
発売日:2021年8月27日
ジャンル:オルタナティヴ・ロック、フォーク・ロック、ポップ・ロック、アダルト・オルタナティヴ
概要
Toad the Wet Sprocketの『Starting Now』は、2021年に発表された通算7作目のスタジオ・アルバムであり、1990年代アメリカン・オルタナティヴ・ロックを代表するバンドのひとつが、長いキャリアを経て到達した成熟した作品である。1980年代後半にカリフォルニア州サンタバーバラで結成されたToad the Wet Sprocketは、1990年代前半に『Fear』や『Dulcinea』を通じて、フォーク・ロック的な温かさ、オルタナティヴ・ロックの内省、メロディックなポップ感覚を結びつけたサウンドを確立した。「All I Want」「Walk on the Ocean」「Fall Down」などの楽曲は、同時代のグランジやポスト・グランジの轟音とは異なる、より穏やかで文学的なアメリカン・ロックの流れを象徴している。
『Starting Now』は、2013年の『New Constellation』以来となるオリジナル・アルバムであり、バンドの再始動後の歩みをさらに安定した形で示す作品である。タイトルの「Starting Now」は「今から始める」「ここから始める」という意味を持ち、過去への回帰ではなく、現在の自分たちの立場からもう一度音楽を鳴らすという姿勢を示している。若さの衝動や90年代的な時代性を再現するのではなく、年月を経た人間が抱える喪失、回復、関係性、希望を、穏やかで誠実なバンド・サウンドに乗せて描くアルバムである。
Toad the Wet Sprocketの音楽の中心には、Glen Phillipsの声がある。彼のボーカルは、派手な技巧や極端な感情表現ではなく、言葉を自然に届ける透明感と、内面に沈む感情を静かに浮かび上がらせる力を持っている。『Starting Now』でもその特徴は変わらず、楽曲の多くは強いメロディを持ちながら、過剰にドラマ化されない。日常の中にある痛み、時間の流れ、愛情の変化、自己受容への願いが、穏やかな声とアンサンブルによって表現される。
音楽的には、本作はToad the Wet Sprocketらしいフォーク・ロックとポップ・ロックの中間に位置している。アコースティック・ギターの温かさ、エレクトリック・ギターの控えめな厚み、安定したリズム・セクション、ハーモニーの柔らかさが一体となり、派手さよりも持続する聴き心地を重視した音作りになっている。1990年代の彼らを特徴づけた、R.E.M.以降のカレッジ・ロック的な端正さや、アメリカ西海岸らしい開放感は残っているが、ここではより落ち着いたアダルト・オルタナティヴの感触が強い。
2021年という時代背景を考えると、本作の「再出発」というテーマはさらに意味を持つ。世界的な不安や分断、パンデミック以後の孤立感が強まる中で、『Starting Now』は直接的な社会批評を掲げるのではなく、個人が日々をどう立て直すか、関係をどう保つか、過去の痛みをどう抱えながら前へ進むかを歌っている。これはToad the Wet Sprocketが長く得意としてきた領域であり、社会の大きな物語ではなく、個人の心の輪郭を丁寧に描く音楽である。
キャリア上では、本作はバンドの全盛期を再現するアルバムというより、現在のToad the Wet Sprocketが無理なく鳴らせる音楽を形にした作品といえる。『Fear』や『Dulcinea』のような若々しい切迫感は薄いが、その代わりに、長く生き、長く音楽を続けてきたバンドならではの静かな説得力がある。若い頃の痛みを叫ぶのではなく、年齢を重ねた後に残る痛みを見つめ、それでも「今から始める」と言う。その姿勢が本作全体を貫いている。
全曲レビュー
1. Game Day
オープニングの「Game Day」は、アルバムの出発点として非常に効果的な楽曲である。タイトルは「試合の日」「本番の日」を意味し、何かに向き合う瞬間、逃げずに場に立つ瞬間を連想させる。アルバム全体のタイトルが『Starting Now』であることを考えると、この曲は「今から始める」ために、まず現実の場へ出ていく姿勢を示している。
音楽的には、Toad the Wet Sprocketらしい軽快なギター・ポップ/フォーク・ロックの質感がある。エレクトリック・ギターは適度に明るく、リズムは穏やかな推進力を持つ。極端に派手なオープニングではなく、自然にアルバムの世界へ導くような曲である。Glen Phillipsのボーカルも落ち着いており、力んで再出発を宣言するのではなく、静かに歩き出すような印象を与える。
