
発売年:1985年
ジャンル:ポスト・パンク、ゴシック・ロック、アート・ロック、ダークウェイヴ、コンピレーション
概要
Bauhaus 1979-1983, Vol. 1は、バウハウスの1979年から1983年までの活動を総括する編集盤であり、単なるベスト・アルバムという以上に、このバンドの輪郭を最もわかりやすく、かつ最も象徴的に切り取ったアーカイヴ作品として重要な意味を持つ。バウハウスは一般に「ゴシック・ロックの始祖」として語られるが、その評価は半ば正しく、半ば不十分である。たしかに彼らは、暗く乾いた音像、ピーター・マーフィーの演劇的なヴォーカル、ダニエル・アッシュの削ぎ落とされたギター、デヴィッド・Jの不穏なベース、ケヴィン・ハスキンスの機械的でもあり部族的でもあるドラムによって、その後のゴシック・ロックの視覚と音響の基礎を築いた。しかしその本質は、ただ暗いだけのバンドではなく、ポスト・パンクの解体精神、グラム・ロックのスター性、アート・スクール的な観念性、パフォーマンス芸術的な誇張を同時に成立させたところにある。この編集盤は、その複雑な本質を短い導線で掴ませる。
活動期間そのものは決して長くない。バウハウスは、1979年の“Bela Lugosi’s Dead”で突如として異様な存在感を放ち、1983年の解散までにスタジオ・アルバム4作を残した。だが、この短期間の中で彼らが生み出したイメージと影響力は極めて大きい。The Cure、Siouxsie and the Banshees、Joy Division、The Birthday Party、Public Image Ltd.らと並び、あるいはそれらとは異なる方向から、1980年代初頭の英国アンダーグラウンドの感性を決定づけた。とりわけバウハウスの場合、その影響は音楽にとどまらない。ファッション、照明、メイクアップ、ポーズ、写真映えする身体の使い方まで含めて、彼らは“バンドがどのように見えるべきか”を更新した。Bauhaus 1979-1983, Vol. 1は、そうした視覚文化的な遺産を、音だけで再構成する試みでもある。
編集盤としての本作の価値は、初期シングル、代表曲、アルバム収録曲、そしてバンドの各時期の個性が、比較的コンパクトに圧縮されているところにある。バウハウスのスタジオ・アルバムは、それぞれ性格がかなり異なる。In the Flat Fieldは切迫したノイズと痩せた美学が支配し、Maskではファンクやダブの影響も交えた可塑性が増し、The Sky’s Gone Outではアート・ロック的拡張と散漫さが共存し、Burning from the Insideでは解散前夜の不安定な美しさが刻まれる。これらを一枚の編集盤で横断すると、バウハウスというバンドが、決して単一の“ゴシック・サウンド”を反復していたわけではないことがはっきりわかる。むしろ彼らは、常に自らの様式を少しずつ壊しながら前進していた。
タイトルに含まれる“1979-1983”という時期区分も意味深い。これは単なる活動年の表記ではなく、ポスト・パンクが最も多産かつ変異的だった時代そのものを封じ込めている。1979年はまだパンク以後の可能性が多方向に開いていた時期であり、1983年にはすでにシーンの一部がニュー・ポップやより洗練されたニューウェイヴへと接続しはじめていた。バウハウスはその過渡期のなかで、ポップ市場へ完全には適応せず、かといってアンダーグラウンドの純粋性にも安住せず、極端にスタイリッシュで奇怪な中間地帯を切り開いた。本作は、その4年間の緊張をまとめて経験させる。
また、コンピレーションという形式自体がバウハウスに向いている側面もある。彼らのアルバムは確かに重要だが、ときに過剰で、ときに不均質で、完成度より雰囲気や異常さを優先することも多い。一方で、代表曲単位で切り出したときのバウハウスは、驚くほど輪郭が鮮明である。一本のベースライン、一本のギター・フレーズ、ピーター・マーフィーの低い声の入り方、それだけで世界が成立してしまう。この編集盤は、そうした「瞬時に空気を変える力」を持つ楽曲群を通して、バウハウスの異物性を明瞭に示す。
