片が、霧の中に浮かぶように並ぶ。
この曲では、Bela Lugosiは本当に死んでいるのかもしれない。
だが同時に、死んでいないのかもしれない。
何度も繰り返されるundeadという言葉が、その曖昧さを作る。死んでいる。けれど死んでいない。消えたはずなのに、まだ文化の中で生きている。吸血鬼という存在そのもののように、Lugosiは墓の中から何度でも戻ってくる。
Bela Lugosi’s Deadは、俳優Bela Lugosiへの単純な追悼ではない。
むしろ、古いホラー映画、白黒の吸血鬼、演劇的な死、そしてポップカルチャーの中で死者が永遠に生き続けることへの、暗く美しいオマージュである。
この曲のすごさは、音楽が歌詞の意味を説明しないところにある。
ドラムは淡々と打たれる。
ベースは冷たく揺れる。
ギターは隙間から煙のように現れる。
声は闇の奥からゆっくり近づく。
すべてが、Bela Lugosiの死を語るための舞台装置になる。
そして聴き手は、曲を聴くというより、その場所に連れていかれる。
そこはライブハウスでもあり、墓地でもあり、古い映画館でもあり、教会の廃墟でもある。Bela Lugosi’s Deadは、ゴシックロックがサウンドだけでなく、空間、衣装、影、身体の動き、視線まで含む文化であることを、最初から示していた曲なのだ。
2. 歌詞のバックグラウンド
Bela Lugosi’s Deadは、Bauhausの最初のシングルとして発表された。
Bauhausは、Peter Murphy、Daniel Ash、David J、Kevin Haskinsによって結成された。彼らがこの曲を録音したのは1979年1月26日。デビューシングルとして世に出たのは同年8月で、Small Wonder Recordsから12インチシングルとしてリリースされた。B面にはBoysが収録されている。
驚くべきことに、この曲は彼らのデビューシングルでありながら、すでに完成された異様な世界を持っていた。
普通、デビューシングルには自己紹介の勢いがある。短く、鋭く、バンドの名刺になるような曲が多い。だがBauhausは違った。約9分半の、歌が始まるまでに数分かかる、暗く長い呪文のような曲を最初に出した。
この大胆さが、Bauhausの特殊さである。
Bela Lugosi’s Deadは、当初からメインストリームのチャートを狙うような曲ではなかった。実際、ポップチャートでは大きな成功を収めなかったが、UKインディーチャートでは長く存在感を持ち続けたとされる。Leaving RecordsとStones ThrowによるThe Bela Sessionの紹介でも、この曲はポップチャートには入らなかったものの、UKインディーシングルチャートで長く残り、ゴス文化とポップカルチャーに大きな影響を与えたと説明されている。Stones Throw Records
この曲が生まれた1979年という時代も重要である。
パンクの爆発が一段落し、ポストパンクがその瓦礫の中から新しい形を探していた時期だ。勢いだけの3コードパンクから離れ、より暗く、実験的で、空間的な音楽が出てきた。Joy Division、Siouxsie and the Banshees、Public Image Ltd、The Cure、そしてBauhaus。彼らはパンクのエネルギーを受け継ぎながら、内向きの不安、都市の影、ダブやファンク、アートロックの影響を取り込んでいった。
Bela Lugosi’s Deadも、そのポストパンクの流れの中にある。
ただし、Bauhausはそこにホラー映画の演劇性を加えた。
Bela Lugosiという名前は、単なる俳優名ではない。1931年のDraculaで彼が作り上げた吸血鬼のイメージは、その後のホラー文化に深く刻まれた。黒いマント、白い顔、ゆっくりした動き、妖しい視線。Bauhausはそのイメージを、1970年代末のポストパンクの冷たい音に接続した。
ここで生まれたのが、ゴシックロックの空気である。
暗いだけではない。
