発売日: 2018年（PBSコンサート特番音源）
ジャンル: クロスオーバー・クラシック、シネマティック・ポップ、ワールド・ミュージック、ジャズ
概要
『An Evening with Lucia Micarelli』は、ヴァイオリニスト、ルチア・ミカレリによるライブ・アルバムであり、PBS（米国公共放送）の特別番組として制作された同名のTVコンサートの音源をもとにしている。
これまで『Music from a Farther Room』や『Interlude』といったスタジオ作品でクラシックとポップ、フォークやジャズ、さらにはワールドミュージックを繊細に交差させてきたミカレリにとって、本作は**“現在の彼女”の集大成的ライブ・パフォーマンス**である。
彼女のヴァイオリンは、単なるメロディの再現ではなく、歌い、叫び、囁き、物語を語るように感情を纏って響く。
本作ではその魅力が最大限に可視化・可聴化されており、スタジオ録音では味わえないダイナミズムと呼吸感に満ちている。
演奏される楽曲の多くは、クラシックや映画音楽、ジャズ・スタンダード、オリジナル曲のほか、ピアソラ、ツィガーヌ（ジプシー）音楽、民謡的旋律を含み、まさに“ルチア・ミカレリというジャンル”の魅力が凝縮されている。
全曲レビュー（主要セットリストより）
1. Kashmir（Led Zeppelin カバー）
エレキ・ヴァイオリンとロックバンド編成による迫力満点のオープニング。
ツェッペリンの名曲を中東的なスケールと交差させた解釈は、ミカレリならでは。
クラシックでもロックでもない、“サーキット・オリエンタル・クロスオーバー”としての異色パフォーマンス。
2. Summer（ヴィヴァルディ『四季』より）
クラシック・レパートリーの代表作ながら、テンポ、強弱、表現において非常に自由。
ルバートを効かせた序盤から、嵐のように駆け抜ける終盤まで、彼女のテクニックと表現力が炸裂する。
3. Bohemian Rhapsody（Queen カバー）
デビュー作にも収録されていた同曲をライブ用に再構築。
ストリングス編成とピアノによる繊細な構成で、原曲の壮大さとミカレリ独自の情感を両立させている。
客席の静寂が“語り”として作用する。
4. Interlude
2ndアルバムのタイトル曲を、より即興的で自由な解釈で演奏。
ピアノとヴァイオリンの二重奏で、聴く者の呼吸と共鳴するような時間を紡ぎ出す。
5. Love Song for a Vampire（Annie Lennox カバー）
ゴシックな映画音楽をヴァイオリンで艶やかに表現。
闇と光、激しさと静けさが交互に現れる構成は、まるで映画を見ているような感覚にさせられる。
6. Adagio（Albinoni）
古典的な旋律に現代的なエモーションを注ぎ込んだ、アルバム中最もスピリチュアルな演奏。
観客の息を呑むような静けさの中で、音が祈りのように響き渡る。
7. America（West Side Storyより）
ラテン・リズムを大胆に取り入れたアレンジで、ダンスするような弓さばきが光る。
ミュージカル音楽の可能性を拡張する一曲。
8. Outro / Reprise（Original Theme）
オリジナル曲の断片を組み合わせたエンディング・セクション。
すべてのジャンル的要素が交差しながら消えていく様は、ルチアの音楽人生そのものを象徴している。
総評
『An Evening with Lucia Micarelli』は、ルチア・ミカレリが“ジャンルという制約から完全に自由になった瞬間”を記録したドキュメンタリー的ライブ・アルバムである。
クラシックの厳格さ、ロックの衝動、映画音楽のドラマ性、フォークの親密さ――それらすべてを彼女は“一つのヴァイオリン”で語り尽くす。
そして何より特筆すべきは、聴く者の感情と共鳴する“間”と“余白”の使い方であり、それは即興性にも似た生々しい感性によって生まれる“今この場だけの物語”となって響く。
本作には、観客の拍手、呼吸、沈黙すらが“演奏の一部”として収められており、録音では再現できない“ライヴという体験”を音に閉じ込めることに成功している。
ルチア・ミカレリが今もなお「演奏家」であり続けながら、「語り手」「旅人」「祈り手」でもあることを実感させる、極めて詩的なライヴ・アルバムである。
おすすめアルバム（5枚）
- Joshua Bell『At Home with Friends』
クラシックからポップスまでをゲストと共に旅するような作品。多彩な表現力が共鳴する。 - 2Cellos『Live at Arena Zagreb』
クラシックとロックを自在に行き来するライヴ・アルバム。表現の振れ幅がミカレリと似る。 - David Garrett『Explosive Live!』
ヴァイオリンで描くロックとクラシックの交差点。技巧と情熱のライブ盤。 - Yo-Yo Ma & The Silk Road Ensemble『Sing Me Home』
ワールドミュージックとの融合により生まれる“現代の民俗音楽”。音楽的多様性が近似。 -
Lindsey Stirling『Live from London』
ダンスと電子音、クラシックが混ざる現代的ヴァイオリン・ライブ。演出性とストーリーテリングが共通。
ビジュアルとパフォーマンス演出
ステージ上でのルチア・ミカレリは、黒のドレスと光の演出に包まれながら、静と動、強と弱、美と痛みのすべてを身体で語っていく。
照明はシンプルながら、彼女の動きと音に完全に同期しており、ステージは“音楽と光の詩的演劇”とも言える空間になっている。
特筆すべきは、彼女が目を閉じながら演奏する場面の多さ。
それは単に集中しているのではなく、彼女が“音の中に自らを溶かしている”瞬間なのである。
そして、その没入感こそが、観客にも深く伝播していく。
ライブ作品としての意義
『An Evening with Lucia Micarelli』は、ライブ・アルバムでありながら、まるで旅日記や詩集のように聴くことができる稀有な作品である。
それは、彼女の音楽が“誰かのために弾く”のではなく、“誰かと共に存在する”ための音だからだ。
クラシックとポップの境界を超えて、ただ“感情を音で伝え合う”という原初的な喜びに立ち返ること――それが、このアルバムがリスナーに提示する最も根源的なテーマなのかもしれない。
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