
発売日:2017年8月25日
ジャンル:Indie Folk / Folk Rock / Singer-Songwriter
概要
Iron & Wineことサム・ビームの6作目のスタジオ・アルバム『Beast Epic』は、編成を拡張し続けた2000年代後半以降の作品から方向を変え、アコースティック楽器と小規模なバンド演奏へ焦点を戻した作品である。『The Shepherd’s Dog』ではサイケデリックな音響と複雑なリズム、『Kiss Each Other Clean』ではシンセや管楽器、『Ghost on Ghost』ではソウルやジャズを取り込んだが、本作ではそれらの経験を残しながら、楽器同士が同じ部屋で呼吸するような簡潔な録音を選んでいる。初期作品を発表したSub Popへの復帰作でもある。
ただし、『The Creek Drank the Cradle』の宅録フォークへ単純に戻ったわけではない。ビーム自身のプロデュースで、アコースティック・ギター、ピアノ、ベース、ドラム、チェロなどを控えめに配置し、初期よりも演奏の奥行きは広い。歌詞では時間の経過、家族、別れ、記憶、老いと死が繰り返し現れ、若い頃の自分を振り返るような視点も目立つ。複雑なアレンジを削ったことで、ビーム独特の比喩に富んだ言葉と旋律が改めて中心へ戻り、「簡素さ」を成熟したバンド・サウンドとして作り直したアルバムである。
全曲レビュー
1. 「Claim Your Ghost」
静かなギターの反復にベースとドラムが少しずつ加わり、派手な導入を避けながらアルバムの空間を作る。タイトルにある「ghost」は過去の記憶や失われた人物を思わせ、歌詞には死と別れのイメージが漂うが、具体的な物語には固定されない。ビームの声は演奏のすぐ近くに置かれ、楽器が歌を覆わないため言葉の小さな変化まで聞こえる。過去を消すのではなく、自分のものとして引き受けるような静かな出発点だ。
2. 「Thomas County Law」
軽く跳ねるアコースティック・ギターと控えめなリズムによって、南部の田舎町を歩くような乾いた感触を作る。歌詞にはジョージア州トーマス郡を背景に、死や葬送を思わせるイメージが現れるが、悲劇を大きく演出せず、日常の風景の中へ置いている。ビームは死を特別な事件としてではなく、土地や家族の記憶に自然に入り込むものとして扱う。親しみやすいメロディの下に暗さを忍ばせる、Iron & Wineらしい一曲である。
3. 「Bitter Truth」
ピアノとアコースティック・ギターを中心に、関係が崩れた二人の間に残る言葉を静かに見つめる。題名通り「苦い真実」を扱うが、どちらか一方を悪者にするのではなく、同じ出来事でも二人が異なる記憶を持つことへ焦点を置く。歌唱も感情を爆発させず、すでに争いを終えた後から振り返っているように聞こえる。別れの瞬間より、その後に残る解釈の違いを歌うことで、大人の関係の複雑さを簡潔に描いている。
4. 「Song in Stone」
柔らかなギターとチェロを含む落ち着いた伴奏が、ゆっくりした旋律を支える。石に刻まれた歌というタイトルには、時間が過ぎても残る記憶と、逆に変化できなくなったものの両方が重なる。ビームは自然や身体を思わせる像をつなぎながら、過去を保存することの美しさと重さを同時に感じさせる。音数を増やさず、低い弦の響きで奥行きを作るアレンジが、本作の成熟した簡素さをよく示している。
5. 「Summer Clouds」
明るいギターと柔らかなリズムによって、題名に似合う開放的な音が広がる。夏の雲は美しい一方で形を保てず流れていくため、歌詞に現れる親密な時間にも、いつか失われるものを眺める感覚がある。ビームのメロディは滑らかで、本作の中でも特に親しみやすいが、幸福を永続するものとしては描かない。変化することを悲劇にせず、その瞬間を記憶する視点が曲の穏やかさにつながっている。
6. 「Call It Dreaming」
フィンガーピッキングのギターを軸に、ピアノ、ベース、ドラムが徐々に加わる本作の代表曲である。死や時間の有限性を思わせる言葉が並ぶ一方、それを絶望として扱わず、愛する人と過ごす現在を受け入れる方向へ歌が進む。「夢と呼べばいい」という考えも現実否定というより、確かな答えがなくても生きていくための態度として響く。終盤で伴奏とコーラスが自然に広がり、静かな曲のまま大きな高揚を作っている。
7. 「About a Bruise」
細かなパーカッションとギターが絡み、前半の穏やかなフォークより少し複雑なリズムを持つ。打撲の痕という具体的な題名から、身体に残る傷と記憶の痕跡を重ねるように歌詞が広がっていく。演奏には『The Shepherd’s Dog』期を思わせる細かな動きもあるが、楽器数を抑えているため各パートの輪郭が見えやすい。過去の実験的なアレンジを捨てず、小編成へ圧縮したことがよく分かる曲だ。
8. 「Last Night」
短く抑制された曲で、昨夜という近い過去を振り返りながら、記憶と現在の間に生まれる距離を描く。アコースティックな伴奏は歌の周囲に大きな余白を残し、ビームの声も独り言に近い温度で進む。アルバム中盤までに積み重ねてきた死や時間という大きな主題を、ここではごく個人的な一晩へ縮小している。短いからこそ、記憶が完全な物語になる前の断片のような感触が残る。
9. 「Right for Sky」