音楽史的に見ても、本作のような編集盤は、バウハウスの受容において非常に重要な役割を果たしてきた。彼らは後年に至るまで、ジャンルの始祖として引用され続けているが、実際のオリジナル・アルバムは決して万人向けではない。その意味で、Bauhaus 1979-1983, Vol. 1は、後続のリスナーがまず彼らの“像”に触れるための入り口として機能した。そしてその像は、思いのほか単純ではない。ここには吸血鬼的な退廃だけでなく、神経質なダンス感覚、グラム的な耽美、ノイズの切迫、そして時にユーモアさえ混ざっている。この多面性こそが、バウハウスを単なる雰囲気のバンドではなく、実際に独創的な音楽集団として位置づける理由である。
全曲レビュー
※本作は編集盤であり、版によって収録順や細部が異なる場合があるため、ここでは一般にこの編集盤の中核を成す代表的収録曲群を軸にレビューする。
1. Bela Lugosi’s Dead
バウハウスの出発点にして、ゴシック・ロックの原点とされることの多い記念碑的楽曲である。だが、この曲を単に「暗くて長いデビュー曲」と捉えるのは不十分だ。9分を超える長尺、空白を活かしたリズム、異様に痩せたギター、墓場から響くようなヴォーカル。そのすべてが、ロックという形式を最小限まで削ぎ落としながら、同時に異様に豊かな空間を作り出している。
タイトルに掲げられたベラ・ルゴシは、ドラキュラ俳優として古典的ホラーの象徴だが、本曲が扱っているのは単なるホラー趣味ではない。死んだはずのイコンがなお生きている、あるいは死そのものが演劇化されているという感覚だ。バウハウスの本質はここですでに明確で、彼らは暗さをリアリズムとしてではなく、舞台装置として鳴らしている。その演劇性が、後続の無数のゴシック系バンドと彼らを分ける最大の要素である。
2. Dark Entries
“Bela Lugosi’s Dead”が儀式だとすれば、この曲はより鋭利で短距離走的なバウハウスを示す。リズムは性急で、ギターは切り裂くように鳴り、ピーター・マーフィーの声もここでは亡霊というより神経質な煽り手に近い。バウハウスはしばしば重厚なバンドだと思われがちだが、実際にはこのような短く鋭いポスト・パンク・チューンこそ彼らの武器の一つだった。
タイトルの“Dark Entries”は、暗い入口、あるいは暗号化された侵入路を連想させる。歌詞の意味が完全に明瞭である必要はなく、むしろその曖昧さが都市の裏口や心理の裂け目を思わせる。この曲を聴くと、バウハウスがジョイ・ディヴィジョン的な内向性とも、単純なホラー演出とも違う位置にいたことがよくわかる。彼らはもっと動的で、もっと肉体を伴っていた。
3. Telegram Sam
T. Rexのカヴァーであるこの曲は、バウハウスのルーツと特異性を同時に示す重要な収録だ。彼らはしばしばゴシック・ロックの文脈だけで語られるが、実際にはグラム・ロック、とりわけデヴィッド・ボウイやマーク・ボランの影響を色濃く受けている。Telegram Samでは、そのグラム的な軽さと倒錯した華やかさが、バウハウス独自の痩せた音像に通されている。
原曲の持つキャッチーさは残しつつ、演奏はより鋭く、どこか不健康で、冷たい。ここにバウハウスの面白さがある。彼らはルーツへの敬意を示しながら、それをそのまま再現することはしない。むしろ、きらびやかなグラムを死の気配と皮肉で包み直す。このやり方は、のちのゴシック美学全体に大きな影響を与えた。
4. Kick in the Eye
バウハウスの中でも比較的ファンク的な身体性が前面に出た代表曲である。ベースラインは跳ね、ドラムはタイトで、ギターは切れ味を保ちながらもリズムの隙間に入り込む。ポスト・パンクがダブやファンクのリズムを取り込んだ時代性を反映しつつ、バウハウスはそれをあくまで自分たちの陰鬱な舞台性の中に置いている。
タイトルの暴力性も印象的で、「目への一撃」というフレーズには、見ること/見られることへの攻撃が含まれているように思える。視覚文化と切り離せないバンドであるバウハウスが、視線そのものを殴るようなタイトルを掲げるのは象徴的だ。楽曲としても非常に即効性が高く、編集盤の流れの中ではバウハウスの“踊れる不穏さ”を最もわかりやすく体現している。
5. The Passion of Lovers
