発売日: 2010年3月1日
ジャンル: アコースティック・フォーク、プロテスト・ソング、室内楽ポップ、アンチ・エンターテインメント
概要
『ABCDEFG』は、チャンバワンバが2010年に発表した14作目のスタジオ・アルバムであり、
“音楽そのもの”を問い直すという自己言及的なテーマを内包した、静かで鋭い音楽文化批判アルバムである。
タイトルの「ABCDEFG」は、もちろん音階の基本を意味し、
アルバム全体が**“音楽＝記憶／権力／抵抗／娯楽／暴力”といった相反するものを運ぶ媒体であること**を、
深く洞察的に描いている。
前作『The Boy Bands Have Won』のアコースティック・フォーク路線をさらに深化させ、
ヴァイオリン、チェロ、ピアノ、アコーディオン、男女コーラスを中心とした室内楽的なフォーク・アンサンブルへと進化。
商業主義とは無縁の構成で、**「歌うことの意味」「沈黙の権力」「娯楽としての戦争」**といったメタ視点のテーマを繊細に掘り下げている。
また、今作では特に「クラシック音楽の権威性」や「国歌の政治性」「音楽教育と階級」など、
**“音楽と権力の関係”**に強く焦点が当てられており、
“最後までポップに対して誠実に異議申し立てを続けたチャンバワンバ”の終盤にふさわしい、
知的で詩的な抵抗の書となっている。
全曲レビュー
1. Voices, That’s All
人間の声だけで構成された導入曲。
“声”がメロディになる瞬間の美しさと、言葉にならない沈黙の力を同時に感じさせる。
2. (Words Flew) Right Around the World
情報と戦争の連鎖を、国歌やプロパガンダの引用を交えて風刺。
音楽の“感染力”がいかに国家に利用されてきたかを問う。
3. Sing About It
“歌っても何も変わらない。でも歌わずにはいられない”──
矛盾する感情を淡々としたギターと女声ボーカルで描く、チャンバワンバらしい内省的プロテスト。
4. Back to Basics
教育と階級をテーマに、“音楽を学ぶ権利”の不平等を問題提起。
ABCから始まる世界の偏りを描くユーモラスな風刺曲。
5. That Same Sea
亡命者、難民、海を越えて歌われる祈り──
深いリバーブが感情を包み込むように広がる、非常に静かなバラッド。
6. You Don’t Exist
“名前を呼ばれない者は、存在しないも同然”という強烈な一節。
表現されない人々の声を代弁する、静かな怒りの歌。
7. Telling Lies
メディアと権力者による“物語の操作”をテーマにしたアイロニカルなトラック。
語りの断片とハーモニーが交錯し、真実の曖昧さを浮かび上がらせる。
8. The Song Collector
民族音楽の“収集”＝“盗用”というテーマに踏み込んだ重要曲。
伝統音楽を“保存する者”が持つ権力性を問い直す。
9. Dance, Dance, Dance
軽快なアコーディオンとパーカッションで進む風刺曲。
“踊れ”という命令の背後にある抑圧構造を解体する。
10. Ragged Trousered Philanthropist
ロバート・トレッスルの同名小説に触発された一曲。
労働者が自らの搾取に“感謝してしまう”構造を描く社会派フォーク。
11. You Can Buy Freedom
自由が“商品”として売買される現代社会への冷徹な視線。
レジ音とギターの対比が、消費と人権のズレを表現。
12. This is the Voice of the People
アルバムのハイライト。
“これは人民の声”と繰り返しながら、それが果たして誰の声かを問い続ける、静かで圧倒的な終曲。
総評
『ABCDEFG』は、**音楽の原理・役割・危うさそのものを問い直した“ポップ・ミュージックのメタアルバム”**であり、
チャンバワンバというバンドが、音楽そのものに対する信仰と懐疑の両方を最後まで持ち続けたことを記録する芸術的到達点である。
かつて「ノックダウンしても立ち上がる」と歌った彼らが、
ここで語るのは、**「そもそも誰の音楽が響き、誰の声が黙殺されてきたのか？」**という問い。
それは単なるプロテストでも、ラブソングでもない。
**“歌うという行為自体が、すでに政治であり、文化批評である”**という宣言なのである。
おすすめアルバム（5枚）
- Laurie Anderson『Big Science』
音楽と言語、情報と沈黙の境界を問い直したメディアアート的作品。 - Phil Ochs『Rehearsals for Retirement』
歌における希望と諦念の共存。『ABCDEFG』と重なる“静かな敗北”の美学。 - David Sylvian『Manafon』
詩的断片と静けさで構築された知的音楽。チャンバワンバの晩年に響く気配。 - Joanna Newsom『Divers』
音楽史と言語、語りと時間をテーマにしたフォーク・アートの結晶。 -
This Is The Kit『Moonshine Freeze』
繊細な語り口と知的な視点を持つ現代フォーク。『ABCDEFG』と通じる美学。
後続作品とのつながり
『ABCDEFG』の後、チャンバワンバは2012年に解散を発表し、
**このアルバムは実質的に彼らの“最後の意志”**として機能することになった。
政治でも、パンクでも、フォークでもなく、最後は“音楽そのものを疑いながら愛する”という地点にたどり着いたチャンバワンバ。
『ABCDEFG』はそのすべてを内包した、“終わらない問い”としてのアルバムである。
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