※本記事は、TuneSightに登場する架空のライターによる創作対談です。
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U2の最高傑作を一枚だけ決めようとすると、ほぼ必ず1987年の『The Joshua Tree』と1991年の『Achtung Baby』が残る。前者は「Where the Streets Have No Name」「I Still Haven’t Found What I’m Looking For」「With or Without You」という巨大な3曲を冒頭に置き、アメリカの風景、信仰、政治、喪失を壮大なロックへ変えた作品。後者はベルリンで始まった困難なセッションを経て、ダンス・ミュージックやインダストリアルな質感を取り込み、「One」「The Fly」「Mysterious Ways」へと従来のU2像を解体した作品だ。今回はAlex、Sophie、Marcus、Naomiの4人が、この二枚を単なる「王道と実験作」という対比ではなく、バンドが何を信じ、どのように音楽を聴かせようとしたのかという違いから考える。
『The Joshua Tree』は本当に「完成形」なのか
僕は長い間、『The Joshua Tree』をU2の最高傑作だと思っていました。理由は単純に名曲が多いからではなく、バンドの四人がそれぞれ余計なことをしなくても成立する地点まで来ているからです。「Where the Streets Have No Name」でThe Edgeはコードを厚く鳴らすのではなく、ディレイによって細かな音型を巨大な空間へ広げる。Adam ClaytonとLarry Mullen Jr.はそこを埋めず、Bonoが入ってくるまで曲そのものが少しずつ地平線を獲得していく。この「少ない材料を大きく見せる」能力では、彼らはここで頂点に達したと思うんです。
ただ、その「完成」という言葉には少し引っかかります。『The Joshua Tree』はBrian EnoとDaniel Lanoisの仕事も含めて非常に洗練されていますが、音響的には完成というより、空白をどう演出するかを極端に突き詰めたアルバムでしょう。「With or Without You」なんて、構造だけ見れば驚くほど反復的なのに、音の密度とBonoの声の強度が少しずつ変わることでドラマが生まれる。つまり作曲上の展開を増やす代わりに、同じ場所の光の当たり方を変えている。そこが普通のスタジアム・ロックとはかなり違います。
しかも、その空白がアルバム全体の「風景」と結びついているんですよね。Anton Corbijnによる写真も含め、『The Joshua Tree』には乾いた土地、遠い地平線、モノクロームという視覚的な統一感がある。でも面白いのは、U2がアメリカを礼賛しているわけではないことです。「Bullet the Blue Sky」のような曲を置いている以上、彼らが見ているアメリカは夢の国であると同時に、暴力や宗教的矛盾を抱えた場所でもある。だから広大な音なのに、単純な高揚感だけでは終わらない。
そこが僕にとって、このアルバムの核心です。『The Joshua Tree』は「大きなことを真顔で語る」ことを恐れていない。信仰、欲望、政治的暴力、依存、失踪した人々について、Bonoはアイロニーという逃げ道をほとんど作らずに歌う。それは1987年には強さだったけれど、同時にU2が後に壊さなければならなかったイメージでもあるんです。世界最大級のロック・バンドになった人間が、ずっと預言者のような顔で歌い続ければ、いずれその真剣さ自体が巨大な演出になってしまうから。
そう考えると、『The Joshua Tree』は完成したからこそ危険だったのかもしれない。これ以上この路線を拡大したら、曲ではなく「U2らしさ」を再生産するバンドになる。「Where the Streets Have No Name」のギターをもっと巨大にして、もっと大きな会場で、もっと大きなメッセージを歌うことはできたでしょう。でも、それをやった瞬間に、このアルバムの繊細さは消える。最高傑作候補であると同時に、行き止まりでもあったというのが重要ですね。
そう。しかも1988年の『Rattle and Hum』を挟んだことで、その問題がかなり露出したと思います。アメリカ音楽への関心をさらに前面へ出した結果、『The Joshua Tree』では風景として機能していたものが、もっと直接的な参照として聞こえるようになった。だから次に必要だったのは、『The Joshua Tree』を上回る壮大さではなく、「そもそもU2とはどういう音なのか」を疑うことだったんです。
『Achtung Baby』は変身ではなく、自己否定から始まった