この曲は、バウハウスの抒情性が比較的わかりやすく表れた代表曲である。タイトルはロマンティックだが、もちろんここで語られる“恋人たちの情熱”は甘いだけのものではない。愛は救済ではなく、執着、死の気配、演技的な誇張と結びついている。バウハウスのラヴソングは常にそうで、感情が直接表出されるのではなく、儀式化された身振りとして鳴らされる。
演奏は流麗で、初期のノイズ感よりも整っている。だからこそ、ピーター・マーフィーの声の異様さがより際立つ。メロディの美しさがありながら、決してポップに安定しない。この“美しいのに落ち着かない”感じは、バウハウスの本質の一つであり、この編集盤でも重要な位置を占めている。
6. Lagartija Nick
タイトルの異物感からして忘れがたい一曲である。“Lagartija”はスペイン語でトカゲを意味し、そこに固有名らしき“Nick”が結びつくことで、意味と語感の両面で奇妙な印象が生まれる。バウハウスはこのような異物的タイトルを用いることで、歌が現実から少しずれた寓話空間に属していることを示す。本曲も、具体的な物語より気配の濃度で成立するタイプの楽曲だ。
音楽的には、ベースの存在感が大きく、ギターは鋭いが過剰には前へ出ない。全体として非常に洗練されており、バウハウスが単なる衝動のバンドではなく、音の配置に神経質なほど気を使う集団だったことがわかる。妖しく、しかしどこか知的。このバランスが素晴らしい。
7. In Fear of Fear
タイトルの時点で、バウハウスの心理劇的な資質がよく表れている。「恐怖を恐れる」という二重化された不安は、まさにポスト・パンク的な感覚だ。現実の脅威そのものより、それに対する自己の反応や予感によって精神が侵食される。本曲はその心理状態を、鋭いリズムと不穏なヴォーカルで具現化している。
ここで重要なのは、恐怖が内面の静かな暗さとしてではなく、身体を駆動させるリズムと共に鳴っていることだ。バウハウスは常に、静止した絶望ではなく、動き続ける不安を音にしていた。この曲はその好例であり、編集盤の中でも彼らの神経質な躍動感を強く印象づける。
8. Party of the First Part
この曲になると、バウハウスの実験性と皮肉が前面に出てくる。タイトルは法的・政治的な言い回しを思わせるが、その形式ばった語感が逆に奇妙なユーモアを生んでいる。バウハウスは深刻なバンドではあるが、常にどこかに皮肉と戯画化が潜んでいる。本曲はその傾向が比較的見えやすい。
サウンドはやや抽象的で、通常のロック・ソングのカタルシスを裏切る。バウハウスの楽曲が単なる“雰囲気もの”で終わらないのは、こうした奇妙な構成感覚のおかげでもある。この曲が編集盤に入ることで、彼らが代表曲だけのバンドではなく、かなり捻れたセンスの持ち主だったことがよく伝わる。
9. Double Dare
初期バウハウスの切迫感を代表する重要曲であり、デビュー作周辺の空気を理解するうえで欠かせない。タイトルの挑発的な響きもさることながら、演奏そのものが非常に尖っている。ギターは擦り切れるように鳴り、ドラムは機械的な反復と人力の苛立ちの中間にあり、ヴォーカルはほとんど脅迫的である。
この曲を聴くと、バウハウスが“美しい闇”のバンドになる以前に、極めて攻撃的なポスト・パンク・バンドだったことがわかる。後年のゴシック的イメージだけでは捉えきれない、むき出しの初期衝動がここにはある。編集盤の中でも、原点を鋭く示す役割を担う一曲だ。
10. In the Flat Field
バウハウスの代表曲の一つであり、彼らの初期美学の核心を成す。平坦な野、あるいは無機的な平面を思わせるタイトルどおり、この曲には有機的な温かみがほとんどない。音は乾き、空間は広いのに息苦しく、ピーター・マーフィーの声は人間的感情を超えて儀式化されている。まさにバウハウスの“冷たい劇場”が完成された瞬間である。
同時に、この曲はポスト・パンクの抽象性とロックの肉体性を高いレベルで両立している。音楽は観念的なのに、演奏の圧は強い。この矛盾が彼らの魅力であり、後続の多くのダーク系バンドがこのレベルに達することはなかった。この編集盤の中でも、最も“バウハウスとは何か”を一曲で示す収録と言える。
11. Ziggy Stardust
