発売日: 1976年3月25日
ジャンル: ポップロック、ソフトロック、AOR
『Wings at the Speed of Sound』は、Paul McCartney & Wings が1976年に発表したアルバムである。
前作『Venus and Mars』と『Band on the Run』の成功で、Wings は世界的バンドとして完全に確立した。
本作はその絶頂期に、より“バンドらしさ”を求めて制作された作品であり、
ポール一人だけではなく、メンバー全員の個性を前面に取り入れた点に大きな特徴がある。
1970年代半ばのポップ／ロックシーンは、技巧的なAOR、洗練されたソフトロック、
そしてアメリカのルーツ音楽が混ざり合い、滑らかで都会的なサウンドへ移行していた。
ポールはその流れを自然に受け止め、
柔らかく、軽く、耳に優しいポップソングを量産する環境を得ていた。
そのため『Wings at the Speed of Sound』は、ロックの豪快さよりも、
日常に寄り添うような親しみやすさと、洗練されたアレンジが際立っている。
制作時、ポールは“Wings を全員が歌えるバンドにする”という目標を掲げ、
デニー・レイン、リンダ・マッカートニー、ジミー・マカロック、ジョー・イングリッシュが
それぞれリードヴォーカルを担当する曲を収録した。
これはWings の“ファミリー性”を提示する重要な動きであり、本作の独自性を形作っている。
もちろん、ポールのメロディメーカーとしての才能は健在で、
「Silly Love Songs」や「Let ’Em In」に代表されるように、
耳に残るフックと軽やかなグルーヴが全体を支配している。
結果として本作は、派手さはないが、
ポールの“優しさ”と“余裕”が最も自然体で現れた作品のひとつとなっている。
全曲レビュー
1曲目：Let ’Em In
本作を象徴する、柔らかく開放的なポップソング。
ゆったりとしたドラムと鍵盤の上に、ポールの飄々とした歌声が乗る。
扉をノックするリズムが曲全体のテーマを形作り、温かい世界観を広げる。
2曲目：The Note You Never Wrote
デニー・レインがリードを担当。
ミステリアスな雰囲気とメランコリックなメロディが独特の味を出している。
バンド性を強めるうえで重要な位置づけの一曲。
3曲目：She’s My Baby
軽快でシンプルなポップナンバー。
日常の愛らしさがそのまま音になったような、ほのぼのとした魅力がある。
4曲目：Beware My Love
本作で最も力強いロックナンバー。
緊張感のあるイントロから一気に加速し、
ポールのシャウト気味のヴォーカルが圧倒的な存在感を放つ。
ライブでも人気が高い。
5曲目：Wino Junko
ジミー・マカロックが歌う、哀愁の漂うロック曲。
ドラッグ問題をテーマにしており、軽快さの裏に重い意味がある。
6曲目：Silly Love Songs
本作最大のヒットであり、ポールの代表作のひとつ。
「お前は甘いラブソングばかり書く」という批判に対して、
ポールが“だからこそ書くんだ”と応えるように生まれた曲である。
ベースラインが抜群に気持ち良く、AOR的な光沢も持つ傑作。
7曲目：Cook of the House
リンダ・マッカートニーがボーカルを務める家庭的な楽曲。
キッチンの生活音をそのまま取り込むなど、素朴で遊び心が強い。
8曲目：Time to Hide
デニー・レインによるソウルフルなヴォーカルが際立つ。
ライブ映えするエネルギッシュな曲で、Wings の実力を強く感じる。
9曲目：Must Do Something About It
drummer ジョー・イングリッシュが歌う珍しい楽曲。
温かく落ち着いた歌声が、曲の穏やかさをより深めている。
10曲目：San Ferry Anne
ジャズ、カントリー、ポップが混ざり合う不思議な雰囲気の曲。
ポールの多彩な音楽性が光る。
11曲目：Warm and Beautiful
アルバムを締めくくる優しいラブソング。
シンプルで深い温もりがあり、ポールらしい誠実な歌詞が沁みる。
総評
『Wings at the Speed of Sound』は、
Paul McCartney & Wings が“バンドとしての成熟”を示した作品である。
『Band on the Run』『Venus and Mars』のような強いコンセプトや劇的展開はないが、
その代わりに、温かく、開放的で、日常の隣に寄り添うような魅力が詰まっている。
本作の最大の特徴は、
Wings の全メンバーが歌える“バンドの平等性”を表現した点である。
これは当時のロックバンドにしては珍しいアプローチであり、
ポールが音楽を家族・仲間と分かち合う“共同体としてのWings”を
本気で作り上げようとしていたことを示している。
また、
- AORに接近した洗練されたサウンド
- 柔らかい質感のアレンジ
- ライトな遊び心と実験のバランス
が、本作の大きな魅力となっている。
同時代のアーティストで比較すると、
・Steely Dan の都会的な洗練
・10cc の柔らかいポップ構築
・Fleetwood Mac の“家庭的な温かさ”
などとも通じるが、
ポール特有の優しいメロディが全てを統一しているため、
本作はWingsの作品でありながら“ポールらしさ”が核にある。
『Wings at the Speed of Sound』が今も聴き継がれる理由は、
派手ではないが、心地よさと温かさが溢れており、
日常の中でふと聴きたくなるような普遍的魅力があるからだ。
疲れた心にそっと寄り添うような、
そんな“優しいポール”が詰まった作品である。
おすすめアルバム（5枚）
- Band on the Run / Paul McCartney & Wings
Wings の頂点であり、本作との聴き比べが楽しい。 - Venus and Mars / Paul McCartney & Wings
劇的構成とバンド感がより強調された前作。 - Red Rose Speedway / Paul McCartney & Wings
柔らかいメロディと甘いサウンドが本作と響き合う。 - Aja / Steely Dan
洗練と柔らかさのバランスという観点で比較に最適。 - Rumours / Fleetwood Mac
70年代の“家族的ロック”の代表作として相性が良い。
制作の裏側（任意セクション）
『Wings at the Speed of Sound』の制作は、
国際的なツアーと並行して行われたため、
録音スケジュールは断続的だった。
だがその環境が、全員参加の空気をさらに強め、
スタジオが“旅の続きのような場所”になっていたという。
また、ポールが“批評家の声を意識しなくなっていた時期”でもあり、
音楽の楽しさや仲間との共同作業を重視した結果、
作品全体が軽やかで温かい空気に包まれている。
「Silly Love Songs」は、
“ポールは甘い歌しか書けない”という批判に対し、
彼がユーモアを込めて反論した曲であることがよく知られている。
その遊び心、軽やかさ、そしてメロディの強さは、
本作全体の精神を象徴している。
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