『Achtung Baby』を聴くとき、私は「90年代になったから音を現代化した」という説明では足りないと思うんです。ベルリンのHansa Studiosで始まったセッションが難航したことは知られていますが、それは新しい機材やリズムを試したからというだけではない。80年代のU2が獲得した「誠実で社会意識の高いロック・バンド」という人格そのものが重荷になっていた。だから彼らは音だけでなく、自分たちがどう見えるかまで壊す必要があった。
その壊し方が面白いんですよ。「Zoo Station」のイントロなんて、初めて聴けば本当に同じバンドかと思う。The Edgeのギターは『The Joshua Tree』のように空間を開くのではなく、歪みと処理によって輪郭そのものが潰れているし、Larryのドラムも「四人が部屋で演奏している」という自然な像から離れている。でも、よく聴けばU2特有の反復は残っているんです。彼らは曲作りのDNAを捨てたというより、それがU2だとすぐ分からない表面を作った。
まさにそこです。『Achtung Baby』で変わったのは楽器以上に「録音された音をどう考えるか」だと思います。『The Joshua Tree』では、加工があっても最終的にはギター、ベース、ドラム、声という身体を感じやすい。それに対して『Achtung Baby』では、音源が何だったのかより、スピーカーから最終的にどんな質感が出るかが優先される。「The Fly」の声もそうで、Bonoの肉声を透明に届けるのではなく、歪ませることでキャラクターに変えてしまう。録音が演奏の記録ではなく、現実とは別の人格を作る装置になっている。
それは歌詞の変化とも一致しています。『The Joshua Tree』のBonoは世界を見て、それについて歌う。でも『Achtung Baby』では、自分の欲望や矛盾、自意識が信用できるのかを疑っている。「Until the End of the World」も聖書的な題材を扱っていますが、説教ではなく裏切る側の心理へ入り込むでしょう。視点が高い場所から低い場所へ降りた。政治的な意識が消えたというより、「正しいことを語る自分自身も疑う」という段階に入ったんです。
だから『Achtung Baby』のアイロニーを単なる照れ隠しと考えると弱いんですよね。彼らは真剣さを捨てたわけではない。むしろ真剣さを守るために、真剣そうに見える自分たちを壊した。そこからZoo TVの過剰な映像やBonoのキャラクターへつながっていくわけで、アルバムとステージの思想がかなり一貫しています。
そう考えると、二枚の違いは「自然対人工」でもあるけれど、もっと根本では「確信対疑い」なのかもしれない。『The Joshua Tree』は迷いを歌っていても、音楽そのものには確信がある。『Achtung Baby』は名曲を作りながら、その名曲をどう提示するべきかまで疑っている。その不安定さが音に残っているから、僕は今では『Achtung Baby』の方を何度も聴き返します。
The Edgeのギターは、広げる楽器から壊す楽器へ
The Edgeについては、この二枚を比較すると「ギターの音色が変わった」という以上の変化が見えます。『The Joshua Tree』ではディレイが非常に重要ですが、それは反復によって一人の演奏を複数の音へ展開し、空間を作るために使われる。「Where the Streets Have No Name」は典型ですね。一方『Achtung Baby』ではエフェクトが、ギターという楽器の正体を曖昧にする方向へ使われる。これは同じ「加工」でも思想が逆です。
僕もそこが二枚を分ける最大のポイントだと思います。「Bullet the Blue Sky」はかなり荒々しいギターだけど、まだ弦を弾いてアンプを鳴らしている身体性が強い。ところが「Mysterious Ways」になると、ギターはファンク的なリズムを担いながら、音色としては妙に人工的で、シンセサイザーのようにも聞こえる瞬間がある。The Edgeはギター・ヒーローになることを避けてきた人だけど、『Achtung Baby』ではさらに進んで、「ギターであること」自体への執着まで薄くなったように聞こえるんです。
それによってAdamとLarryの役割も変わりますよね。『The Joshua Tree』ではリズム隊が広い景色を支える地面になっている。「I Still Haven’t Found What I’m Looking For」も、ゴスペル的な感覚を持ちながら、リズムは曲を急かさず、Bonoの探索するような歌を運んでいく。『Achtung Baby』ではリズム自体がもっと官能的で、「Mysterious Ways」では身体を動かすことが曲の中心に来る。U2が精神性から肉体性へ移動した、とまで言うと単純ですが、重心が下がったのは間違いないと思う。