歌詞の面では、準備、緊張、挑戦、自己確認といったテーマが読み取れる。人生における「本番」は、スポーツの試合のように明確な開始の合図があるとは限らない。しかし、ある日突然、自分の態度を決めなければならない瞬間が訪れる。「Game Day」は、そのような日常的な決断の感覚を、明るすぎず、暗すぎないロック・サウンドで表現している。
この曲がアルバム冒頭に置かれることで、『Starting Now』は過去を振り返るだけの作品ではなく、現在進行形の行動のアルバムとして始まる。若いバンドの初期衝動とは異なるが、成熟したバンドによる静かな始動感がある。
2. Starting Now
タイトル曲「Starting Now」は、本作のテーマを最も直接的に表す楽曲である。「今から始める」という言葉には、過去を完全に消すことはできないが、それでも現在から新しい行動を選ぶことはできるという意味がある。これは若者の無邪気な再出発ではなく、失敗、後悔、時間の経過を知った人間の再出発である。
音楽的には、メロディの明快さと落ち着いたアンサンブルが印象的である。ギターは温かく、リズムは堅実で、曲全体に前向きな空気がある。ただし、その前向きさは過度な楽観ではない。Toad the Wet Sprocketらしく、希望は慎重に差し出される。大きなアンセムではなく、日々の中で自分に言い聞かせるような歌である。
歌詞では、過去の重さを認めながら、そこに留まり続けない意志が描かれる。人生の中で、人は何度も「もっと早く気づけばよかった」と考える。しかしこの曲は、その後悔を責めるのではなく、今からでも始められるという可能性を提示する。タイトルの簡潔さが、曲全体のメッセージを支えている。
「Starting Now」は、バンドの成熟をよく示す楽曲である。1990年代のToad the Wet Sprocketが若者の内省や孤独を歌っていたとすれば、ここでは年齢を重ねた後の再出発が歌われる。過去を否定せず、しかし未来を諦めない。その姿勢が、本作の核になっている。
3. Transient Whales
「Transient Whales」は、タイトルからして詩的で、アルバムの中でも印象深い楽曲である。「Transient」は一時的な、移ろいやすい、通り過ぎるという意味を持ち、「Whales」は鯨を指す。大きな存在が一時的に現れ、また去っていくというイメージは、人生の中で出会う大きな感情、記憶、関係、喪失を象徴しているように響く。
音楽的には、穏やかで広がりのある雰囲気がある。Toad the Wet Sprocketのフォーク・ロック的な側面が強く、ギターの響きには海や遠い風景を思わせる余白がある。派手な展開よりも、曲全体に漂う空気が重要である。Glen Phillipsの声は、遠くを見つめるように響き、タイトルの持つ移ろいの感覚とよく合っている。
歌詞では、巨大だが永遠ではないものへのまなざしが感じられる。鯨は自然の中で圧倒的な存在でありながら、人間の前に現れる時間は一瞬である。このイメージは、人生における大切な出会いや経験にも重なる。重要なものほど、手元に長く留まらない。通り過ぎた後に、その大きさに気づくことがある。
「Transient Whales」は、『Starting Now』の中で、時間の流れと喪失感を象徴する曲である。再出発を歌うアルバムでありながら、本作は過去や失われたものを軽視しない。むしろ、それらを丁寧に見つめることで、現在から始めることの意味を深めている。
4. The Best of Me
「The Best of Me」は、タイトル通り「自分の最良の部分」をめぐる楽曲である。この表現には、誰かに自分の一番良い部分を与えたいという願いと、同時に、自分にはまだ良い部分が残っているのかという不安も含まれる。Toad the Wet Sprocketの歌詞では、自己肯定と自己疑念がしばしば共存するが、この曲もその系譜にある。
音楽的には、温かいメロディと安定したバンド・サウンドが中心である。サビには開放感があり、アルバムの中でも比較的ポップな魅力が強い。アコースティックとエレクトリックのバランスもよく、バンドの長年の強みである自然なアンサンブルが表れている。
歌詞のテーマは、関係性の中で自分が何を差し出せるのかという問いである。人は誰かを愛したり支えたりしようとするとき、自分の良い部分だけでなく、欠点や過去の傷も持ち込んでしまう。「The Best of Me」は、その中でなお、自分の最良の部分を相手に渡したいという気持ちを描いている。
この曲は、アルバムの中で前向きな情感を担っている。ただし、それは単純な自己賛美ではない。むしろ、傷つき、不完全であることを知りながら、それでも人と関わろうとする姿勢が歌われている。Toad the Wet Sprocketらしい、穏やかで誠実なポップ・ロックである。
