1. 歌詞の概要
「Milk」は、Gretel Hänlyn（グレーテル・ヘンリン）が2022年にリリースしたデビューEP『Slugeye』に収録された楽曲であり、彼女の作品群のなかでもとりわけ官能的で、奇妙な親密さと不安を同時に呼び起こすような異質な魅力を放っている。
タイトルの“Milk（ミルク）”は、この曲において非常に象徴的であり、母性的で温かいイメージと同時に、過剰で不気味なイメージをも喚起する二重の意味を持つ。楽曲全体が“心地よさ”と“気持ち悪さ”、“愛”と“支配”の境界線を巧みに往復しており、それが聴き手にとって非常に不安定でありながらも惹きつけられる構造を生んでいる。
この曲の語り手は、誰かとの関係において、ただ甘える存在でも、ただ甘えられる存在でもない。“飲み込まれる”ような愛の中で自分がどんどん溶けていく感覚——それが「Milk」の中核であり、Hänlynはそれを淡々とした語りと不穏な音像のなかに沈めている。
2. 歌詞のバックグラウンド
Gretel Hänlynはそのキャリアの初期から、“身体性”と“関係性”の曖昧な境界に強い関心を寄せており、「Milk」はまさにそのテーマを象徴する作品となっている。彼女は、恋愛や親密性がもたらす「気持ち良さ」と「気持ち悪さ」を切り離すことなく、その両方を併せ持ったまま表現するという、非常に現代的なアプローチをとっている。
また、「Milk」という単語は、母性や養育、依存、哺乳といったコンセプトを想起させるものであり、曲中では恋愛と母性、保護と侵食といった相反する力がせめぎ合う。“与える側”と“奪われる側”の境界が曖昧になるその感覚は、Hänlynが得意とする「感情の混濁状態」を音楽に落とし込んだ結果である。
3. 歌詞の抜粋と和訳
You drink my milk like it’s yours
Like I owe it to you
あなたは私のミルクを
自分のものみたいに飲む
まるで私がそれを“差し出すのが当然”みたいに
You never ask, you just take
And I never say no
あなたはいつも黙って奪っていく
私はそれを断ることすらしない
I pour myself into you
Until there’s nothing left
私は自分をあなたの中に注ぎ続ける
自分が空っぽになるまで
Is that what love’s supposed to feel like?
それが“愛”ってやつなの？
歌詞引用元：Genius – Gretel Hänlyn “Milk”
4. 歌詞の考察
「Milk」は、支配と従属、甘えと献身といった対称的な関係が微細に揺らぐ瞬間を描いた極めて繊細なラブソングである。言葉の端々ににじむのは、主体性を失っていく感覚、そしてそれに“気づいていながらも止められない”もどかしさだ。
「あなたは私のミルクを奪う」「私は空になるまで注ぐ」——このメタファーは、単に愛情を与えるという意味を超えて、“消耗されること”への恐怖と、そこにひそむ奇妙な快楽を同時に含んでいる。それは、恋愛という関係性の中で自分の境界が曖昧になる感覚そのものを、非常に直感的に言語化したものだ。
とりわけ「Is that what love’s supposed to feel like?（それが“愛”ってやつなの？）」という問いかけは、静かでありながら破壊力がある。このラインに至るまでに語られてきた“関係の不均衡”は、明確に搾取的であるにもかかわらず、語り手はそれを完全には否定していない。むしろその曖昧さにこそ、リアリティが宿っている。
この楽曲の真価は、“不健全であるとわかっているのに惹かれてしまう関係性”を、美しく、静かに、しかし逃げ場なく描いている点にある。恋愛において“自分を失うこと”を、美談にもしないが、否定もしない——それが「Milk」の持つ深い陰影である。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Oblivion by Grimes
支配と服従、快楽と恐怖のあいだを揺れる視点を、エレクトロニックに描いた怪作。 - Love in the Dark by Adele
関係のなかで見失われた“自分”と、それでも続く愛を歌った、喪失のバラード。 - Mother’s Daughter by Miley Cyrus
母性、自己決定、フェミニズムを軸に、女性の身体的主権を力強く描いたアンセム。 -
Control by Halsey
愛や自己認識の不安定さを“支配と被支配”というテーマで描いた心理的ポップソング。
6. “自分を注ぎすぎる愛”の物語
「Milk」は、与える愛の美しさではなく、“与えすぎること”の空しさと甘美さを描いた、Gretel Hänlynならではの視点が光る一曲である。自分の感情や身体を惜しみなく差し出してしまう——その行為は一見すると献身的だが、裏を返せば“搾取されることへの無意識的な同意”でもある。
彼女はこの楽曲を通して、そうした愛のグレーゾーンを過激にも誇張せず、逆に“静かに”描くことで、より不穏なリアリティをもたらしている。恋愛は美しいだけのものではなく、人のかたちを変え、輪郭を曖昧にし、最終的には“自分でいられなくなる”ことすらある——「Milk」はその過程を、まるで甘く冷たい液体が喉を通り抜けていくように、緩やかに、そして確実に描き出している。
「Milk」は、“愛すること”と“奪われること”の境界が溶けてしまったとき、そこに残る静けさと空虚を詩的に掘り下げた、Gretel Hänlynの表現力の真骨頂である。その声は低くて冷たいが、ひどく熱っぽい。ミルクのように白くてやさしいけれど、飲み干した後に残るのは、どこか満たされない自分の影なのだ。
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