演劇的である。
不気味である。
美しくもある。
死や吸血鬼のイメージを、真面目さと皮肉の境目で扱う。
このバランスが、Bela Lugosi’s Deadの魅力だ。
曲のジャケットにも、その美学は表れている。シングルのスリーブには、D. W. Griffith監督の1926年のサイレント映画The Sorrows of Satanからのスチルが使われたとされる。
つまり、音だけでなく、視覚的にもこの曲は古い映画、サイレント時代の悪魔性、モノクロームの怪奇趣味と結びついていた。
Bauhausは、ロックバンドでありながら、最初から映像的だった。
この曲が後年、映画The Hungerの冒頭で使われたことも象徴的である。Tony Scott監督の1983年の吸血鬼映画The Hungerでは、BauhausがクラブでBela Lugosi’s Deadを演奏する場面があり、Peter Murphyが金網の向こうで歌う姿が強烈な印象を残した。この場面は、Bauhausとゴス文化を結びつける視覚的な記憶として、非常に大きな意味を持つ。
Bela Lugosi’s Deadは、音楽でありながら、すでに映画のようだった。
そして映画に登場したことで、さらに神話化された。
また、PitchforkはThe Bela Sessionのレビューで、この曲をBauhausの最も象徴的な曲とし、ゴスというジャンルに大きな影響を与えたと説明している。さらに、初期スタジオセッションで録音されたオリジナルの約10分のトラックには、ダブの影響を受けた明瞭なアレンジと、独特の音響空間があると評している。Pitchfork
このダブの影響は非常に重要だ。
Bela Lugosi’s Deadは、ただ暗いロックではない。空間の音楽である。音と音の間に深い隙間があり、ベースとドラムが空洞を支える。ギターはその中で断片的に響き、ヴォーカルは反響する。レゲエやダブから来る空間処理の感覚が、ゴシックなホラーの空気と結びついている。
だから、この曲は速くないのに、緊張感がある。
音数が少ないのに、濃い。
長いのに、時間が止まったように感じる。
Bela Lugosi’s Deadの本当の革新性は、暗さそのものではなく、暗さの空間を作ったことにある。
3. 歌詞の抜粋と和訳
歌詞全文は権利保護のため掲載しない。ここでは批評・解説に必要な範囲で、短いフレーズのみを引用する。
Bela Lugosi’s dead
和訳:
ベラ・ルゴシは死んだ
この一節は、曲のタイトルであり、中心となる呪文である。
普通なら、誰かが死んだという言葉は終わりを意味する。
だが、この曲では違う。
死んだと言われれば言われるほど、Bela Lugosiの存在感は強くなる。彼の名前は何度も反復され、死の宣告は儀式の言葉へ変わる。死を確認しているはずなのに、その反復によって死者が呼び戻されていく。
ここに、吸血鬼的な逆説がある。
死んでいる。
しかし、死によって生き続ける。
肉体はない。
しかし、イメージは残る。
墓に入った。
しかし、ポップカルチャーの中では不死になる。
もうひとつ重要なのは、短く繰り返される言葉である。
Undead
和訳:
死者でありながら死んでいないもの
生ける屍
不死の存在
この言葉によって、曲の意味は一気に広がる。
Bela Lugosiは死んだ。
だが、吸血鬼のイメージは死なない。
古いホラー映画は過去のものだ。
だが、その影は現代の音楽の中に戻ってくる。
Bela Lugosi’s Deadは、このundeadの感覚を音そのもので表現している。
歌詞の権利はBauhausのメンバーおよび権利管理者に帰属する。本記事では批評・解説を目的として、最小限の範囲のみ引用している。
4. 歌詞の考察
Bela Lugosi’s Deadの歌詞は、非常に短く、イメージの断片でできている。
しかし、その断片が強い。
黒いマント。
蝙蝠。
鐘楼。
血を抜かれた犠牲者。
赤いビロード。
黒い箱。
墓を通り過ぎる花嫁たち。
暗い部屋。
伯爵。
