
- 発売日:2019年10月25日
- ジャンル:Indie Pop / Alternative R&B / Soul / Bedroom Pop / Art Pop
概要
『Cheap Queen』は、King Princessが2019年に発表したデビュー・スタジオ・アルバムである。ニューヨーク出身のMikaela StrausによるプロジェクトであるKing Princessは、2018年の「1950」で一躍注目を集め、その後のシングルやEPを経て本作へ到達した。
本作の大きな特徴は、現代的なインディー・ポップ、オルタナティヴR&B、ソウル、ベッドルーム・ポップの感覚を横断しながら、セクシュアリティ、欲望、失恋、自己演出、承認欲求、クィアな自己認識を非常に個人的かつ皮肉な言葉で描いている点にある。
King Princessは、単に「クィアな恋愛を歌うアーティスト」としてだけ理解するべきではない。彼女の音楽には、クラシックなソウルやR&Bのヴォーカル感覚、1970年代のシンガーソングライター的な親密さ、1990年代以降のオルタナティヴ・ポップ、さらに2010年代後半のミニマルで曖昧なプロダクションが共存している。
アルバムタイトルの『Cheap Queen』も重要である。
“queen”という言葉は、華やかさ、権威、クィア文化における誇張された自己演出を連想させる。一方、“cheap”は安っぽさ、人工性、手作り感を示す。
つまり「安っぽい女王」というタイトルには、豪華さを演じながら、その舞台装置が完全ではないことを自覚している視点がある。
これはKing Princess自身のスター像と強く結びつく。
彼女は堂々とした態度や性的な自信を見せる一方、歌詞では失敗、未練、嫉妬、自己嫌悪を隠さない。
そのため『Cheap Queen』は、自己肯定と自己崩壊が同時に存在するアルバムになっている。
サウンド面では、派手なドロップや巨大なコーラスより、ヴォーカルの距離感、ベースの重さ、ギターやキーボードの質感が重視される。
King Princessの声は低く、少しハスキーで、ソウル的な温かさを持つ。過度に技巧を見せるのではなく、フレーズの後ろへ少し遅れて入ったり、囁くように歌ったりすることで、非常に親密な空間を作る。
この声の近さが、歌詞の赤裸々さとよく合っている。
また本作は、2010年代後半のクィア・ポップの流れにおいても重要である。Troye Sivan、Hayley Kiyoko、Christine and the Queens、MUNAなど、LGBTQ+の経験を隠さずポップ・ミュージックの中心へ持ち込むアーティストが増える中で、King Princessはよりソウル、R&B、インディー寄りの位置からその流れへ加わった。
『Cheap Queen』は、恋愛やセクシュアリティを政治的スローガンとしてではなく、非常に具体的で日常的な感情として描く。
その自然さこそが、本作の大きな意義である。
全曲レビュー
1. Tough on Myself
アルバムは「Tough on Myself」から始まる。
タイトルは「自分に厳しすぎる」という意味で、本作全体の自己認識を最初に提示する曲である。
King Princessのパブリックイメージには、自信、挑発、ユーモアがある。しかしこの曲では、その外側の姿とは異なり、自分自身を必要以上に批判してしまう心理が描かれる。
