1. 歌詞の概要
「Slugeye」は、Gretel Hänlyn(グレーテル・ヘンリン)が2022年に発表したデビューEPのタイトル曲であり、その全体像を象徴するような、ユーモアと不気味さ、強さと脆さが混在した個性的な楽曲である。“Slugeye”とは直訳すると「ナメクジの目」のような意味を持つ造語的タイトルで、滑稽さとグロテスクさ、そして一種の自己イメージが凝縮された強烈なモチーフとなっている。
この楽曲では、語り手が社会からの視線や他者との距離感、そして“奇妙であること”に向けた羞恥や誇りと向き合っている。醜さを隠すのではなく、それを自分の武器として受け入れ、むしろ人間らしさとして提示するその姿勢は、まさにHänlynのアーティスト性を体現しているといえる。
サウンド面では、ベースの重さとギターの歪み、そして彼女特有の低く深いヴォーカルが、まるで“粘膜”のようにまとわりつく。生理的なざらつきと感情の美しさが共存する、まさに“slugeye”的音世界が広がる一曲である。
2. 歌詞のバックグラウンド
「Slugeye」というタイトルは、Gretel Hänlyn自身が感じてきた“他者からの見られ方”を可視化したようなコンセプトから生まれている。彼女は、自身の音楽を通じて「完璧であること」「映えること」といった現代的美意識に対する反発を表明しており、この曲ではそのテーマがより直接的かつ身体的なイメージを通して語られる。
特に女性に向けられる“見られること”へのプレッシャー、評価される外見、性別的役割といったものが、この曲の底流にある。そこに対してHänlynは、あえて“ナメクジの目”という奇妙で不格好な自己イメージを掲げることで、「美しくなくてもいい、でも見ていろ」と開き直るような自己肯定を打ち出している。
この曲はまた、EP全体の主題でもある「不完全さの中にある真実」「奇妙であることの自由さ」を象徴しており、Hänlynというアーティストの導入として、またその世界観の核心としても機能している。
3. 歌詞の抜粋と和訳
Slippery eyes
They watch me squirm
ぬるぬるとした目が
私がもがくのを見てる
I tried to hide
But I was never good at being quiet
隠れようとしたけど
私は“静かにしてる”のが苦手で
I’m the girl with the slugeye smile
Ugly and proud
私は“スラッグアイの笑み”を持つ女の子
醜くて、それを誇ってる
You want a doll, I give you slime
You want love, I give you mine
あなたはお人形を求めてるけど、私は“ぬめり”を差し出す
あなたが愛を求めるなら、それは私のやり方で渡す
歌詞引用元:Genius – Gretel Hänlyn “Slugeye”
4. 歌詞の考察
「Slugeye」は、Gretel Hänlynの自己イメージをめぐる“身体の再定義”の物語である。社会的に押し付けられる「美しさ」や「女性らしさ」への違和感と怒りが、ユーモアと不気味さという独自のレンズを通して語られる。彼女はここで、「愛される対象」としての自己像を拒否し、自分だけの存在価値を再構築している。
「あなたはお人形を求めるけど、私は“ぬめり”を渡す」というラインは、Hänlynがいかに自らの異質性を逆手に取っているかを示している。ここでの“ぬめり(slime)”とは、社会的な期待や理想像に沿わない、しかしそれゆえにリアルな人間の在り方の象徴である。つまりこれは、ジェンダー的に“規範から外れていること”の痛みと、それを武器に変える知性が融合した詩である。
また、「醜くて、それを誇ってる」という宣言は、現代における“美の支配構造”に対する反抗でもある。Hänlynはここで、可愛くなくていい、上品でなくていい、でも私はここにいるし、私なりのやり方で存在する——という強いメッセージを放っている。
このように、「Slugeye」はルックスに限らず、性格や性質、生き方そのものを“変わっている”とされがちな人々に対して、大きな共感とエンパワーメントを与える楽曲なのだ。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Scab and Guilt by Scout Niblett
不穏で暴力的な自己受容と、歪な感情の吐露がHänlynのスタイルと共鳴。 - Venus as a Boy by Björk
ジェンダー観と感覚のズレを、官能性と神秘性をもって描く美しいアンセム。 - Feeling Myself by Wolf Alice
身体性、セクシュアリティ、自己肯定が入り混じった、鋭くて濃密なロックナンバー。 -
I’m Not a Woman, I’m a God by Halsey
女性性や人間性を“神話”として再構築する、強烈なセルフ・アイデンティティの楽曲。 -
Curses by Vundabar
自分にとって不快で不器用な部分を、そのままに歌うことで解放に変えるインディロックソング。
6. “醜さ”を武器に変える反逆のアイロニー
「Slugeye」は、グレーテル・ヘンリンというアーティストの核にある“違和感”と“自己の輪郭”をもっとも直接的に表現した楽曲である。ここには、見られること、期待されること、そしてそれに応えることへの疲れと怒りが潜んでいる。だが同時に、それを声にして歌うという行為そのものが、ひとつの再生でもある。
“奇妙さを美学に変える”というGretel Hänlynのスタンスは、どんなに滑稽で、どんなに痛々しくても、それを否定せず、むしろ名乗りを上げる勇気にあふれている。「私はSlugeye——それでいい」と宣言する彼女の声は、不完全なままで世界に立つすべての人にとっての応援歌となるだろう。
「Slugeye」は、美しさや正しさからはみ出してしまったすべての“目”に捧げられた、粘膜のように優しくて鋭いラブソングである。ナメクジの目であっても、その目は確かに世界を見ているし、自分自身を見返している——それこそが、Gretel Hänlynが描く“存在のリアル”なのだ。
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