その「重心が下がった」という表現はいいですね。『The Joshua Tree』では音が上へ伸びるんですよ。Bonoの声もThe Edgeのギターも、地面から空へ向かうような感覚がある。『Achtung Baby』では横へ動く。「Even Better Than the Real Thing」なんて特にそうで、リフとビートが前へ押していくから、空を見上げるより街の中を歩いている感じがする。
そして『Achtung Baby』は左右や奥行きの情報量も多い。細かなノイズ、処理されたギター、声、パーカッシヴな要素が互いに少しずつ違う距離に置かれていて、巨大なのに中心が一つではないんです。『The Joshua Tree』の巨大さが「遠くまで見渡せる空間」だとすれば、『Achtung Baby』の巨大さは「情報に囲まれている空間」。これはその後のZoo TVを考えても偶然ではないでしょう。
つまりThe Edgeは、80年代には広大な景色を作る建築家だったのに、91年には都市の看板やテレビ画面をコラージュする人になった。その変化があるから、『Achtung Baby』は当時の流行を取り入れただけのアルバムになっていない。流行していた音をU2の曲に貼ったのではなく、彼ら自身の楽器の役割を変えているんです。
「With or Without You」と「One」──普遍性の作り方が違う
二枚を代表するバラードとして「With or Without You」と「One」を比べると、思想の違いがかなり明確になります。「With or Without You」は矛盾した感情を扱いながら、音楽は一つの大きなクライマックスへ向かっていく。ところが「One」はタイトルだけ見れば統合の歌に思えるのに、実際には関係の亀裂がずっと残っている。「一つになる」という言葉を使いながら、一つになれない人間について歌っているところが『Achtung Baby』らしい。
しかも「One」は、後に非常に普遍的な歌として受け取られたこと自体が面白いんです。『The Joshua Tree』の普遍性は最初から大きな風景を作ることで生まれているけれど、「One」はむしろ個人的で曖昧な関係から始まる。その曖昧さがあるから、恋愛にも友情にも共同体にも読める。U2は普遍性を捨てたのではなく、普遍性へ到達するルートを逆転させたんじゃないでしょうか。
演奏もそうですよね。「With or Without You」はAdamのベースがほぼ呪文のように循環して、その上で音が増えていく。The EdgeのInfinite Guitarによる持続音も、普通のコード・ストロークでは作れない浮遊感を与えている。それに対して「One」は、一聴するとずっと普通のロック・バラードに近い。でも細部の配置が慎重で、ドラムもギターも「感動させよう」と前へ出すぎない。その抑制が、歌詞の割り切れなさを残しています。
私はむしろ、「One」の方がスタジオ作品として奇妙だと思います。表面は自然なのに、その自然さがかなり作り込まれているからです。『Achtung Baby』全体が大胆に加工されているので「One」だけ素朴に聞こえますが、実際には音の距離やドラムの質感を含めて細かく設計されている。人工的なアルバムの中で「自然に聞こえるものを人工的に作る」という逆説がある。
だから僕は、一曲の完成度なら「One」を選びます。ただし、『The Joshua Tree』には「With or Without You」だけでなく、その前に「Where the Streets Have No Name」と「I Still Haven’t Found What I’m Looking For」がある。アルバムを再生して最初の約15分でバンドの世界観をここまで決定づける並びは異常です。『Achtung Baby』の方が複雑だけれど、『The Joshua Tree』には入口の強さで勝てない。
でも、その強すぎる入口が『The Joshua Tree』の評価を少し歪めてもいると思う。後半には「One Tree Hill」「Exit」「Mothers of the Disappeared」があって、むしろそちらの方がアルバムの暗さを理解するには大切です。巨大なシングル三曲だけなら「希望を歌うU2」という像になるけれど、最後まで聴けばかなり不穏な作品ですよ。
『The Joshua Tree』の後半こそ、U2の深部ではないか
僕は「Exit」をかなり高く評価しています。前半の代表曲にある開放感とは逆で、ギターもバンド全体も閉じた場所へ入っていくような曲でしょう。静かな部分から暴力的な演奏へ移るときも、きれいなサビで解放されない。『The Joshua Tree』を「雄大なアルバム」とだけ説明すると、この曲の異常さが抜け落ちるんです。