自己肯定を語るポップソングは多い。
しかし「Tough on Myself」は、その自己肯定へ至る前の段階、つまり「自分を好きになれない」状態を正面から扱う。
音楽的にはミニマルで、ヴォーカルを中心に据えた構成である。
ベースやキーボードは控えめに配置され、曲全体に夜のような静けさがある。
デビュー作の冒頭として、華やかな自己紹介ではなく、いきなり弱さを見せる。
この選択が『Cheap Queen』の誠実さを象徴している。
2. Useless Phrases
「Useless Phrases」は短いインタールード的な楽曲である。
タイトルは「役に立たない言葉」を意味する。
恋愛関係では、別れ際や喧嘩の後に多くの言葉が使われる。
「大丈夫」「また友達でいよう」「君のせいじゃない」。
しかし、それらの言葉が本当に痛みを軽くするとは限らない。
この曲は、言葉の不十分さを短い形式そのものによって表現している。
アルバムでは長い説明より、短い断片が感情の余韻を強める場面があり、「Useless Phrases」はその代表である。
3. Cheap Queen
タイトル曲「Cheap Queen」は、本作のコンセプトを最も直接的に示す楽曲である。
ここでは、スターであること、自分を演出すること、他人から見られることがテーマになる。
“queen”という言葉には自信がある。
しかし“cheap”がそれを崩す。
つまり、完璧な女王ではなく、少し安っぽく、少し壊れた女王である。
この自己イメージがKing Princessらしい。
彼女は自信を持つことと、自分の弱さを認めることを対立させない。
音楽的にはファンクやR&Bの影響があり、ベースラインが前面に出る。
ヴォーカルも気怠く、力を抜いている。
大きく歌い上げるより、余裕を見せるように歌うことで、タイトルの皮肉がより強くなる。
『Cheap Queen』というアルバム名が単なる冗談ではなく、自己演出と自己嫌悪の両方を含むことが分かる一曲である。
4. Ain’t Together
「Ain’t Together」は、関係が曖昧な状態にある二人を描く。
タイトルは「私たちは付き合っていない」という意味だが、歌詞ではその言葉と実際の感情が一致していない。
身体的には近い。
感情もある。
しかし正式な関係とは呼べない。
2010年代以降のポップでは、こうした“situationship”のような曖昧な関係を扱う曲が増えた。
King Princessはそれを非常に自然な言葉で描く。
音楽はソウル/R&B寄りで、温かいコード進行とゆったりしたグルーヴを持つ。
しかし歌詞には不安定さがある。
この「温かい音と不確かな関係」の対比が印象的である。
5. Do You Wanna See Me Crying?
「Do You Wanna See Me Crying?」は、恋愛における感情的な力関係を扱う。
タイトルは「私が泣くところを見たいの?」という問いである。
ここには、相手が自分の痛みを本当に理解しているのか、あるいはその痛みを利用しているのではないかという疑念がある。
King Princessの歌詞は、弱さを見せながら完全に受動的にはならない。
泣いている自分を描いても、同時に相手へ問い返す。
その姿勢によって、単純な失恋の被害者像から離れる。
音楽は比較的静かで、ヴォーカルのニュアンスが中心となる。
声の震えや息遣いが、歌詞の切実さを直接伝える。
6. Homegirl
「Homegirl」は、本作でも特にクィアな親密さが自然に表れた楽曲である。
タイトルの“homegirl”は親しい女性の友人を指す口語だが、ここでは友情と恋愛の境界が曖昧になる。
女性同士の関係を、特別な社会的テーマとして説明するのではなく、日常的な欲望や距離感として描く。
この自然さが重要である。
King Princessの音楽では、クィアであることが歌詞の「問題」ではない。
恋愛に伴う嫉妬、欲望、曖昧さの方が問題になる。
つまり、異性愛のラブソングと同じレベルで、クィアな関係が普通に存在している。
音楽的にはソウルとインディー・ポップの中間で、非常に柔らかい。
7. Prophet
「Prophet」は、本作の中でも最も大きなスケールを持つ楽曲の一つである。
タイトルは「預言者」を意味する。
しかし宗教的な内容そのものより、誰かを特別視し、その人の言葉や存在に過剰な意味を与えることが中心にある。
恋愛では、相手を理想化しすぎることがある。
相手の一言が自分の人生を決めるように感じられる。
その状態は、ある意味で崇拝に近い。
「Prophet」は、その危うい理想化を描く。
音楽はドラマティックで、ストリングスや厚いハーモニーが使われる。
アルバムの中で音響的な広がりを持つ一曲であり、King Princessがミニマルなベッドルーム・ポップだけに留まらないことを示している。
8. Isabel’s Moment
「Isabel’s Moment」は、短いインタールード的な楽曲である。
タイトルに人物名を使うことで、アルバムに私的な記憶や断片の感覚を加えている。
『Cheap Queen』は、完全な物語アルバムではない。
むしろ、感情の断片、会話、人物、瞬間が並ぶことで一つの心理状態を作る。
「Isabel’s Moment」はその構成を強調する。
長い説明ではなく、短い記憶の切れ端。