どれもホラー映画の小道具のようだ。
だが、Bauhausはそれらを物語として整理しない。説明しない。誰がどこで何をしたのか、はっきりした筋はない。あるのは、棺のまわりに置かれた装飾品のような言葉たちである。
このやり方が、曲の不気味さを強めている。
もし歌詞が吸血鬼の物語を丁寧に説明していたら、曲はもっと分かりやすいホラーソングになっていただろう。だがBela Lugosi’s Deadは、物語よりも雰囲気を重視する。聴き手は出来事を追うのではなく、場所に入る。
この曲における歌詞は、呪文に近い。
言葉が意味を伝えるだけでなく、空気を変える。
Bela Lugosi’s deadという反復が、部屋の温度を下げる。
Undeadという言葉が、死と生の境界を曖昧にする。
つまり、この曲は歌詞を読む曲ではなく、歌詞に取り憑かれる曲である。
Bela Lugosiという人物について考えると、さらに面白い。
LugosiはDracula役によって永遠の吸血鬼像となった。しかし、そのキャリアは晩年にかけて苦しみも多く、安価なホラー映画やEd Wood作品への出演など、どこか悲哀を帯びた伝説として語られることもある。
彼はスターであり、同時に役に呪われた人でもあった。
Bauhausが歌っているのは、その人物としてのLugosiだけではない。むしろ、Lugosiが演じたDraculaのイメージ、そしてそのイメージに飲み込まれた俳優の亡霊である。
ここには、ポップカルチャーの残酷さもある。
人は死ぬ。
俳優は老いる。
しかし、役は残る。
スクリーンの中の吸血鬼は永遠に若く、永遠に夜の中にいる。
Bela Lugosi’s Deadは、その不気味な不死性を歌っている。
この曲では、死が終わりではなく、イメージの始まりになる。
Lugosiの肉体は死んだ。
だが、彼のDraculaは死なない。
Bauhausはその死なない影を、ポストパンクの音に変えた。
これがゴシックロックの本質に近い。
ゴスは、単に暗い音楽ではない。死や喪失、古い美、廃墟、吸血鬼、宗教的な影、退廃を、現代の都市的な感覚で再演する文化である。過去の亡霊を、現代の身体で踊らせる文化なのだ。
Bela Lugosi’s Deadは、その最初期の儀式である。
サウンドの構造も、歌詞の死者性と完全に合っている。
曲はゆっくり始まる。すぐに歌が来ない。聴き手はしばらく、ドラムとベースとギターの影だけを聴かされる。これは、ホラー映画のオープニングに似ている。怪物はまだ出てこない。だが、カメラは廊下を進み、蝋燭が揺れ、何かの気配が濃くなっていく。
Peter Murphyの声は、怪物の登場である。
ただし、彼は叫ばない。
静かに、長く、冷たく言葉を伸ばす。
この抑制が怖い。
ホラーにおいて本当に怖いのは、大きな音ではない。静けさの中にある気配だ。Bauhausはそれを音楽で理解していた。
Daniel Ashのギターは、通常のロックギターのようにリフで曲を引っ張らない。もっと断片的で、金属的で、空間の中に傷をつけるように鳴る。デヴィッドJのベースは、曲の下でゆらゆらと動き、地面というより影を作る。Kevin Haskinsのドラムは、乾いた儀式の拍子を刻む。
この4人の演奏によって、曲はほとんど墓地の建築物になる。
音数は少ない。
でも、影は深い。
動きは少ない。
でも、緊張は続く。
Bela Lugosi’s Deadは、引き算の曲である。
普通のロックは、盛り上がりを作るために音を足す。Bauhausは、逆に空白を大きく使う。だから聴き手は、その空白の中に自分の恐怖を入れることになる。
この曲が9分半もあることは、非常に重要だ。
短ければ、ただのホラー風ポストパンクで終わったかもしれない。だが、この長さによって、曲は時間感覚を変える。何度も同じリズムが続き、声が現れ、言葉が反復されるうちに、聴き手は普通のポップソングの時間から離れていく。
夜が長くなる。
影が伸びる。
死者が戻る時間になる。
Bela Lugosi’s Deadは、踊れる曲でもある。
ここが面白い。