5. We’re Not Waiting
「We’re Not Waiting」は、タイトルからして能動的な姿勢を持つ楽曲である。「もう待たない」という言葉には、受け身の状態から抜け出し、自分たちで動き出す決意がある。アルバムの主題である再出発と強く結びつく曲であり、本作の中でも比較的はっきりした前進感を持っている。
音楽的には、軽快なリズムとギターの推進力が印象的である。バンドは大きく音を爆発させるのではなく、堅実なビートによって前へ進む。Toad the Wet Sprocketの魅力は、派手なロックの身振りよりも、曲の中に自然な運動感を作る点にある。この曲でも、言葉の内容と演奏の推進力がよく一致している。
歌詞では、変化を誰かに任せず、自分たちで選び取る姿勢が描かれる。待っていれば状況が好転するという考えを捨て、今できることを始める。このメッセージは、本作が2021年に発表されたことを考えると、時代の空気とも響き合う。孤立や不安の中で、ただ状況が変わるのを待つのではなく、自分の生活や関係を少しずつ立て直す必要があった。
「We’re Not Waiting」は、アルバムの中で能動性を象徴する楽曲である。静かな内省だけでなく、行動への意志が存在することを示している。
6. Children of the Earth
「Children of the Earth」は、タイトルから自然、共同体、人間の根源的なつながりを連想させる楽曲である。Toad the Wet Sprocketの音楽には、個人の内面だけでなく、自然や広い世界への感受性がしばしば表れる。この曲では、その感覚がより明確に提示されている。
音楽的には、フォーク・ロック的な温かさが強い。アコースティックな響きと柔らかなメロディが、タイトルの持つ大地的なイメージとよく合っている。演奏は穏やかだが、曲の中には大きな視野がある。個人の悩みを超えて、人間が地球の一部として存在しているという感覚が、音楽の広がりによって表現される。
歌詞では、人間が自然や世界から切り離された存在ではないことが示される。現代社会では、人はしばしば孤立した個人として自分を捉える。しかし「Children of the Earth」という表現は、誰もが同じ地球に属する子どもであるという基本的なつながりを思い出させる。そこには環境的な意識だけでなく、精神的な共同性への願いも含まれている。
この曲は、『Starting Now』の中でスケールを広げる役割を持つ。個人の再出発、関係の修復、内面の整理だけでなく、人間がどのような世界の中で生きるのかという問いへアルバムを開いている。
7. Hold On
「Hold On」は、困難な状況の中で踏みとどまることを歌う楽曲である。タイトルは非常にシンプルだが、そのシンプルさゆえに強い。誰かに向けた励ましであると同時に、自分自身へ言い聞かせる言葉でもある。Toad the Wet Sprocketの音楽は、こうした小さな言葉に深い感情を宿すことに長けている。
音楽的には、穏やかでありながら芯のあるアレンジが印象的である。ギターは柔らかく、リズムは安定し、メロディは聴き手を包むように進む。大きく盛り上げるよりも、持続する力を重視した曲である。これは、タイトルの「Hold On」という言葉とよく合っている。耐えること、踏みとどまることは、爆発的な行為ではなく、静かな持続である。
歌詞では、暗い時期や困難の中にいる相手へのまなざしが感じられる。簡単に解決策を示すのではなく、まずは持ちこたえることを促す。これは非常に現実的な励ましである。苦しみの中にいる人にとって、前向きになれという言葉よりも、まず「持ちこたえて」という言葉の方が響く場合がある。
「Hold On」は、本作の中でも特に普遍的なメッセージを持つ曲である。再出発の前には、まず崩れないように踏みとどまる時間が必要である。この曲は、その時間を静かに支える役割を果たしている。
8. Truth
「Truth」は、真実をテーマにした楽曲である。タイトルは短く、抽象的だが、Toad the Wet Sprocketの文脈では非常に重要な言葉である。彼らの音楽は、派手な虚構やロック・スター的な誇張よりも、個人が自分自身の感情や関係に誠実であろうとする姿勢に重きを置いてきた。この曲もその延長線上にある。
音楽的には、落ち着いたトーンの中にメロディの強さがある。演奏は過度に装飾されず、歌詞を中心に据えている。Glen Phillipsの声は、真実という大きな言葉を大げさに扱わず、日常の中で探すべきものとして歌う。その抑制が曲の説得力を高めている。
