
発売日:1991年
ジャンル:オルタナティヴ・ロック、ポスト・ハードコア、ノイズ・ロック、インディー・ロック
概要
Humの『Fillet Show』は、のちに『Electra 2000』や『You’d Prefer an Astronaut』で完成度を高めていくことになる、このバンドの美学がまだ粗く、しかし非常に鮮明な衝動として記録された初期作品である。現在のHumは、重く分厚いギター、宇宙的な広がり、シューゲイズ的な霞、そしてマット・タルボットのどこか不器用で親密なヴォーカルによって、1990年代以降の轟音系オルタナティヴの重要バンドとして広く再評価されている。しかし、その後年のイメージから『Fillet Show』へ遡ると、まず驚かされるのは、この作品がかなり地上に近く、ざらついていて、ポスト・ハードコアやノイズ・ロック的な切迫感を強く帯びていることだ。
つまり『Fillet Show』のHumは、まだ“宇宙的轟音ロックの完成形”ではない。むしろここで聴けるのは、インディー・ロック、ポスト・ハードコア、90年代前夜のアメリカ地下シーンの雑味をまとった、若いバンドのせめぎ合いである。だが、その未整理な感触の中に、のちのHumを決定づける要素はすでにはっきり存在している。重いギター・リフとメロディの奇妙な同居、感情をむき出しにしきらないヴォーカル、身体感覚と抽象性が入り混じる歌詞、そして単なる攻撃性では終わらない音の奥行き。『Fillet Show』は、そうしたHumの核がまだむき出しの状態で封じ込められた作品として非常に重要だ。
1991年という時代を考えると、このアルバムの位置づけはさらに興味深くなる。アメリカン・オルタナティヴ・ロックが一気にメインストリームへ噴き上がる直前、ポスト・ハードコアやノイズ・ロック、ミッドウェスト・インディー、グランジ、シューゲイズなどの境界がまだ今ほど整理されていなかった時代に、Humはそのどれにも完全には収まらない音を鳴らしていた。『Fillet Show』には、シアトル的な泥臭い重さとは異なる、より神経質で角張ったギターの感触があり、同時に後年のHumに通じる“上空へ抜ける感じ”の萌芽もある。このアルバムは、バンドがまだ自分たちの最終的な輪郭を知らないまま、それでもすでに他と違う場所に立っていたことを証明している。
タイトルの『Fillet Show』もどこかHumらしい。切り身、解体、露出、見世物といった語感が混ざり合い、どこか身体的で不穏な印象を与える。Humの歌詞世界は後年になるほど宇宙や距離、異物感、機械的イメージとの結びつきを強めていくが、この時点ではもっと生々しい身体性や衝動が前に出ているように感じられる。言葉はまだ断片的で、意味が一つに定まるタイプではないものの、皮膚感覚や居心地の悪さ、若い苛立ちが音の表面に近いところで鳴っている。その意味で『Fillet Show』は、後年のHumの“遠くを見る音楽”に対して、もっと“近くて切実な痛み”を持った作品だともいえる。
音楽的には、ギターの扱いが非常に面白い。のちのHumほどチューニングの深みや巨大な残響空間が完成しているわけではないが、それでもすでにギターは単なるコード伴奏やリフの提示に留まっていない。ときにノイジーにうねり、ときに重い塊となり、ときに妙な浮遊感を持つ。そのため『Fillet Show』のサウンドは、ポスト・ハードコア的に切り込んでくる瞬間と、後のスペース・ロック的感覚の入口のような瞬間が交互に現れる。また、リズム隊も単なる土台ではなく、バンド全体の緊張感を形作る重要な役割を担っている。若いバンドらしい荒さはあるが、その荒さが単なる未熟さではなく、音の切迫感そのものとして機能しているのがこの作品の魅力である。
マット・タルボットのヴォーカルも、この時点でかなり独特だ。後年のような轟音の中で淡々と漂う声というより、まだ少し怒気や切迫感が前に出ている。しかし、完全に絶叫型のハードコア・ヴォーカルにはならない。その中間の、頼りなさと圧の共存こそがHumらしさであり、『Fillet Show』ではそれがより剥き出しのかたちで現れている。声が前に出すぎないからこそ、逆に内面のざらつきが伝わる。のちのHumを知っている耳で聴くと、この声が後年どのように“宇宙的な親密さ”へ変化していったか、その出発点として非常に興味深い。
キャリア全体で見ると、『Fillet Show』はHumの代表作として真っ先に挙げられる作品ではない。完成度、知名度、影響力でいえば、後続のアルバムに譲る部分は確かにある。だが、それでもこの作品は、Humというバンドが最初から単なる時代の一バンドではなく、後に大きな独自性へ育っていく感覚をすでに持っていたことを示す。『Fillet Show』には、若さゆえの未整理さがある。しかしその未整理さの中にこそ、Humの重要な資質——重さ、距離、身体、ノイズ、メロディ、疎外感——が濃く存在している。だからこのアルバムは、“初期の資料”ではなく、Humの成り立ちを知るための決定的な作品として聴かれるべきである。
