発売日: 2010年6月7日
ジャンル: トリップホップ、ダウンテンポ、フォークポップ、ソウル
概要
『Blood Like Lemonade』は、Morcheebaが2010年にリリースした7作目のスタジオ・アルバムであり、
オリジナル・ヴォーカリスト、スカイ・エドワーズの復帰をもって制作された“再会”と“再生”のアルバムである。
2003年の『Charango』を最後にスカイが離脱し、2作にわたって他のシンガーと試行錯誤してきたMorcheebaだが、
本作で彼女が帰還したことで、バンド本来の温もりと浮遊感、そして感情の繊細な陰影が見事に蘇る。
音楽的には、トリップホップのルーツに回帰しつつ、ブルース、フォーク、サイケデリックの要素を穏やかに溶け込ませた成熟したサウンドスケープが展開されている。
タイトルの「Blood Like Lemonade(レモネードのような血)」というフレーズが象徴するように、
甘さと痛み、癒しと毒性が同居するMorcheebaらしい美学が貫かれている。
全曲レビュー
1. Crimson
アコースティックギターと柔らかなエレクトロニクスが絡むオープニング。
“クリムゾン”=深紅の色が、内面の情熱と静けさの二面性を象徴する。
2. Even Though
重たいベースとドリーミーな音像が印象的なミッドテンポ。
「それでも」という言葉が、逆境における感情の継続性を示す。
3. Blood Like Lemonade
タイトル曲にして、本作の最もダークで詩的な一曲。
吸血鬼のような登場人物が描かれるリリックは、内なる闇と中毒性への寓話と解釈できる。
4. Mandala
東洋的な旋律を取り入れた、サイケデリック・フォーク的ナンバー。
“曼荼羅”というタイトル通り、円環的かつ瞑想的な構成が魅力。
5. I Am the Spring
軽やかなギターと囁くようなヴォーカルが、春の息吹を感じさせる。
再生と再出発の象徴として、本作における希望の光を担う一曲。
6. Recipe for Disaster
静かな皮肉に満ちた、寓話的な構成。
“破滅のレシピ”というタイトルが示す通り、人間関係や感情の崩壊への道筋を描く。
7. Easier Said Than Done
柔らかいビートに乗せて、「言うは易く行うは難し」という普遍的真理を淡々と語る。
メロディは心地よく、内省と諦念が交差する。
8. Cut to the Chase
ブルージーなギターがリードするグルーヴィーなトラック。
“核心を突け”というフレーズに、感情の遠回りに対する疲れと渇望が込められている。
9. Self Made Man
スカイではなくロス・ゴディマンがヴォーカルを務める異色の一曲。
自立と孤独、誇りと寂しさが入り混じる男性像を、シンプルな語り口で浮かび上がらせる。
10. Beat of the Drum
アルバムの締めくくりにふさわしい、祝祭的なリズムとメッセージ性のあるナンバー。
「鼓動のリズムに身を任せよう」というフレーズが、全体に漂うスローライフの肯定を象徴する。
総評
『Blood Like Lemonade』は、Morcheebaというユニットの核心であった“声=スカイ・エドワーズ”を再び取り戻し、
その声を軸にして再構築された、“大人のためのチルアウト・ミュージック”である。
1990年代後半のトリップホップ・ムーブメントの主役たちが、
次第に方向性を失ったり解散する中で、Morcheebaはポップとフォーク、エレクトロニカの接点を見出し、
静けさと毒気、懐かしさと実験性を絶妙なバランスで保つ独自の道を歩み続けた。
本作の最大の魅力は、“抑制された感情の表現”にある。
決して感情を爆発させることはないが、音の隙間や旋律の変化、ささやくような歌声に、
聴く者の心をそっと震わせる深度がある。
トリップホップの再来というより、Morcheebaというジャンルの成熟形として捉えるべき一作だと言えるだろう。
おすすめアルバム
- Zero 7 / The Garden
自然や季節をテーマにした穏やかなフォークトロニカ作品。 - Beth Orton / Comfort of Strangers
フォークとエレクトロニカの橋渡しとして高い親和性を持つ。 - Lamb / 5
チルアウトと精神性を重ね合わせた、成熟したトリップホップ。 - Massive Attack / Heligoland
トリップホップの先駆者による再出発作としての共通項。 -
Hope Sandoval & The Warm Inventions / Bavarian Fruit Bread
囁き声と幽玄な空気感が共鳴するスロー・ポップの名作。
歌詞の深読みと文化的背景
『Blood Like Lemonade』のリリックは、寓話的で詩的、そしてどこか退廃的な香りを帯びている。
特に「Blood Like Lemonade」では、吸血鬼的存在を通して欲望と罪、快楽と罰というテーマが暗示され、
「Recipe for Disaster」や「Self Made Man」では、人間の選択と代償をアイロニカルに描いている。
全体的に、“語りすぎない”というMorcheeba特有のスタンスが保たれており、
リスナーに解釈の余白を与える構成となっている。
また、スカイ・エドワーズの帰還は、音楽的な再出発だけでなく、人間関係や創造性の癒しとしての象徴的意味も持っており、
本作は文字通り“解毒”と“回復”をテーマとしたアルバムなのだ。
『Blood Like Lemonade』は、Morcheebaという静かで強靭な船が、再び深海へと舵を切った記録である。
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