暗く、長く、不気味なのに、リズムは身体を動かす。ゴス文化がライブハウスやクラブで発展した理由も、ここにある。これはただ座って聴く暗い音楽ではなく、影の中で身体を揺らす音楽なのだ。
死を歌いながら、踊らせる。
棺を置きながら、グルーヴを作る。
この矛盾がゴシックロックの魅力である。
歌詞の中の吸血鬼的なイメージも、同じ矛盾を持つ。
吸血鬼は死者である。
だが、生者よりも強く欲望する。
冷たい。
だが、官能的である。
墓に属している。
だが、夜の街を歩く。
Bauhausは、その吸血鬼の身体性を音楽にした。
この曲がゴスの始まりとして語られる理由は、単に暗いからではない。死、映画、演劇、身体、ファッション、ダブ的な空間、ポストパンクの緊張が、ここで一つになったからである。
Bela Lugosi’s Deadは、ジャンルの名前が付く前に、すでにそのジャンルの美学を完成させていた。
5. この曲が好きな人におすすめの曲 5曲
- Dark Entries by Bauhaus
Bauhausの次のシングルとして1980年にリリースされた楽曲。Bela Lugosi’s Deadの長く儀式的な空気に対して、Dark Entriesはより鋭く、速く、パンク的な攻撃性を持つ。Peter Murphyのヴォーカルもさらに切迫し、Daniel Ashのギターは荒々しく前へ出る。Bauhausの暗さが、より直線的なポストパンクとして爆発した曲である。
– She’s in Parties by Bauhaus
Bauhaus後期の代表曲のひとつ。Bela Lugosi’s Deadの映画的な世界観が好きな人には、この曲のフィルム・ノワール的な空気も合う。タイトル通り、映画やパーティー、虚像と実像の境界が揺れるような曲であり、Bauhausが単なる暗黒バンドではなく、映像的な感覚に優れたバンドだったことが分かる。
– Spellbound by Siouxsie and the Banshees
ゴシックロックとポストパンクの妖しい高揚感を味わうなら外せない名曲。Bela Lugosi’s Deadのような重い儀式性とは違い、こちらはもっと疾走感があり、魔術的なエネルギーに満ちている。Siouxsie Siouxの声とギターの渦が、踊れる不穏さを作っている。
– A Forest by The Cure
The Cure初期の冷たいポストパンクを象徴する曲。Bela Lugosi’s Deadほど演劇的ではないが、反復するベースライン、暗い空間、逃げ場のない緊張感が共通している。森の中で何かを探し続けるような歌詞と音像は、Bauhausの墓地的な闇とは違う種類の不安を与える。
– Release the Bats by The Birthday Party
Nick Caveが在籍したThe Birthday Partyによる、ゴシックで暴力的なポストパンクの名曲。Bela Lugosi’s Deadがゆっくり棺を開ける曲だとすれば、Release the Batsは蝙蝠が一斉に飛び出す曲である。ホラーのイメージを笑いと暴力と性的なエネルギーでかき乱す、非常に強烈な一曲だ。
6. ゴシックロックは、ここで棺の蓋を開けた
Bela Lugosi’s Deadは、ゴシックロックの始まりとして語られることが多い。
その言い方は、確かに少し単純化されている。ゴスの源流には、The Doors、David Bowie、Roxy Music、The Velvet Underground、Patti Smith、Siouxsie and the Banshees、Joy Divisionなど、さまざまな影響がある。Bauhausだけが突然すべてを発明したわけではない。
それでも、Bela Lugosi’s Deadが特別なのは間違いない。
なぜなら、この曲はゴスという美学を、非常に分かりやすい形で提示してしまったからだ。
死。
吸血鬼。
白黒映画。
低いベース。
反響する声。
黒い衣装。
演劇的な身体。
長い影。
