発売日: 1989年10月
ジャンル: クラウトロック、アヴァン・ロック、エクスペリメンタル・ロック
概要
『Rite Time』は、1989年にリリースされたCanの12作目のスタジオ・アルバムであり、1979年の『Can (Inner Space)』から実に10年ぶりとなる“再結成作品”である。
そして最大の特徴は、かつてのヴォーカリスト、ダモ鈴木の電撃復帰であり、彼にとっても1973年の『Future Days』以来16年ぶりの参加作品となる。
この作品は、80年代後半という文脈において、再びCanという装置がどのように音を紡ぐのかを試みた**“静かなる回帰”**である。
かつての実験性をそのまま再現するのではなく、**加齢と時間の経過を受け入れた“大人のCan”**として、内省的で、瞑想的な音楽が展開されている。
録音は南フランスにて行われ、プロデュースにはバンドメンバー全員が関与。
サウンドの質感は非常に明晰で、シンセやリズムの処理には1980年代のテクノロジーが色濃く反映されている一方、ダモのヴォーカルはかつての即興的囁きとは異なり、より語り口に近い人間的な声として機能している。
本作は、Canという伝説的バンドの**“最終章”にして、静かな別れの挨拶**でもあるのだ。
全曲レビュー
1. On the Beautiful Side of a Romance
開放的なリズムと浮遊感のあるギターが心地よい、再結成の幕開けを飾る一曲。
ダモのヴォーカルは、もはや“歌”というよりも詩的な語りに近く、音との対話が続く。
ポストロック的構造の先駆として再評価されるべき楽曲。
2. The Withoutlaw Man
ブルージーなギターが絡む異色作。
Canらしい即興の要素はあるが、ロック的な語法が強めで、どこか“ダモが語る西部劇”のようにも思える。
リズムセクションの安定感はさすがで、音の躍動感が際立つ。
3. Below This Level (Patient’s Song)
ミニマルなベースループの上で、ダモが低く呟き続ける異様なナンバー。
精神世界の深部に踏み込むような不穏なサウンドは、80年代末において逆に新鮮に響く。
まさに“内面の音楽”と言うべき構造。
4. Movin’ Right Along
軽快なリズムと明るめのコード感が特徴的な、珍しく“前向きなCan”。
とはいえ、どこか引いたようなサウンド構成が続き、完全にはポップになりきらない。
この“温度感の曖昧さ”が、本作の全体的なトーンを象徴している。
5. Like a New Child
幻想的なギターと微細なシンセが織りなすドリーミーな世界。
ここでもダモは歌というよりも、風のように語る。
Canにおける“音による詩の実践”が、最も成熟した形で表現されている。
6. Hoolah Hoolah
本作で最もファンキーかつリズムが躍動する曲。
ヤキ・リーベツァイトのドラムが本領を発揮し、即興のジャム感も随所に見られる。
ただし、構造としてはかなり整理されており、あくまで“枠内の自由”にとどまる。
7. Give the Drummer Some
その名の通り、ドラムが中心となる楽曲。
反復されるフレーズと変化するリズムが生み出す催眠的効果は、かつての『Tago Mago』の延長線上にあるとも言える。
リスナーは無意識のグルーヴに導かれていく。
8. In the Distance Lies the Future
アルバムを締めくくる静謐なインストゥルメンタル。
アンビエント的な浮遊感と、Canらしい“余白の使い方”が絶妙で、まるで永遠に終わらない時間を描くような余韻を残す。
タイトル通り、未来がそこにあるかのような感覚を喚起する美しい終幕。
総評
『Rite Time』は、Canという存在が10年の沈黙を経て、“再生”ではなく**“再開”を選んだアルバム**である。
かつての混沌や暴力性は影を潜め、代わりに浮かび上がるのは、成熟と沈静、そして言葉にならない対話である。
ダモ鈴木の復帰は話題を呼んだが、彼自身もすでに“声”というより“気配”のような存在になっており、音楽はより一層“音と空間の関係”にシフトしている。
これはCanが“老いた”というより、“音楽を育て続けた結果”であり、その美学はより静かで深い地平へと到達しているのだ。
『Rite Time』は、Canのカタログにおいて最も目立たない一枚かもしれないが、その静けさと深度ゆえに、最も“耳を澄ませるべき”アルバムでもある。
“語られなかった時間”を音にするというテーマにおいて、本作はバンドの最終回答なのかもしれない。
おすすめアルバム(5枚)
- Can – Future Days (1973)
静寂と時間性の極致。『Rite Time』の精神的前身といえる名作。 - Talk Talk – Laughing Stock (1991)
ロックの語法を脱構築し、静けさと空間性に至った名盤。精神性が酷似。 - David Sylvian – Secrets of the Beehive (1987)
詩的な語りと沈黙の美学。『Rite Time』のような深い余韻を持つ。 - Holger Czukay – On the Way to the Peak of Normal (1981)
Can脱退後のホルガーによる幽玄なソロ。『Rite Time』と対照的に聴くと面白い。 -
Bark Psychosis – Hex (1994)
“ポストロック”という言葉の起点。Canが開いた空間的美学を継承した傑作。
制作の裏側(Behind the Scenes)
『Rite Time』の録音は、1986年に南フランスのプロヴァンス地方にて行われたが、リリースは3年後の1989年となった。
この遅延は、バンド内部でのサウンドへの細部調整と、“今出すべきか”という問いに対する逡巡によるものであった。
レコーディングでは、最新のテクノロジーとアナログ機材を組み合わせたハイブリッドな環境が整えられ、**かつてのInner Spaceスタジオとは異なる“静寂のための場”**が構築された。
特にダモ鈴木は、リリックを事前に用意するのではなく、セッション中に生まれる空気に反応する形で言葉を紡いでいったという。
このようにして『Rite Time』は、“復活”ではなく**“持続”としてのCan”**を提示し、音楽が老いるのではなく、深まっていくことを証明したのである。
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