全曲レビュー
1. Winder
オープニングを飾る「Winder」は、後年のHumファンにとっても興味深い導入曲である。のちの『Electra 2000』にも再録されるこの曲は、バンドの初期衝動と将来性の両方を象徴している。まず印象的なのは、ギターのざらついた重量感だ。まだ後年ほど巨大な空間性はないが、それでも単なるラフなオルタナ・リフに留まらない厚みがある。リズムは前のめりで、ポスト・ハードコア的な緊張感も濃い。一方で、メロディにはすでにHum特有の“曇った浮遊感”があり、ただ激しいだけでは終わらない。初期版ならではの荒さが、のちの再録版とは違った切迫感を与えており、Humの原型を知るうえで非常に重要な一曲である。
2. Tilt
この曲では、Humの持つ不安定さと身体感覚が強く表れている。タイトルの“傾き”が示すように、楽曲全体にバランスの崩れそうな感覚があり、リフやリズムもどこか落ち着かない。若いバンドらしい粗さが前面に出ている一方で、その粗さが単なる雑さにならず、むしろ精神の揺れとして作用しているのが面白い。マット・タルボットのヴォーカルも、のちの幽体的な歌い方より、もう少し直接的に神経を逆なでする。Humが重さを“圧”だけでなく、“感覚のずれ”として使うことになる、その初期型がここにある。
3. Escape Pod
タイトルからして、後年のHumに通じるSF的、脱出願望的なイメージが見える。もっとも、この時点ではそのイメージは壮大な宇宙ロマンというより、もっと切実な“ここではないどこかへ逃れたい”という心理に近い。サウンドはヘヴィで、インディー/ポスト・ハードコア的な切れ味を持ちながらも、ところどころに空間を見上げるような感触が差し込む。Humの特徴である“重いのに遠い”感覚が、まだ未完成ながらしっかり顔を出している。アルバムの中でも、後年の方向性をもっとも予感させる曲の一つだろう。
4. Comin’ Home
のちに『Electra 2000』でも再登場するこの曲は、『Fillet Show』の中では比較的輪郭のはっきりした楽曲である。タイトルの“帰ってくる”という言葉は一見分かりやすいが、Humの音楽において帰還は安堵の表現にはなりにくい。むしろ、戻る場所が本当に居場所なのか分からないまま近づいていくような、不安を含んだ移動の感覚がある。この初期版では、そうした感覚がより粗く、切実に表出している。サウンドの厚みは後年ほど洗練されていないが、そのぶんバンドの生身の衝動が前に出ており、若いHumならではの良さがある。
5. Firehead
本作の中でもとりわけ攻撃性が目立つ楽曲。タイトルどおり、熱を持った頭部、燃え上がる思考、あるいは自壊寸前の興奮状態のようなものが感じられる。ギターは鋭く、リズムも前に押し出してくるため、アルバムの中盤に強い推進力をもたらしている。とはいえ、Humはここでも純粋なハードコアにはならない。激しさの内側に、どこか輪郭のぼやけたメロディや距離感が残っているからだ。そのため「Firehead」は単なる爆発ではなく、熱を持ちすぎた意識が自分自身を焼いていくような、不安定な魅力を持っている。
6. Space Fuck
タイトルの直接性には初期Humらしい若さと挑発がある。後年のHumがより抽象的で遠心的なイメージへ進んでいくことを考えると、この曲の生々しさはかなり際立つ。しかし、単なる露悪的なノイズ・ロックでは終わっていない。音そのものには、すでに重さと広がりの両立が見えており、身体的な言葉遣いと宇宙的な語感が奇妙に混ざっている。Humの美学にとって、性や身体は常に露骨な対象ではなく、疎外や距離のメタファーにもなっていた。この曲はその出発点のように聴ける。初期衝動の荒々しさが非常に面白い一曲だ。
7. Firehead II
同じモチーフの変奏、あるいは引き延ばしのようにも感じられるこの曲は、『Fillet Show』が単なる曲の集合ではなく、感触の連鎖で成り立っていることを示している。初期Humには、後年のようなアルバム単位の壮大な設計はまだ見えにくいが、それでもこうした反復感覚には、のちの“持続する轟音”の美学の萌芽がある。サウンドは荒く、エネルギーの処理もまだ直截的だが、その未整理さが逆に良い。アルバムの中で同種の熱が別の角度から再提示されることで、作品全体の切迫感が増している。
8. Pork Chop