夜のクラブで踊れる不気味さ。
これらが、一曲の中にそろっている。
Bela Lugosi’s Deadは、ただの曲ではなく、扉だった。
その扉を開けると、後のゴス文化が見えてくる。黒い服、白い肌、暗いクラブ、吸血鬼的な美意識、死をめぐるロマンティシズム、退廃とユーモアが混ざったファッション。もちろん、そのすべてがこの曲から直接生まれたわけではない。だが、この曲はそれらを呼び寄せる中心のひとつになった。
この曲が今も強いのは、暗さを飾りとして使っていないからである。
Bela Lugosi’s Deadの暗さは、ただ黒いだけではない。空間がある。時間がある。死者を呼び戻すための間がある。だから聴き手は、表面的なホラー趣味を超えて、何か古いものが現代に戻ってくる感覚を味わう。
ここで重要なのは、Bauhausのユーモアでもある。
Bela Lugosiが死んだ。
だがundeadだ。
悲劇なのか、冗談なのか。
追悼なのか、悪ふざけなのか。
その境目が曖昧である。
ゴスは、しばしば真面目に見える。暗く、深刻で、死を見つめる文化に見える。だが、優れたゴスにはいつも演劇性と遊びがある。Bauhausはそのことを最初から知っていたように聞こえる。
Peter Murphyの歌は、真剣すぎるほど真剣だ。
しかし、その真剣さがどこか過剰で、演劇的で、少し滑稽でもある。
この滑稽さを恐れないことが、Bauhausの強みだった。
本当にゴシックなものは、少し大げさである。
少し芝居がかっている。
少しナルシスティックである。
だが、その過剰さの中にしか出せない美しさがある。
Bela Lugosi’s Deadは、その美しさを持っている。
また、この曲はロックにおける時間の使い方を変えた。
普通なら、デビューシングルで9分半は長すぎる。歌が入るまでの待ち時間も長すぎる。だがBauhausは、その長さを恐れなかった。むしろ、待たせることで恐怖を作った。
ホラー映画では、怪物が出るまでが怖い。
Bela Lugosi’s Deadも同じだ。
声が出るまでの空白が、すでに歌になっている。
この感覚は、ポップソングの即効性とは正反対である。
だが、それでも曲は強い。
なぜなら、Bela Lugosi’s Deadは即効性ではなく、浸食性の曲だからだ。すぐにサビでつかむのではない。ゆっくり近づき、部屋の中に霧を入れ、気づいたら聴き手の影まで変えてしまう。
一度この曲の空気に入ると、簡単には戻れない。
ドラムの乾いた音が残る。
ベースの低い揺れが残る。
ギターの傷が残る。
Peter Murphyの声が、暗い部屋の隅に残る。
Bela Lugosi’s Deadは、聴き終えたあともまだ終わらない曲である。
それは、吸血鬼の歌にふさわしい。
死んだはずなのに、まだいる。
終わったはずなのに、戻ってくる。
曲が止まっても、影だけが残る。
この曲のBela Lugosiは、本当に死んだのか。
もちろん、現実のLugosiは1956年に亡くなった。だが、Bauhausが1979年にその名を呼んだことで、彼は別の形でよみがえった。ホラー映画の俳優としてではなく、ゴシックロックの守護霊のような存在として。
そして、Bauhaus自身もこの曲によって不死になった。
バンドの歴史がどれほど複雑でも、何度解散や再結成があっても、Bela Lugosi’s Deadが鳴れば、Bauhausの影は一瞬で立ち上がる。たった一曲で、彼らは自分たちの墓標を作った。そしてその墓標は、今も踊れる。
Bela Lugosi’s Deadは、ゴシックロックが棺の蓋を開けた瞬間の音である。
そこから出てきたのは、死者ではない。
死者のふりをした、新しい音楽だった。
暗く、長く、冷たく、妖しく、そして奇妙なほど生命力に満ちている。
Bauhausはこの曲で、死を歌いながら、ひとつの文化を生んだ。
Bela Lugosiは死んだ。
だが、その影はまだ踊っている。

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