
発売日:2021年5月14日
ジャンル:Indie Rock / Bedroom Pop / Lo-fi Rock / Singer-songwriter
概要
Voyagerは、Nick RattiganによるプロジェクトCurrent Joysが、Secretly Canadianから発表したアルバムである。Current Joysはもともと、粗い録音、反復するギター、孤独なボーカルを生かしたローファイな作風で知られてきたが、本作ではその内向きな感触を残しながら、ストリングス、ホーン、シンセ、厚みのあるバンド・サウンドを取り入れている。過去作のような部屋の中の独白から、より映画的で大きな音の風景へ広がった作品と言える。
タイトルのVoyagerは、旅人や探査機を思わせる言葉であり、アルバム全体にも移動、喪失、記憶、夢、自己確認の感覚が流れている。Nick Rattiganの歌は、明確な物語を順序立てて語るというより、過去の映像や感情の断片を思い出すように進む。曲名にも映画作品を想起させるものが多く、音楽そのものも、映画の場面が切り替わるように、静かな弾き語りから大きなロックの爆発まで幅を持っている。
本作の特徴は、ローファイな弱さを捨てずに、音のスケールを広げている点である。声は相変わらず細く、どこか不安定で、完璧に整えられたポップ・ボーカルとは違う。しかし、その声の周りに豊かなアレンジが置かれることで、孤独な感情が個人の部屋を越え、広い風景の中に響くようになった。Current Joysの過去作を知る人には大きな変化として聞こえ、初めて聴く人には、壊れそうな歌を大きなサウンドで包んだインディー・ロックとして届くアルバムである。
全曲レビュー
1. 「Dancer in the Dark」
冒頭の「Dancer in the Dark」は、アルバムの映画的な性格をすぐに示す曲である。タイトルは暗闇の中で踊る人物を思わせ、音も明るい開放感より、影のある高揚を持っている。ギターとリズムはゆっくり広がり、Nick Rattiganの声は大きく張り上げるというより、遠くから自分の姿を見ているように響く。アルバムの入口として、過去のCurrent Joysにあった内省を保ちながら、より広い音の空間へ踏み出している。
2. 「American Honey」
「American Honey」は、甘い題名に反して、どこか乾いたアメリカの風景を思わせる曲である。アコースティックな手触りとバンド・サウンドが自然に重なり、道路を進んでいくようなゆるい推進力がある。歌詞では、理想化された記憶や憧れが、実際には少し壊れやすいものとして見えてくる。メロディは親しみやすいが、声のかすれた質感が甘さを抑え、過去をきれいな思い出としてだけでは扱わないところが印象に残る。
3. 「Naked」
「Naked」は、タイトルどおり、飾りを外した状態の弱さや無防備さを感じさせる曲である。演奏は過度に詰め込まず、ボーカルの近さを生かしているため、言葉が直接耳元に届くように聞こえる。ここでの裸は、単に身体的な意味だけではなく、自分を守るための姿勢や演技が外れてしまった状態としても読める。アルバム序盤の中で、音の広がりよりも声の不安定さに焦点を当てることで、作品の内側にある孤独をはっきり見せている。
4. 「Altered States」
「Altered States」は、意識が変化していく感覚を、揺れるようなサウンドで表している。ギターやシンセは現実の輪郭を少しにじませ、リズムもまっすぐなロックの推進力だけではなく、夢の中で進んでいるような不確かさを持つ。歌詞は、心の状態が普段と違う場所へずれていく瞬間を思わせる。曲全体に漂うぼんやりした明るさと不安が、本作の「旅」を外の移動だけでなく、内面の変化としても聞かせている。
5. 「Breaking the Waves」
「Breaking the Waves」は、波が崩れるような大きな感情の動きを持つ曲である。静かな部分では声が細く前に出るが、音が厚くなる場面ではギターやリズムが感情を押し上げ、曲全体が広い海のように広がる。歌詞は、何かに耐えながらも限界を迎える感覚を含んでいるように読める。Current Joysの魅力である壊れそうなボーカルが、ここでは大きなアレンジとぶつかることで、個人的な痛みをより壮大に響かせている。
6. 「Big Star」