タイトルの俗っぽさ、生々しさが印象的な一曲。Humはこの初期段階では、後年よりずっと身体に近い言葉を使っており、この曲もその代表例だろう。サウンドはやや跳ねるような感触を持ちつつも、やはり重さが基調にある。そのため、グルーヴがあっても軽くはならず、むしろ粘着質なノイズ・ロックに近い味わいがある。歌詞の意味を厳密に追うというより、語感と音の押し出しによって身体感覚を生み出すタイプの曲であり、初期Humの“地べた感”がよく出ている。
9. Aphids
後年『Electra 2000』でも知られることになるこの曲の初期版は、完成形と比べるとかなり生々しい。タイトルの“アブラムシ”が持つざわつく生物感、不快さ、微細な侵食のイメージが、この時点からすでにHumの感性に強く結びついていたことが分かる。サウンドはまだ荒く、ギターの層も薄いが、そのぶん不穏さは直接的だ。Humが宇宙や距離だけでなく、生物的で微視的な不安をも重要なモチーフにしていたことが、この曲からよく分かる。後年の再録と聴き比べることで、バンドの進化が特によく見える一曲である。
10. Diffuse
『Fillet Show』の終盤で印象を残す重要曲。“拡散する”というタイトルどおり、この曲にはHumの後年につながる音像の広がりがはっきりと感じられる。もちろん、この時点ではまだ音の壁は粗く、残響も制御しきれていない。しかし、その未整理な拡散こそがむしろ魅力になっている。重いギターがただ前に押し出されるのではなく、空間へ散っていく感覚は、Humが他のラウドなインディー・バンドと決定的に違っていた点でもある。アルバムを締めくくる流れの中で、この曲が未来のHumをもっとも予告している。
総評
『Fillet Show』は、Humのディスコグラフィの中では最も荒く、最も若く、そして最も地に足のついた作品である。後年の『Electra 2000』や『You’d Prefer an Astronaut』に見られる、あの巨大な轟音と浮遊感の美学を期待すると、最初は少し戸惑うかもしれない。だが、このアルバムの価値は、まさにその“まだ完成していない感じ”にある。ここにはポスト・ハードコア的な切迫感、ノイズ・ロック的なざらつき、インディー・ロックの神経質な手触りが色濃く残っており、Humが後年あれほど独自のバンドになる以前の、むき出しの衝動が刻まれている。
重要なのは、この作品が単なる習作ではないことだ。確かに完成度や音響の深みでは後続作に及ばない部分もある。しかし、Humの核心——重さと距離感の同居、身体性と抽象性の交差、リフの重量とメロディの曖昧な美しさ——は、すでにここではっきり存在している。つまり『Fillet Show』は、後の名作への踏み台というより、その名作群の原液に近い。荒削りで、未整理で、それゆえに濃い。
また、この作品は1991年という時代のアメリカ地下ロックの面白さをよく伝えている。まだジャンルの境界が今ほど固定されていない時代に、Humはポスト・ハードコアともグランジともノイズ・ロックとも言い切れない場所で、自分たちだけの感触をすでに持っていた。その意味で『Fillet Show』は、Humの歴史だけでなく、90年代前夜のオルタナティヴ・ロックの多様さを知るうえでも重要な記録である。
Hum入門として最初に選ぶ作品ではないかもしれない。しかし、Humというバンドがどこから来たのかを知るには、このアルバムは欠かせない。後年の宇宙的ロマンや巨大な轟音が生まれる前、もっと近くて荒くて切実だったHum。その姿がここにはある。『Fillet Show』は、完成された傑作ではなく、傑作が生まれる直前の高密度な揺らぎとして聴くべきアルバムであり、その意味で非常に価値の高い初期作である。
おすすめアルバム
- Hum『Electra 2000』
本作の次にあたる作品で、初期衝動を保ちながら轟音と浮遊感のバランスが大きく洗練されている。『Fillet Show』からの進化を確認するのに最適。
– Hum『You’d Prefer an Astronaut』
バンドの代表作。メロディ、ヘヴィネス、宇宙的広がりが最も広く共有された形で結実している。
– Shiner『Splay』
ミッドウェスト由来のポスト・ハードコアとオルタナティヴの緊張感を備えた名作。初期Humの角張った感触が好きなら相性が良い。
– Helmet『Meantime』
リフの硬質さ、身体的な重量感、90年代初頭オルタナティヴの切迫感という面で、『Fillet Show』と並べて聴く価値が高い。
– Drive Like Jehu『Yank Crime』
よりポスト・ハードコア色が強いが、荒々しさと異様な構築感の両立という点で、初期Humの魅力を別方向から味わえる。

コメント