ギターの反復と軽いドラムが一定の速度を保ち、その上をボーカルがゆったり動く。空や自然のイメージを使った歌詞には、物事を人間の都合だけで判断しない広い視点が感じられる。アレンジは一見単純だが、背景の楽器が少しずつ出入りすることで同じ反復の色が変化していく。『Beast Epic』が初期のミニマルさを再現するのではなく、バンド演奏の経験を経て簡潔さへ戻った作品であることを示している。
10. 「The Truest Stars We Know」
穏やかなテンポの中で、星という古くからあるイメージを記憶や人間関係へ結びつける。遠くにありながら確かに見える光は、失ったものや離れた人とのつながりを思わせるが、ビームは意味を一つに限定しない。低く支えるリズムと控えめな鍵盤によって、曲は感傷へ沈みすぎず淡々と進む。アルバム後半で視線を個人的な記憶からより大きな時間へ広げる役割を果たす。
11. 「Our Light Miles」
最終曲では、距離を表す「light-years」を連想させるタイトルを使い、人と人の間にある時間と隔たりを静かに見つめる。アコースティック・ギターを中心とした演奏には大きなクライマックスがなく、ビームの声も最後まで抑制されている。近くにいた人が遠くなり、現在の生活もいつか記憶へ変わるという本作の感覚を、宇宙的な距離へ広げたように聞こえる。解決を宣言せず、時間がそのまま続いていく余韻の中でアルバムを閉じる。
総評
『Beast Epic』を初期Iron & Wineへの「原点回帰」とだけ説明すると、この作品の重要な部分を見落とす。確かに音数は減り、アコースティック・ギターとビームの声が再び中心にある。しかし、デビュー期の簡素さが宅録環境や一人での演奏から生まれていたのに対し、本作の簡素さは、多くの楽器やジャンルを試した後で何を残すかを選んだ結果である。ドラムやチェロ、ピアノは控えめでも、それぞれが曲の温度を変える場所へ慎重に置かれている。
その違いはリズムを聞くと特に分かりやすい。「About a Bruise」の細かな動きや「Call It Dreaming」の緩やかな盛り上がりには、『The Shepherd’s Dog』以降に培ったアンサンブルの感覚が残っている。複雑なリズムやスタジオ処理を前面へ出す必要がなくなり、必要な要素だけを小さな空間へ収めているのである。結果として、演奏は穏やかでも単調ではなく、注意して聞けば各楽器が絶えず小さく反応していることが分かる。
歌詞でも、時間を重ねた人間の視点が作品をまとめている。死、別れ、傷、記憶といった言葉は多いが、悲しみを劇的な事件として扱う曲は少ない。むしろ、失われることを知りながら現在の生活をどう見るかが中心にある。「Call It Dreaming」の穏やかな肯定や「Bitter Truth」の距離を置いた視点は、感情が弱くなったのではなく、複数の感情を同時に受け入れる書き方へ変化したことを示す。ビームの比喩的な歌詞にも、初期とは違う時間の厚みが加わっている。
そのため『Beast Epic』は、過去のサウンドを懐かしむ作品というより、Iron & Wineが自分の過去を現在の技術で読み直したアルバムと考える方が適切だ。派手な実験がない分、『The Shepherd’s Dog』や『Kiss Each Other Clean』ほど一聴して驚く瞬間は少ないが、曲そのものの強さと演奏の細部が長く残る。若い時期の親密なフォークと、その後に獲得したバンド・アレンジの技術を無理なく結びつけたことで、サム・ビームのキャリアの一つの節目となった作品である。
おすすめアルバム
The Creek Drank the Cradle by Iron & Wine
2002年のデビュー作。宅録のざらつき、ささやく声、ギターを中心にした最小限の音からIron & Wineの原型を作った。『Beast Epic』と比べると、同じ簡素さでも録音とアレンジの成熟度が大きく異なることが分かる。
The Shepherd’s Dog by Iron & Wine
2007年作。パーカッション、サイケデリックな音響、ダブ的な処理まで取り込み、Iron & Wineのフォークを大幅に拡張した。そこで得たリズム感覚が『Beast Epic』の控えめなバンド演奏にも残っている。
Our Endless Numbered Days by Iron & Wine
2004年作。初期の親密さを保ちながらスタジオとバンド演奏へ移行した作品で、『Beast Epic』と特に近いバランスを持つ。二作を比較すると、同じ簡潔なフォークでもビームの歌詞が時間とともに変化したことが見える。
Carrie & Lowell by Sufjan Stevens
2015年作。アコースティック楽器と小さな電子音を使い、家族、死、記憶を極めて近い距離から描く。『Beast Epic』より直接的で痛切だが、少ない音から時間の重さを引き出す点で共通している。
Pink Moon by Nick Drake
1972年作。声とアコースティック・ギターをほぼ中心に据え、装飾を削ることで旋律と言葉の陰影を際立たせている。『Beast Epic』とは制作環境も時代も異なるが、静けさを空白ではなく表現そのものにするフォーク作品として重要な比較対象になる。

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