発売日: 1994年9月27日
ジャンル: オルタナティヴ・ロック、グランジ、パワー・ポップ
概要
『American Thighs』は、Veruca Saltが1994年に発表したデビュー・アルバムであり、女性ツイン・フロントのバンドによる90年代オルタナ・グランジ・シーンの金字塔的作品である。
シカゴ出身のNina GordonとLouise Postを中心に結成されたVeruca Saltは、本作のリリースと同時に爆発的な注目を集めた。
タイトルはAC/DCの「You Shook Me All Night Long」の一節から引用されており、性的な力強さとアメリカ文化へのアイロニーが込められている。
リード・シングル「Seether」はMTVとオルタナ系ラジオでヘヴィ・ローテーションされ、当時の“ガールズ・ロック”ムーブメントの象徴的楽曲となった。
その成功を足がかりに、『American Thighs』は女性主導のグランジ/パワーポップ・バンドの代表作として確固たる地位を築くこととなる。
本作は、ハードなギターリフ、甘美なメロディ、毒気のある歌詞、そして時に攻撃的で、時に感傷的なボーカルの掛け合いが絶妙にブレンドされており、Nirvana以降の“静と動”の美学を継承しながらも、独自の女性的表現を切り開いた作品でもある。
全曲レビュー
1. Get Back
アルバムの幕開けを飾るエネルギッシュなナンバー。
歪んだギターリフとツインボーカルの緊張感が一気に世界観へ引き込む。
「引き返して!」というフレーズに、支配や依存への反発が込められている。
2. All Hail Me
挑発的なタイトル通り、自我の解放と主張をテーマにしたパワー・ポップ。
キャッチーながらもどこか不安定なコード進行が、彼女たちの“ただのアイドルではない”というメッセージを強調する。
3. Seether
バンドの代名詞とも言える代表曲。
感情の爆発寸前を巧みにコントロールしながら、「自分の中の“抑圧された獣”」をテーマに描いた歌詞が印象的。
ポップなメロディに宿る不穏さが、リスナーの胸をえぐる。
4. Spiderman ’79
内省的なメロディが際立つドリーミーな楽曲。
“スパイダーマン”の名を借りながら、実は孤独と依存を描いた詩的表現。
エレクトロニックな要素を排した純粋なギターロック構成も美しい。
5. Forsythia
植物名をタイトルにした、ややサイケデリックなトーンの中編バラード。
歌詞には思春期的な無垢さと死への感覚が交錯しており、物語性が強い。
6. M.F.
“M.F.”(Motherf***er)という過激なタイトル通り、怒りと解放を全面に出したハード・ロックナンバー。
轟音ギターと絶叫がアルバム中もっとも激しく炸裂する一曲。
7. Number One Blind
サビでの爆発力が印象的なミッドテンポの佳曲。
盲目的な愛や理想への憧れと失望が交錯する、象徴的なポスト・グランジの構造。
8. Victrola
ギターのアルペジオが特徴的なアコースティック寄りの短編曲。
蓄音機(Victrola)というレトロなモチーフを用いた、メディア/記憶へのまなざしが伺える。
9. Twinstar
ツインボーカルが完全にシンクロし、静かに進行する中盤の抒情曲。
喪失や姉妹性、鏡像的な存在について語られる詩が印象的。
10. 25
抑制された導入から爆発的なサビに至る構成が美しい。
「25歳」という年齢を通して描かれる、自己の境界と“選択の痛み”。
11. Sleeping Where I Want
自由と孤独をテーマにしたロック・ナンバー。
ラフな演奏の中にもリズム隊のグルーヴが光る。
12. The Ink Well
アルバムのクライマックスを飾るバラード寄りの一曲。
“インクの井戸”という詩的イメージが、表現すること・書くことの暴力性を暗示する。
13. Seether (Reprise)
ラストは「Seether」のリプライズで幕を閉じる。
再訪されるフレーズは、最初の衝動が今や何を意味するのか——という問いを投げかける。

総評
『American Thighs』は、Veruca Saltというバンドがいかにして90年代中盤のロック・シーンに突き刺さったかを体現するアルバムである。
それは単なる“ガールズ・グランジ”ではなく、女性が主導するロックの中で、「怒り」「美しさ」「脆さ」「ユーモア」を同時に成立させた希有な作品でもある。
時に暴力的、時に甘美、そして常に誠実なその表現は、当時のシーンにおいて突出しており、HoleやBikini Killとはまた異なる“メロディックな過激さ”を提示した。
このアルバムを貫くのは、「自分自身であることの痛み」と「それでも歌うこと」の衝動。
Veruca Saltは、この作品によってただの一発屋ではない“存在の主張”を、音として明確に刻んだのだ。
おすすめアルバム(5枚)
- Hole / Live Through This
女性的怒りと弱さをメロディで昇華した名作。Veruca Saltと同時代の対極的存在。 - The Breeders / Last Splash
ツインボーカルとポップ性の融合。『American Thighs』と構造が近い。 - L7 / Bricks Are Heavy
よりハードなグランジ路線の中に、同様のフェミニズム的視点が込められている。 - Belly / Star
ドリーミーでありながら鋭さを持つ90年代女性ロックの傑作。 -
Letters to Cleo / Aurora Gory Alice
ポップで疾走感のあるギターロック。Veruca Saltのライトサイド的親和性。
制作の裏側(Behind the Scenes)
『American Thighs』は、バンドが1993年に結成されてからわずか1年後に完成され、シカゴのシーンで活動していたプロデューサーBrad Woodのもと、限られた予算でレコーディングされた。
しかしその粗削りな質感こそが、このアルバムの“初期衝動”を象徴している。
後にバンドはGeffenと契約し、アルバムは再リリースされることとなったが、インディー版のジャケットや録音には今も熱心なファンからの支持が厚い。
バンドはこの作品の成功により、Lollapaloozaなどの大型フェスにも出演し、90年代のガールズ・ロック・アイコンの一翼を担うこととなった。
このアルバムは、そうした急成長の“はじまり”としての輝きと、そこに忍び寄る不安を同時に記録したロックの原石なのである。
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