「Mothers of the Disappeared」も同じですね。アルバム最後で、あれほど音を減らす判断は大胆です。南米の軍事独裁下で行方不明になった人々と、その母親たちを背景に持つ曲ですが、音楽は怒りを直接爆発させない。反復するリズムと空間の大きい音像によって、不在そのものを聞かせる。『Achtung Baby』の実験性ばかり語られますが、音を削るという意味では『The Joshua Tree』も相当に冒険しています。
しかも「Bullet the Blue Sky」から「Running to Stand Still」への流れも強烈です。前者ではアメリカの軍事的な力を想起させる暴力的な演奏があり、次ではヘロイン依存を扱う静かな歌へ落ちる。大きな政治と個人の破綻を別々のテーマとして並べるのではなく、同じアルバムの風景として置いている。そこを考えると、『The Joshua Tree』は「理想主義的なU2」というより、理想を持つ人間が世界の矛盾を見てしまったアルバムなんです。
だから私は、『Achtung Baby』との断絶を強調しすぎるのも違うと思います。91年になって突然U2が複雑になったわけではない。『The Joshua Tree』の時点ですでに、信仰と疑い、アメリカへの憧れと批判、愛と拘束が同居している。ただし87年には、その矛盾を一つの大きな風景の中に置けた。91年になると、もう一枚の風景として統合すること自体を信用できなくなったんじゃないでしょうか。
その違いなら納得できます。『The Joshua Tree』は矛盾を抱えたままでも「世界には意味がある」と信じている感じがする。『Achtung Baby』は意味そのものがメディアや欲望によって作られているんじゃないか、と疑い始める。その意味で後者の方が90年代的なんですよ。答えを提示するロック・スターより、ロック・スターという役割そのものを演じて見せる人間の方が時代に合っていた。
でも僕は、その思想的な複雑さが必ずしもアルバムの完成度を上げるとは思わないんです。『The Joshua Tree』の後半には地味な曲もあるけれど、最後まで一つの温度が保たれている。『Achtung Baby』は意図的に雑多だから、曲によっては少し時代の手触りが強く出る。どちらが上かを決めるなら、そこは無視できないと思います。
『Achtung Baby』は90年代の音なのに、なぜ古びにくいのか
『Achtung Baby』には確実に1991年前後の感覚があります。オルタナティブ・ロック、クラブ・カルチャー、インダストリアルな音響、サンプリングやスタジオ処理への感覚。ただ、特定ジャンルのスタイルをそのまま模倣していないから、完全な時代物にはならない。「Zoo Station」をテクノとは呼べないし、「Mysterious Ways」を単純なファンクとも呼べない。異質な語彙をU2の曲構造に押し込んだ結果、分類しにくい音になっています。
僕がすごいと思うのは、結局「Until the End of the World」みたいな曲をライブで四人が鳴らせることです。スタジオではかなり処理されているのに、芯にはバンドの推進力がある。90年代にロック・バンドが電子音を導入すると、装飾としてシーケンスを足しただけになる例も多かった。でもU2の場合、電子的な感覚を入れた結果、The Edgeの弾き方やLarryのグルーヴまで変わっている。だから表面の流行が古くなっても骨格が残るんです。
そして「The Fly」を最初のシングルにした判断も大きい。もし最初に「One」を出していたら、「U2は変わったけれど、ちゃんと美しい歌も書けます」という安全な物語になったでしょう。「The Fly」は声も映像もキャラクターも、それまでのU2像を意図的に裏切る。作品の宣伝そのものを作品化した点で、『Achtung Baby』はアルバムだけで完結していません。
その意味では、Zoo TVまで含めて初めて完成する思想がありますね。大量の映像、広告的な言語、テレビ、キャラクター化されたBono。『The Joshua Tree』の時代には、巨大な会場でも「四人の人間が真剣に音楽を鳴らしている」という真正性が価値だった。Zoo TVでは、巨大な会場で真正性を演じること自体が嘘かもしれないと考え、その嘘をもっと巨大にして見せる。これはかなり大胆な反転です。
だから『Achtung Baby』の音が密集していることも重要なんです。Zoo TVのスクリーンと同じで、リスナーは一つの情報だけを受け取れない。声の歪み、ギターのノイズ、ビート、断片的な音が同時に存在する。『The Joshua Tree』では遠くに一点を見ることができたのに、『Achtung Baby』では視線が散らされる。その聴覚体験自体がアルバムのテーマになっています。
