1. 歌詞の概要
「President Gas」は、The Psychedelic Fursが1982年にリリースしたサード・アルバム『Forever Now』に収録された、彼らの政治的メッセージが最も強く表れた楽曲である。
この曲で語られるのは、権力の中枢にいる存在、すなわち“プレジデント(大統領)”が象徴する政治システムの欺瞞や腐敗、そしてそれに翻弄される市民の無力感である。タイトルにある“Gas”という言葉は、ガスのように形を持たず、空虚で、そして時に毒にもなりうる存在として、現代の政治家の本質を皮肉っている。
「President Gas」は、決して架空の人物ではない。むしろ1980年代初頭のアメリカやイギリスの政治情勢、すなわちマーガレット・サッチャー政権やロナルド・レーガン政権の登場に対する若者たちの不信と怒りが、鋭い言葉と疾走するビートで表現されている。
2. 歌詞のバックグラウンド
この楽曲が収録された『Forever Now』は、プロデューサーにトッド・ラングレンを迎え、サウンド的にもリズムと構成がより洗練され、ポップとポストパンクの中間に位置する独自のスタイルを確立した作品となった。その中で「President Gas」は、最もストレートに“怒り”と“諷刺”を打ち出した楽曲として異彩を放っている。
1980年代初頭、保守主義と市場原理主義が台頭し、労働者階級や若者文化が社会の周縁へと追いやられていく中で、The Psychedelic Fursは政治への言及を避けることなく、むしろ意図的に“怒りの歌”としてこの曲をアルバムの中核に据えた。
この曲のリリースから40年以上が経過した今も、その歌詞が持つリアリティは決して色褪せていない。なぜならこの“President Gas”は、いつの時代にも形を変えて現れる“権力の亡霊”だからである。
3. 歌詞の抜粋と和訳
以下に印象的な歌詞を抜粋し、日本語訳を添えて紹介する。全歌詞はこちら(Genius Lyrics)で確認できる。
President Gas is everybody’s friend
プレジデント・ガスは、みんなの“友達”だと言う
He’s a smile like a plastic gun
あいつの笑顔は、まるでプラスチックの銃みたいに偽物だ
このフレーズは、笑顔と暴力の融合という皮肉な比喩で、政治家が表面的には友好的に見えても、その内側には暴力的な支配の構造が潜んでいることを痛烈に示している。
He says it’s love, not war
彼は言う——これは“愛”であって、“戦争”じゃないんだって
That’s what President Gas is for
それがプレジデント・ガスの“役割”なんだと
ここでは、戦争や搾取を“平和”や“愛”というレトリックで包み込む政治の言語操作に対して、強烈な皮肉が込められている。暴力的な支配すら、優しい言葉に包まれて押し付けられていく現実。それに抗う声がこの曲なのだ。
You’ll never need another vote
もう誰かに投票する必要なんてないさ
President Gas on everything but roller skates
あいつは何にでも顔を出すけど、ローラースケートには乗らない
投票という民主主義のプロセスすら無意味になったとき、政治はただの支配装置に成り下がる。プレジデント・ガスはその象徴であり、空虚で、誰にも責任を取らず、ただ空気のように社会を支配する。
4. 歌詞の考察
「President Gas」は、ポストパンクというジャンルが持つ批評性と攻撃性を体現したような楽曲である。単なる反体制ではなく、権力構造そのものへの不信と、そこに付随する“言葉の嘘”に対する冷笑が根底に流れている。
タイトルの“Gas”には二重、三重の意味が込められている。一つは、化学兵器のように目に見えず人々を蝕む存在としての比喩。もう一つは、しゃべるだけで中身が空っぽな存在、つまり“口先だけのリーダー”としての風刺。そして第三には、マスメディアや情報空間に充満するプロパガンダとしての象徴でもある。
また、メロディの疾走感やギターの切れ味、リズムのタイトさは、単なる怒りの爆発ではなく、計算された不穏さとして機能している。それは「社会の不安定さ」や「情報への不信」といった感覚を、音として体感させる仕掛けでもある。
この曲がすごいのは、その“政治的な歌”であるにもかかわらず、スローガンではなくポエジーであるという点だ。曖昧さ、比喩、間接的な語り。それがあるからこそ、聴き手は“President Gas”を現実の誰かに重ねる自由を持ち、あらゆる時代、あらゆる国の中に“この曲の主題”を見つけることができる。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Two Tribes by Frankie Goes to Hollywood
冷戦下の対立をエンターテインメントの中で痛烈に風刺した80年代の政治ポップ。 - Shipbuilding by Elvis Costello
戦争と経済、労働者の矛盾をやわらかくも鋭く突いたバラード。 - Bastards of Young by The Replacements
社会から置き去りにされた若者たちの怒りとアイロニーをロックに昇華した一曲。 -
London Calling by The Clash
都市と世界の崩壊を予言するように鳴り響くポストパンクの金字塔。 -
Tramp the Dirt Down by Elvis Costello
サッチャー政権への怒りを皮肉と悲哀で描いた後期の政治的傑作。
6. “空気のような支配者”に抗う言葉の爆弾
「President Gas」は、言葉を弄び、正義を語りながら暴力を仕掛ける権力者たちへの、音楽による静かな爆弾である。
この曲は決して“怒鳴らない”。だが、その声は静かに、的確に、聴く者の心の奥へと沈殿していく。笑顔を見せながら裏では搾取するリーダー、希望を語りながら自由を奪う政府、そしてそれを受け入れてしまう大衆の心理——そうした構造すべてを、The Psychedelic Fursはたった1曲で解体しようとしている。
今この瞬間にも、どこかで“President Gas”は存在している。もしかしたら、私たちが信じている“正しさ”の中にも。そのことに気づかせてくれるこの曲は、ポストパンクの怒りと詩性を最も高いレベルで融合させた、稀有な一曲である。
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