歌詞では、真実が単純な答えとしてではなく、向き合うべきものとして描かれる。人はしばしば自分に都合の良い物語を作る。関係を守るために嘘をつき、自分を守るために感情を隠す。しかし、再出発には真実を見ることが必要になる。この曲は、その厳しさと必要性を歌っている。
「Truth」は、『Starting Now』の中で自己認識の主題を深める曲である。今から始めるためには、まず何が本当なのかを見つめなければならない。Toad the Wet Sprocketは、その作業を静かで誠実なロック・ソングとして提示している。
9. Slowing Down
「Slowing Down」は、速度を落とすことをテーマにした楽曲である。現代社会では、前進すること、効率を上げること、変化に追いつくことが重視される。しかしこの曲は、あえて速度を落とすことの意味を歌っている。『Starting Now』というアルバムにおいて、始めることと同じくらい、ゆっくり進むことも重要なテーマになっている。
音楽的には、タイトルにふさわしく落ち着いたテンポと穏やかなアレンジが印象的である。曲は急がず、メロディはゆっくりと広がる。ギターの音色も柔らかく、全体に内省的な空気がある。Toad the Wet Sprocketの成熟した側面がよく表れている。
歌詞では、人生の速度を見直す感覚が描かれる。若い頃は、とにかく前へ進むことが重要に思える。しかし年齢を重ねると、立ち止まること、休むこと、周囲を見ること、時間を受け入れることの価値が見えてくる。「Slowing Down」は、そのような成熟した時間感覚を歌っている。
この曲は、アルバムの中で非常に重要である。再出発は必ずしも急加速ではない。むしろ、急ぎすぎて見失ったものを取り戻すために、速度を落とすことが必要になる場合もある。『Starting Now』の前向きさは、こうした慎重さを含んでいる。
10. Dual Citizen
「Dual Citizen」は、二重の所属や、複数の場所・立場の間で生きることをテーマにした楽曲である。タイトルは「二重国籍者」を意味するが、ここでは文字通りの国籍だけでなく、精神的な二重性、過去と現在、内面と外面、個人と共同体の間にいる感覚を象徴しているように響く。
音楽的には、やや緊張感のあるメロディと、落ち着いたバンド・アンサンブルが組み合わされている。派手なロック・ナンバーではないが、曲には内側で揺れる感情がある。Toad the Wet Sprocketは、こうした中間的な感情を表現することに長けている。
歌詞では、自分が一つの場所に完全には属していないという感覚が描かれる。人は故郷、家族、過去、仕事、信念、国、関係の中でさまざまな所属を持つ。しかしそれらは必ずしも一つにまとまらない。複数の場所に属することは豊かさであると同時に、分裂でもある。「Dual Citizen」は、その曖昧な立場を歌っている。
この曲は、本作における自己認識のテーマをさらに複雑にする。自分が何者かを知ることは、一つの答えを得ることではない。むしろ、自分の中にある複数の所属や矛盾を認めることでもある。その意味で「Dual Citizen」は、成熟した自己理解の曲である。
総評
『Starting Now』は、Toad the Wet Sprocketが長いキャリアの中で培ってきた美点を、穏やかで成熟した形で提示したアルバムである。1990年代の代表作にあった若々しい切迫感や、オルタナティヴ・ロックの時代性はここでは控えめになっている。その代わりに、時間を経たバンドだからこそ鳴らせる、静かな再出発、自己受容、関係の修復、持続する希望が中心に置かれている。
本作の大きな特徴は、派手な変化ではなく、自然な継続の中に新しさを見出している点である。タイトルは『Starting Now』だが、これは過去を捨てて別のバンドになるという意味ではない。むしろ、Toad the Wet Sprocketがこれまで積み重ねてきたフォーク・ロック、ポップ・ロック、内省的な歌詞、柔らかなアンサンブルを保ちながら、現在の年齢と時代にふさわしい言葉で鳴らし直している。
歌詞の面では、再出発、真実、持続、速度を落とすこと、複数の所属、自然とのつながりが繰り返し現れる。「Starting Now」や「We’re Not Waiting」では前へ進む意志が示され、「Hold On」では困難の中で踏みとどまることが歌われる。「Slowing Down」では急がないことの価値が描かれ、「Dual Citizen」では単純に一つの場所へ属せない現代的な自己が表現される。これらのテーマは、若いリスナーにも届くが、特に年齢を重ねたリスナーにとって深く響くものがある。