ただ、それでも「One」が必要だったというのがU2らしい。全部を壊してノイズの中へ行くことはできなかった。結局、彼らには人間の声とコード進行だけで感情を届けたい欲望が残っている。僕はそこを弱点ではなく、このアルバムが単なる実験作で終わらなかった理由だと思います。
どちらが「U2らしい」のか──誠実さとアイロニーの問題
ここまで話すと、「どちらがU2らしいか」という問い自体が面白くなります。一般的なU2像なら『The Joshua Tree』でしょう。広がるギター、Bonoの声、精神性、社会への視線、巨大なコンサートに耐える曲。でもバンドの歴史全体を見ると、自分たちが完成した瞬間にそれを疑って壊す行為も非常にU2らしい。そうすると『Achtung Baby』も同じくらい本質的なんです。
僕は『Achtung Baby』の方に「誠実さ」を感じる瞬間すらあります。皮肉ですよね。表面的には『The Joshua Tree』の方が圧倒的に誠実そうなのに、『Achtung Baby』では「自分たちは巨大なロック・スターであり、その立場には虚栄心も欲望も矛盾もある」と認めてしまう。清廉な立場から世界を語るより、自分も問題の内部にいると認めることが90年代のU2にとっての誠実さだったんじゃないでしょうか。
ただ、『The Joshua Tree』の真っ直ぐさを後世の感覚で素朴だと片づけたくはないですね。「I Still Haven’t Found What I’m Looking For」はタイトルからして、信仰の確信ではなく探索の歌です。あの曲が巨大なアンセムになったことで、答えを知っている人の歌みたいに聞こえることがあるけれど、実際には「まだ見つけていない」と歌っている。その不確かさは『Achtung Baby』につながっています。
音響的にも同じで、『The Joshua Tree』は透明に聞こえるけれど、決して無加工ではない。EnoとLanoisが関わり、Floodも録音に参加している以上、あの自然な広がりも高度に構築されたものです。対して『Achtung Baby』は構築されていることを隠さない。だから二枚の差は「本物と人工物」ではなく、「人工性を透明にするか、見せるか」なんです。
それはビジュアルにもそのまま当てはまります。『The Joshua Tree』のモノクロームの写真は、バンドを一つの神話的な像へまとめる。『Achtung Baby』のジャケットは複数の写真をグリッド状に配置して、一つの決定的なU2像を拒否する。前者では「これが私たちだ」と言い、後者では「どれが私たちだと思う?」と返してくる。四年間で音だけでなく自己表象の方法まで反転したわけです。
だから僕にとって、この二枚は競争相手というより対になっています。『The Joshua Tree』だけならU2は理想主義の巨大ロック・バンドとして完成してしまうし、『Achtung Baby』だけなら、なぜ彼らが自分自身を壊す必要があったのかが分からない。87年に獲得した確信があるから、91年の疑いに重さが出るんです。
最高傑作を一枚だけ選ぶなら
一枚だけなら、僕は僅差で『Achtung Baby』です。『The Joshua Tree』の方が美しいし、バンド・サウンドとして理想的な瞬間も多い。でも「Zoo Station」から「Love Is Blindness」まで聴くと、一度獲得した成功の方程式をここまで壊しながら、曲の強さを失わなかったことに驚かされる。「Ultraviolet (Light My Way)」のように代表曲の陰に隠れがちな曲まで含め、ギター・バンドとしてのU2と、それを越えようとするU2が同時に存在している。危険を冒した量まで作品評価に含めるなら、こちらです。
私も『Achtung Baby』を選びますが、理由は少し違います。このアルバムでは音色そのものが作曲の一部になっているからです。同じメロディーでも、声をどう歪ませるか、ドラムをどの距離に置くか、ギターをギターらしく聞かせるかどうかで曲の意味が変わる。その考え方は現在のポップ・プロダクションにも通じる。一方で「One」のような曲を中央に残しているから、音響実験が人間的な感情を追い出していない。その均衡が非常に強いです。
僕は逆に『The Joshua Tree』です。『Achtung Baby』の方が知的に刺激的で、「One」だけならU2で最も好きな曲の候補にもなる。でもアルバムとして考えたとき、『The Joshua Tree』には世界を大きく捉えようとする危うさと、それを本当に音楽として成立させてしまう力がある。「Mothers of the Disappeared」で終わることまで含めると、これは単なるヒット曲集ではない。巨大になったロックが、巨大だからこそ扱える主題を本気で扱った記録だと思います。