その不完全さが、アルバムの親密さを高めている。
9. Trust Nobody
「Trust Nobody」は、タイトル通り「誰も信じない」という防御的な姿勢を扱う。
失恋や裏切りを経験した後、人間は他人との距離を取る。
それは自分を守るための方法だ。
しかし、誰も信じない状態では新しい関係も始まらない。
この矛盾が曲の中心にある。
King Princessは自立を強さとして歌う一方、その強さが孤独を生むことも理解している。
音楽はダークで、低いベースと抑制されたビートが中心となる。
タイトルの強い言葉に対して、歌唱はむしろ静かである。
この抑制によって、怒りより疲労が伝わる。
10. Watching My Phone
「Watching My Phone」は、現代的な恋愛の孤独を非常に具体的に描いた曲である。
タイトルは「スマートフォンを見つめる」。
返事が来るか。
既読になったか。
誰かが投稿したか。
現代の恋愛では、相手が物理的にいない時間にも、スマートフォンを通じてその存在を意識し続ける。
この曲はその状態を描く。
2010年代以降の失恋ソングでは、電話やSNSが感情の重要な装置になった。
King Princessは、それを大げさなテクノロジー批判にせず、ただ待ち続ける人物の孤独として描いている。
音楽も非常に繊細で、ヴォーカルの近さが孤独を強める。
スマートフォンという極めて日常的な物体が、失恋の象徴になる。
本作でも特に現代性の強い一曲である。
11. You Destroyed My Heart
「You Destroyed My Heart」は、タイトルだけを見れば非常に古典的な失恋曲である。
「あなたは私の心を壊した」。
しかしKing Princessは、その陳腐になりやすい言葉を、皮肉と疲労を交えて歌う。
心が壊れたという表現は誇張的だ。
しかし実際に失恋している最中には、その誇張が現実そのものに感じられる。
この曲では、その若々しい極端さが意図的に残されている。
音楽的にはソウル・バラード的な要素を持つが、現代的なミニマルさもある。
クラシックな失恋ソングの感情を、2010年代のインディーR&Bへ移し替えたような楽曲である。
12. Hit the Back
「Hit the Back」は、本作の中でも特に身体的で官能的な楽曲である。
タイトルには性的なニュアンスがあり、歌詞でも欲望や身体的な関係が比較的直接的に描かれる。
ただし、単純なセクシー・ソングではない。
King Princessの音楽では、性は自己表現、力関係、親密さと常に結びつく。
自分が何を欲しいのかを言葉にすること自体が、主体性の表現になる。
音楽的にはファンク/R&Bの影響が強く、アルバム中でもグルーヴが際立つ。
ベースが前面に出て、ヴォーカルは気怠くリズムに乗る。
『Cheap Queen』の官能的な側面を代表する一曲である。
13. If You Think It’s Love
アルバム本編を締めくくる「If You Think It’s Love」は、恋愛そのものへの疑念を扱う。
タイトルは「それが愛だと思うなら」という条件形である。
つまり、愛を断定しない。
相手が愛だと思っているものは、本当に愛なのか。
依存、欲望、寂しさ、執着を愛と呼んでいるだけではないか。
本作全体で描かれてきた曖昧な関係、失恋、欲望、自己防衛が、ここで一つの問いへ集約される。
音楽は比較的静かで、アルバムを決定的な答えではなく疑問のまま終わらせる。
この終わり方が重要である。
『Cheap Queen』は恋愛について多くを語るが、最終的に「愛とは何か」という答えを出さない。
むしろ、自分の感情を完全には理解できない状態そのものを受け入れる。
総評
『Cheap Queen』は、2010年代後半のインディー・ポップとオルタナティヴR&Bを代表するデビュー作の一つである。
その最大の特徴は、自信と脆さが完全に分離されていないことにある。
King Princessは堂々としている。
セクシュアリティを隠さない。
欲望も言葉にする。
しかし、その自信は「自分は何も傷つかない」という意味ではない。
むしろ、本作では頻繁に傷ついている。
「Tough on Myself」では自分を責める。
「Ain’t Together」では関係を定義できない。
「Do You Wanna See Me Crying?」では泣いている。
「Watching My Phone」では返事を待つ。
「You Destroyed My Heart」では心が壊れる。
この弱さを隠さないことが、本作の強さになっている。
アルバムタイトル『Cheap Queen』は、その構造を完璧に表している。
“Queen”は自信。
“Cheap”は不完全さ。
両方が同じ人物の中にある。
これはクィア・ポップという文脈でも重要である。
LGBTQ+のアーティストが可視化される過程では、しばしば「強く、自信に満ちた自己肯定」が前面に出る。
それ自体には大きな意味がある。
しかしKing Princessは、その次の段階へ進む。
クィアであることを肯定した上で、「それでも恋愛では失敗するし、嫉妬もするし、傷つく」と歌う。
この普通さが重要なのである。
彼女の恋愛は、異質なものとして特別扱いされない。
恋人を好きになりすぎる。