「Big Star」は、名声や憧れをめぐる曲として聞こえるが、輝かしい成功をそのまま祝う歌ではない。メロディには明るさがあり、演奏も比較的開けているが、声にはどこか疲れた影が残る。タイトルの「大スター」は、誰かへの憧れであると同時に、自分がなりたいもの、あるいはなれなかったもののようにも響く。華やかな言葉を使いながら、実際には承認や孤独を見つめているところに、Current Joysらしいひねりがある。
7. 「Amateur」
「Amateur」は、未熟さや不完全さを隠さない曲である。Current Joysの音楽は、きれいに磨き上げられた技巧よりも、手探りのまま感情を出す瞬間に強さがあるが、この曲はその姿勢を題名からも示している。演奏は大きく飾りすぎず、ボーカルの揺れが曲の中心に置かれている。完璧になれないことへの恥ずかしさと、それでも表現することをやめない切実さが、短い歌の中にまとまっている。
8. 「Rebecca」
「Rebecca」は、誰かの名前を呼ぶことで、アルバムの抽象的な感情を一人の人物へ引き寄せる。曲調は穏やかで、ボーカルも強く押し出さず、記憶の中に残る人へ語りかけているように聞こえる。名前があることで、歌詞の世界には個人的な具体性が生まれるが、説明は多くないため、聴き手には余白が残される。失った相手、届かない相手、あるいは過去の自分に関わる人物として、さまざまに解釈できる曲である。
9. 「Shivers」
「Shivers」は、身体に震えが走るような感覚を、冷たく澄んだ音で描いている。テンポは急ぎすぎず、ボーカルも抑えられているが、メロディの中には感情が急に込み上げる瞬間がある。震えは恐怖にも、恋愛にも、記憶が戻ってくる時の反応にも聞こえる。アルバム中盤でこの曲があることで、作品の旅は外へ広がるだけでなく、身体の細かな反応や、言葉になる前の感情へ深く入っていく。
10. 「Something Real」
「Something Real」は、現実感を求める気持ちを中心にした曲である。夢や記憶、映画のようなイメージが多い本作の中で、このタイトルは特にまっすぐに響く。演奏は大きく派手ではないが、声とメロディに素直な切実さがあり、何が本物なのかを確かめたい気持ちが伝わる。関係でも人生でも、頭の中の理想だけでは足りず、手で触れられるような確かさを求める感覚が、シンプルな曲構成の中で浮かび上がっている。
11. 「Money Making Machine」
「Money Making Machine」は、資本や成功の仕組みへの違和感をにじませる曲である。タイトルは冷たく機械的で、人間が金を生む装置のように扱われる感覚を思わせる。演奏には皮肉な軽さがあり、重苦しい抗議歌というより、社会の仕組みを少し離れた場所から見ているように聞こえる。Current Joysの個人的な孤独は、ここではより外側の世界へ向き、自己表現や音楽活動さえも商品化されていく不安とつながっている。
12. 「Voyager Pt. 1」
表題を持つ「Voyager Pt. 1」は、アルバムの旅の感覚をいったん整理するような曲である。音は広がりを持ち、声はその中を漂うように置かれる。ここでの旅人は、目的地へ一直線に向かう英雄ではなく、過去や記憶を背負いながら、どこにいるのかを確かめ続ける存在に聞こえる。曲は大きな結論を出すより、次の場面へ移るための通過点として機能し、アルバム後半の内省を静かに開いている。
13. 「Calypso」
「Calypso」は、タイトルから神話的なイメージを呼び込み、アルバムの中に幻想的な色を加える。サウンドはどこか浮遊しており、現実の場所というより、記憶と夢が混ざった島のような空間を作る。歌詞の語り手は、誰かに引き止められているのか、自分自身の中に閉じ込められているのか、はっきりしないまま進む。こうした曖昧さが、旅の途中で時間が止まってしまうような感覚につながっている。
14. 「The Spirit or the Curse」
「The Spirit or the Curse」は、救いのようなものと呪いのようなものが区別しにくくなる曲である。タイトルの二択は、同じ力が見方によって祝福にも重荷にもなることを思わせる。演奏は静かな緊張を持ち、ボーカルは自分の中にある何かを見極めようとしているように響く。創作への衝動、過去の記憶、誰かへの執着は、人を生かす力にもなり、抜け出せない呪いにもなる。その曖昧な感触を、曲は説明しすぎずに残している。