私は『Achtung Baby』ですね。ただし「優れた曲が多いから」というより、U2という存在の意味を更新したアルバムだからです。『The Joshua Tree』で世界最大級のバンドになったあと、普通ならそのブランドを守る。しかし彼らは服装、映像、ステージ、発言のトーン、そして音まで変えて、「U2らしさ」を自分たちでパロディー化した。それによって80年代的な理想主義を捨てずに90年代へ持ち込めた。キャリア全体への作用まで含めれば、『Achtung Baby』がわずかに上です。
ただ、初心者に最初の一枚を渡すなら僕は『The Joshua Tree』にします。これは矛盾していないと思う。最高傑作とは、そのアーティストの特徴が最も分かりやすく出た作品とは限らない。『The Joshua Tree』を知ったあとで『Achtung Baby』を聴くと、「The Fly」がなぜあれほど挑発的だったのかまで聞こえてくる。逆順だと、その衝撃の一部を失います。
そこは僕も同じです。U2を知らない人に一曲だけなら「Where the Streets Have No Name」を選ぶ。イントロからリズム隊が入り、Bonoの声が現れ、曲全体が巨大になっていく過程そのものがU2の説明になっているからです。でも最も優れた一曲なら「One」と迷う。この「入口は『The Joshua Tree』、最深部では『Achtung Baby』と競る」という関係が、結局二枚の評価を決着不能にしているんでしょう。
代表作の陰にある一枚──『The Unforgettable Fire』をどう見るか
二枚のどちらかだけでU2を語ると、1984年の『The Unforgettable Fire』が少し不当に見えなくなるんです。EnoとLanoisとの仕事はここから始まっていて、「Bad」やタイトル曲では、すでに明確なリフやコードだけでなく、音の残響や曖昧な輪郭が曲を作っている。『The Joshua Tree』の空間性は突然完成したわけではない。むしろ『The Unforgettable Fire』の不安定な実験を、より強い曲へ結びつけた結果が87年作だと考えた方がいい。
僕も過小評価された作品を選ぶならそれです。『War』からの変化を考えると、実は『Achtung Baby』と同じくらい大胆かもしれない。『War』には「Sunday Bloody Sunday」「New Year’s Day」のような輪郭の強い曲があるのに、次であれだけ霞んだ音へ行った。その経験があったから、U2には「成功した音を捨ててもバンドは生き残れる」という感覚があったんじゃないかと思います。
つまりU2のキャリアは、『The Joshua Tree』という山頂へ一直線に登って、『Achtung Baby』で突然方向転換した物語ではないんですよね。輪郭を崩して、まとめ直して、巨大になり、また壊す。その反復がある。だから最高傑作論争も、完成度だけを見るか、変化する能力まで作品の価値に含めるかで答えが変わるんです。
そして僕が『The Joshua Tree』を選んだのも、保守的な意味ではありません。あの作品は、それ以前の実験をポピュラーな言語へ変換することに成功したから強い。実験すること自体は価値ではないし、売れること自体も価値ではない。その二つが「With or Without You」のような曲で同時に成立した瞬間に、U2は普通ではない領域へ入った。『Achtung Baby』は、その成功をもう一度危険にさらしたから別の意味で偉大なんです。
対談を終えて
『The Joshua Tree』と『Achtung Baby』の違いは、王道と実験、アメリカとヨーロッパ、80年代と90年代という対比だけでは捉えきれない。前者ではU2は、信仰や政治、愛、喪失という矛盾を巨大な一つの風景へまとめ、音楽が世界と直接向き合えることをまだ信じていた。後者では、その巨大さを獲得した自分たち自身を疑い、歪んだ声、加工されたギター、身体的なビート、アイロニーと複数のイメージによって「U2」という像を分解した。
完成度と普遍性を重視すれば『The Joshua Tree』は依然として最有力の最高傑作であり、自己更新の大胆さとスタジオ表現の深さまで評価するなら『Achtung Baby』が逆転する。重要なのは、後者が前者を否定して成立したのではないことだろう。『The Joshua Tree』で確信を極限まで拡大したからこそ、その確信を疑う『Achtung Baby』が必要になった。U2の二つの最高傑作候補は、異なる答えというより、同じバンドが「信じること」と「疑うこと」の両方を作品にした結果として向かい合っている。

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