デヴィッド・ボウイの有名曲を取り上げたこのカヴァーは、バウハウスの系譜意識を露骨に示す一方で、それを単なる憧れの表明に留めていない。ボウイのグラム的スター性、虚構の人格、自己神話化は、バウハウスと非常に深い共通項を持つ。しかし彼らは原曲の華やかさをそのまま受け継がず、より痩せた、不穏で、死の気配をまとったロックへ変質させる。
この曲が編集盤に置かれることで、バウハウスの音楽が単なる地下的な暗黒趣味ではなく、グラム・ロックの大きな物語の歪んだ継承であることがはっきりする。ボウイの仮面が、バウハウスの手にかかると少し壊れ、少し腐食し、それゆえに新しい意味を帯びる。その変換能力がこのバンドの特異性だ。
12. She’s in Parties
後期バウハウスの代表曲であり、彼らが最もポップに接近した瞬間の一つでもある。タイトルの“彼女はパーティーにいる”というフレーズは一見軽やかだが、実際には疎外、視線、消費、都市的な空虚さを強く含んでいる。パーティーという場に「いる」ことは、属していることと同時に、演じられ、見られ、失われていくことでもある。
楽曲は驚くほど洗練されており、バウハウスとしてはかなり開かれたキャッチーさを持つ。だが、そのポップさは決して明るさに回収されない。むしろ、きらびやかな表面の下にある空虚がいっそう際立つ。この曲を最後期の代表として収めることで、編集盤はバウハウスがどこまで開いてもなおバウハウスであり得たことを示している。
総評
Bauhaus 1979-1983, Vol. 1は、バウハウスの全貌を完全に示す作品ではない。アルバム単位で聴いたときに見える実験性や散漫さ、長尺の気配、構成の奇妙さまでは、この種の編集盤だけでは掴みきれない。だが、それでも本作は極めて重要である。なぜなら、バウハウスというバンドがどれほど多面的で、しかもそのすべてが独自だったかを、非常に効率よく示しているからだ。
ここで聴けるのは、吸血鬼的な退廃だけではない。鋭いポスト・パンクの緊張、グラムの華美な残響、ファンク的身体性、アート・ロック的な観念性、そしてポップに接近しながらなお不安定さを失わない感覚である。バウハウスが後続へ与えた影響は、ゴシック・ロックの見た目や暗いムードだけではなく、こうした“様式化された不安定さ”そのものだった。その本質を、編集盤という形でこれほど明確に感じさせるのが本作の価値である。
また、本作はバウハウスの活動期間の短さを逆に強みとして感じさせる。彼らは長く続いたバンドではないが、その4年間で残した痕跡は濃密で、しかも変化に富んでいる。この編集盤を通して聴くと、彼らが決して自己模倣に安住せず、短期間で異なる顔を次々に見せていたことがよくわかる。結果として、Bauhaus 1979-1983, Vol. 1は単なる入門編ではなく、バウハウスという存在がいかにジャンルを超えていたかを示す重要な記録である。ゴシック・ロックの歴史資料としてだけでなく、ポスト・パンクという時代の歪んだ創造力の結晶として評価されるべき編集盤だ。
おすすめアルバム
1. Bauhaus – In the Flat Field
バウハウスの原点にして、最も切迫したポスト・パンク作品。編集盤で触れた初期の鋭さを、アルバム全体の緊張の中で味わえる。
2. Bauhaus – Mask
ファンク、ダブ、実験性を吸収しながら音楽的な幅を広げた重要作。編集盤に収められた中期の楽曲群の背景を理解するのに最適。
3. Bauhaus – The Sky’s Gone Out
アート・ロック的拡張と散漫さが共存する3作目。バウハウスの過剰で不安定な魅力をより深く確認できる。
4. Bauhaus – Burning from the Inside
解散前夜の不安定さと美しさが刻まれた最終作。後期バウハウスのポップさと崩壊感覚を補完するのに重要。
5. Peter Murphy – Should the World Fail to Fall Apart
フロントマンであるピーター・マーフィーの初期ソロ作。バウハウス由来の演劇性と耽美性が、より洗練された形で展開されている。



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