15. 「Vagabond」
「Vagabond」は、さまよう人という題名どおり、居場所を定められない感覚を持った曲である。リズムにはゆるい前進感があり、どこかへ歩き続けるように進むが、到着の安心はあまりない。Nick Rattiganの声は、旅に憧れているというより、止まれない人の疲れを含んでいる。アルバム全体の移動のテーマを、ここではより人間的な孤独へ結びつけており、自由であることと根無し草であることの近さを感じさせる。
16. 「Voyager Pt. 2」
最後の「Voyager Pt. 2」は、アルバムの長い旅を静かに締めくくる曲である。前半の「Voyager Pt. 1」が通過点のようだったのに対し、こちらはより余韻を重視し、すべてを解決するのではなく、まだ進み続ける感覚を残して終わる。音の広がりは大きいが、中心にある声はあくまで孤独で、旅の果てに完全な答えを見つけたわけではない。Current Joysらしいのは、希望を大げさに歌うのではなく、不安を抱えたままでも進むことを、控えめな光として描いている点である。
総評
Voyagerは、Current Joysの音楽がローファイな部屋の音から、より広い映画的な音へ変わったアルバムである。過去作の魅力だった粗さや孤独は消えていないが、本作ではそれをストリングスや厚いバンド・アレンジが包み、個人的な感情を大きな風景の中へ広げている。小さな声が大きな音の中で埋もれるのではなく、むしろその弱さが残っているからこそ、アレンジの広がりが切実に響く。
このアルバムの中心には、何かを探し続ける感覚がある。恋愛の記憶、過去の自分、創作の意味、成功への不信、現実感への欲求が、曲ごとに形を変えて現れる。旅という言葉は前向きな冒険にも聞こえるが、本作では必ずしも明るいものではない。むしろ、同じ場所にとどまれず、昔の記憶にも現在の自分にも完全には落ち着けない人が、それでも進むしかないという感覚が強い。
音楽的には、曲数が多く、バラード的な曲からロック色の強い曲まで幅があるため、アルバムはやや長く感じられる部分もある。すべての曲が同じ強さで耳に残るわけではないが、その散漫さは、旅の途中で見える景色が次々に変わっていく感覚にもつながっている。Current Joysの魅力は、完成度の高いポップの均整よりも、感情が少し過剰にあふれたり、逆に言葉にならないまま沈んだりする不安定さにある。本作はその不安定さを、過去最大級のスケールで鳴らしている。
Voyagerは、Nick Rattiganが自分の弱さを残したまま、より大きな表現へ進んだ作品である。音は豊かになったが、声の中心にある孤独は変わっていない。だからこそ、このアルバムは単なるメジャー感のある拡張ではなく、壊れそうな内面を遠くまで運ぶための器として機能している。旅の終わりに明確な救いがあるわけではないが、進み続けることそのものにかすかな意味を見つける作品である。
おすすめアルバム
A Different Age by Current Joys
Voyager以前のCurrent Joysを知るうえで重要な作品で、よりローファイで孤独な質感が強い。音数は少ないが、声とギターだけで感情を遠くまで響かせる力がある。
Me Oh My Mirror by Current Joys
初期Current Joysの部屋録り的な魅力がよく出た作品である。Voyagerの大きなアレンジと比べるとかなり簡素だが、Nick Rattiganの内省的な歌の出発点を感じられる。
Bunny by Beach Fossils
インディー・ロックの柔らかいギターと青春の不安を結びつけた作品である。Voyagerより軽やかだが、懐かしさと孤独を明るい音で包む感覚には近いものがある。
For Emma, Forever Ago by Bon Iver
孤独な声とシンプルな録音から、深い喪失感を立ち上げた作品である。Voyagerのような映画的な広がりは少ないが、個人的な痛みを音の空間へ変える点で関連している。
Twin Fantasy by Car Seat Headrest
内省的な歌詞と大きなインディー・ロックの展開を結びつけた作品である。Voyagerより言葉は饒舌で構成も劇的だが、若さ、孤独、自己分析をロックのスケールへ広げる姿勢が共通している。

コメント