発売日: 2017年10月13日
ジャンル: エクスペリメンタルソウル、サイケデリックポップ、ドリームポップ
概要
『L’Rain』は、ニューヨーク・ブルックリン出身のアーティスト、L’Rain(本名:Taja Cheek)が2017年にリリースしたセルフタイトルのデビューアルバムであり、個人的な喪失と再生を深いレイヤーで描いた作品である。
母親の死という大きな喪失を経験したCheekは、その悲しみと向き合いながら、
ソウル、アンビエント、サイケデリック、エクスペリメンタルミュージックの要素を交錯させ、
ジャンルに縛られない自由な音楽表現をこの作品で確立した。
このアルバムは、明確なジャンル分類を拒み、短い曲が断片的につながりながら、
夢の中を彷徨うような体験をリスナーに提供する。
また、楽曲制作にはアナログ機材やフィールドレコーディングも多用され、個人の記憶と都市のノイズが溶け合った独特の質感が生み出されている。
当時、エクスペリメンタルR&Bやポストインディーソウルと呼ばれる新しい動きが起きつつあったが、
L’Rainはそれらとも一線を画し、より内省的かつ感覚的なアプローチで独自のポジションを築いた。
全曲レビュー
1. Heavy (But Not In Wait)
短いインストゥルメンタルで幕を開ける。
重厚なベースと漂うギターが、心の奥底に沈む悲しみを予感させる。
2. Alive and a Wake
シンプルなメロディと、フィルターを通したようなボーカルが印象的な曲。
覚醒と混乱が同時に押し寄せるような感覚を生々しく伝える。
3. A Toes (Shelf Inside Your Head)
アブストラクトなギターと断片的なボーカルが絡み合うドリーミーなトラック。
内面世界をそのまま音にしたような、ぼんやりとした輪郭を持つ。
4. Bat
ノイジーなサウンドと静かなボーカルの対比が美しい。
混沌の中に微かな祈りが漂うような一曲である。
5. Which Fork / I’ll Be
二部構成の曲。
前半はジャジーなインストゥルメンタル、後半はささやき声で紡がれる優しいメロディに変化する。
分岐と選択をテーマにしている。
6. Stay Go (Go Stay)
反復的なリフとコーラスが印象的なナンバー。
執着と離別の間で揺れる心情を、シンプルな言葉とサウンドで表現している。
7. Benedict
温かなアコースティックギターに乗せて歌われる、小さなラブソング。
アルバム中でも特にパーソナルな空気感を持つ。
8. The 3 ½ Minute Song
タイトル通り、アルバムの中では比較的ストレートなポップソング。
甘くもほろ苦いメロディが耳に残る。
9. Bat (Outro)
「Bat」のリプライズのような小品。
反響するサウンドの中に、記憶の残滓が浮かび上がる。
10. This Form
アルバム後半のハイライト。
ソウルフルなボーカルと、にじむようなシンセサウンドが、変化する自己の姿を映し出す。
11. Wanted
やわらかなビートとリフレインするコーラスが印象的な一曲。
“望まれること”への切実な願いがにじみ出る。
12. Oh My
カセットテープのようなローファイな音質が特徴。
断片的な記憶が行き交うような、ノスタルジックなトラック。
13. Sticky
アブストラクトなビートと歪んだボーカルが織りなす、不穏さを孕んだ楽曲。
粘りつくような感情をそのまま音にしている。
14. You’re the Water
穏やかなピアノと、優しい歌声で締めくくられるエンディング。
水に抱かれるような静かな解放感が広がる。
総評
『L’Rain』は、Taja Cheekの内なる声をそのまま音楽に変換したような、極めて個人的で、
それでいて普遍的な感情に触れるアルバムである。
喪失と悲しみ、孤独と自己再生というテーマを、悲壮感に陥ることなく、
どこか夢の中を漂うような柔らかいタッチで描き出している点が、彼女の特異性である。
サウンドは、ソウル、ドリームポップ、ノイズ、アンビエントを自在に横断しながら、
それらすべてを違和感なく溶け合わせる手腕が見事。
各楽曲が短く断片的でありながら、全体としては一つの大きな感情の流れを形成しており、
アルバムを通して聴くことで、リスナー自身の心の奥に眠る感情が静かに呼び覚まされる。
『L’Rain』は、時代やジャンルを超えて響く、”純粋な感情の音楽”として、静かに、しかし確かな衝撃を与える作品である。
おすすめアルバム(5枚)
- Moses Sumney『Aromanticism』
ジャンルを超えた音楽性と、孤独をテーマにしたリリックが共通する。 - Grouper『Ruins』
静謐なサウンドと内省的な世界観が、L’Rainの感触に近い。 - Tirzah『Devotion』
ミニマルなプロダクションとパーソナルな表現がリンクする。 - FKA twigs『LP1』
実験精神と繊細な感情表現を併せ持つアートポップの名作。 - Broadcast『Tender Buttons』
アナログ感と未来感が同居するサウンドアプローチが共鳴する。
歌詞の深読みと文化的背景
『L’Rain』に通底するモチーフは「記憶」と「変容」である。
Cheekが母親を亡くした後に制作を開始したことから、
多くの楽曲には、過去を留めようとする意志と、変わりゆく自分自身への戸惑いがにじんでいる。
また、ブルックリンという多様な文化背景を持つ土地で育った彼女にとって、
ジャンルや形式を越えて自由に表現することは、生きるための自然な選択だったともいえる。
彼女の音楽は、”ブラック・ミュージック”の系譜にありながらも、
伝統的な枠組みには収まらず、個人の内面に深く潜っていく。
この自由で有機的な姿勢が、『L’Rain』という作品に、時代やトレンドを超越した普遍性をもたらしているのだ。
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