返事を待つ。
関係を定義できない。
別れても未練が残る。
それらは非常に普遍的な感情だ。
そのため『Cheap Queen』は、クィアな経験を具体的に描きながら、同時に広いリスナーへ届く。
音楽的には、King Princessのヴォーカルが作品の中心にある。
彼女の声は低く、少し曇っており、クラシックなソウルシンガーを思わせる部分がある。
しかし歌い方は現代的だ。
大きくビブラートをかけるより、言葉を少し遅らせ、息を残し、フレーズを途中で崩す。
この歌唱が、ベッドルーム・ポップ的な近さとソウル的な身体性を両立させる。
プロダクションも、その声を邪魔しない。
音数は比較的少ない。
ベース、ドラム、ギター、キーボード。
必要な要素だけを置き、声の余白を作る。
そのため『Cheap Queen』は、派手な2010年代ポップとは異なる。
EDM的なドロップも、大規模なサビもほとんど必要としない。
むしろ、部屋の中で一対一で歌われているような距離感を重視する。
この親密さはFrank Ocean、Solange、Blood Orangeなど2010年代のオルタナティヴR&Bとも接点がある。
一方、ソングライティングにはもっと古典的な感覚もある。
「Ain’t Together」「You Destroyed My Heart」などは、構造だけを見れば非常に伝統的なラブソングである。
そのため、本作は実験性だけで成立していない。
強いメロディと古典的な感情がある。
この「古いラブソングの感情を、現代的なクィア・ポップへ置き換える」方法が、本作の大きな魅力である。
また、自己演出というテーマも重要だ。
King Princessという名前自体が、ジェンダー的なイメージを混ぜる。
“King”と“Princess”。
そこに『Cheap Queen』が加わる。
王、姫、女王。
それらの称号が混ざり、固定的なジェンダーや権威のイメージが崩れる。
しかし、それを理論的に説明するのではなく、ポップスターとしてのキャラクターにしてしまう。
この軽さがKing Princessの強みである。
『Cheap Queen』は、アイデンティティを説明する作品ではない。
アイデンティティをすでに生きている人物が、その上で恋愛や失敗について歌う作品である。
その意味で、2010年代後半のポップ文化におけるクィア表現の成熟を示している。
歴史的には、インディー・ポップとR&Bの境界が大きく曖昧になった時期の作品としても重要だ。
2010年代には、Frank Ocean、Solange、Blood Orange、The xx、Perfume Geniusなどが、ジャンルの境界を越えながら、親密で個人的な音楽を作った。
King Princessもその流れの中にいる。
しかし彼女には、より伝統的なソウル感覚と、皮肉の効いたポップソング作家としての強さがある。
そのため『Cheap Queen』は、単なる雰囲気重視の作品にはならない。
各曲に明確な人物像と感情がある。
デビュー・アルバムとして見ても、本作は非常に完成度が高い。
スターとしてのキャラクター。
ヴォーカルの個性。
クィアな視点。
ソウルとインディーの融合。
そして失恋の具体性。
それらが一枚の中で明確に統一されている。
『Cheap Queen』は、クィア・ポップ、インディーR&B、ソウル、ベッドルーム・ポップに関心があるリスナーにとって重要な作品であり、2010年代後半の「親密さを中心にしたポップ」の代表例の一つとして位置づけられる。
おすすめアルバム
1. Frank Ocean – Blonde(2016)
オルタナティヴR&Bと内省的なソングライティングを極端に親密な形へ発展させた作品。恋愛、セクシュアリティ、記憶、孤独を断片的に描く方法は、『Cheap Queen』の静かな感情表現と強く共鳴する。
2. Blood Orange – Negro Swan(2018)
R&B、インディー、ファンク、ドリームポップを融合しながら、クィアな自己認識、孤独、社会的疎外を描いた作品。King Princessと同じく、アイデンティティと親密なポップソングを自然に結びつけている。
3. Christine and the Queens – Chris(2018)
ジェンダー、欲望、身体、自己演出をダンス・ポップとアート・ポップで描いた作品。『Cheap Queen』よりも電子的でダンサブルだが、固定的なジェンダーイメージをポップスターのキャラクターとして再構成する点で関連性が高い。
4. Perfume Genius – No Shape(2017)
クィアな親密さ、身体、愛、脆さをアート・ポップ、ロック、ゴスペル的なサウンドで表現した作品。King Princessより劇的だが、弱さと自己肯定を同時に描く姿勢に共通点がある。
5. Solange – A Seat at the Table(2016)
ソウル、R&B、ファンクをミニマルかつ繊細なプロダクションで再構築した作品。声を大きく押し出すより、空間とニュアンスによって感情を表現する方法が『Cheap Queen』と親和性が高く、2010年代のオルタナティヴR&Bの重要な基準点となった一枚である。

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