音楽的には、Toad the Wet Sprocketらしいバランスの良さが際立っている。アコースティック・ギターの温かさ、エレクトリック・ギターの抑制された響き、リズム隊の安定感、Glen Phillipsの透明な声が、どの曲でも過不足なく配置されている。派手なギター・ソロや大仰なアレンジではなく、曲そのもののメロディと歌詞が前面に出る。この控えめな作りは、バンドの誠実さをよく示している。
一方で、本作は刺激的な実験作ではない。1990年代の代表曲のような即効性や、ロック・シーン全体を揺るがすような新しさを求めると、穏やかに感じられるかもしれない。しかし『Starting Now』の価値は、まさにその穏やかさにある。長く活動してきたバンドが、流行に過度に合わせることなく、自分たちの音楽を現在形で鳴らしている。その自然さは、簡単に得られるものではない。
Toad the Wet Sprocketは、グランジやオルタナティヴ・ロックの激しい側面とは異なる場所で、1990年代アメリカン・ロックの重要な一面を担っていた。R.E.M.、Counting Crows、Gin Blossoms、Duncan Sheik、The Wallflowersなどに通じる、メロディと内省を重視するアメリカン・ロックの系譜である。『Starting Now』は、その系譜が2020年代にも有効であることを示している。大声で時代を断罪するのではなく、個人の心の中にある揺れを丁寧に歌う音楽として、本作は十分な説得力を持つ。
日本のリスナーにとって本作は、1990年代洋楽ロックを懐かしむためだけの作品ではなく、年齢を重ねた後のオルタナティヴ・ロックのあり方を知るうえで有効な一枚である。若さの痛みを歌うロックは多いが、年月を経てなお痛みが消えないこと、しかしその痛みとの付き合い方が変わることを歌うロックは、より繊細な聴き方を求める。『Starting Now』は、その成熟した聴き方に応える作品である。
『Starting Now』は、Toad the Wet Sprocketの最高傑作として語られる作品ではないかもしれない。しかし、彼らの音楽が単なる90年代の記憶ではなく、現在も静かに息づいていることを示す重要なアルバムである。過去を抱え、速度を落とし、真実を見つめ、それでも今から始める。その姿勢が、本作を温かく、誠実で、長く聴ける作品にしている。
おすすめアルバム
1. Toad the Wet Sprocket『Fear』(1991年)
Toad the Wet Sprocketの代表作のひとつであり、「All I Want」「Walk on the Ocean」を収録した重要作。フォーク・ロック的な温かさと、オルタナティヴ・ロックの内省が結びついた作品で、『Starting Now』の原点を理解するために欠かせない一枚である。
2. Toad the Wet Sprocket『Dulcinea』(1994年)
「Fall Down」「Something’s Always Wrong」などを収録した、バンドの商業的・音楽的ピークのひとつ。『Fear』よりもロック色が強く、90年代アメリカン・オルタナティヴの空気が濃い。『Starting Now』と比較すると、若い頃の切迫感と成熟後の穏やかさの違いがよくわかる。
3. Glen Phillips『Abulum』(2001年)
Glen Phillipsのソロ作品であり、Toad the Wet Sprocketの内省的な側面をより親密な形で味わえるアルバム。アコースティックな質感と繊細な歌詞が中心で、『Starting Now』にある成熟した視点の背景を知るうえで重要である。
4. R.E.M.『Automatic for the People』(1992年)
アメリカン・オルタナティヴ・ロックにおける内省と成熟を代表する名盤。直接的なサウンドは異なるが、喪失、時間、自己認識を穏やかなロック表現で描く点で『Starting Now』と共鳴する。Toad the Wet Sprocketの音楽的文脈を広げて理解するために有効である。
5. Counting Crows『August and Everything After』(1993年)
1990年代アメリカン・ロックの内省的な側面を代表する作品。語り口の強い歌詞、フォーク・ロック的なアンサンブル、人生や関係への不安を描く姿勢は、Toad the Wet Sprocketと同時代的に比較できる。『Starting Now』の背景にあるアメリカン・ロックの流れを理解するために適したアルバムである。

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