発売日: 1985年8月12日
ジャンル: シンセ・ポップ、ニュー・ウェイヴ、ポップ・ロック
概要
『Shock』は、The Motelsが1985年に発表した5作目のスタジオ・アルバムであり、MTV時代後期における彼らの最後の本格的ヒット作となった。
本作では、前作『Little Robbers』で築いた洗練されたポップ路線をさらに押し進め、よりエレクトロニックでダンサブルなアプローチを取り入れている。
プロデュースは引き続きRichie Zitoが担当し、マーサ・デイヴィスのソングライティングはさらに成熟。
ラジオヒットとなった「Shame」は、当時のビルボードHot 100で21位に入り、MTVでも頻繁にオンエアされた。
しかし、その商業的な洗練の裏には、マーサ自身の内面の暗さや痛みが隠されており、アルバム全体を通して“仮面をかぶった哀しみ”というテーマがにじんでいる。
80年代後半の女性ヴォーカル・ポップの中でも、最も深い層を照らすような一作である。
全曲レビュー
1. Shock
タイトル曲にしてアルバムの幕開けを飾る楽曲。
鋭く切り込むようなギター・リフと、シンセのうねりが絡み合い、不安と昂揚が交錯する。
「ショック」という言葉が象徴するのは、突発的な外的出来事というより、内側からの崩壊の予感である。
2. Shame
本作の最大のヒット曲であり、The Motelsのラスト・クラシックとも言える名バラード。
“Shame”という単語が反復されるサビの印象が強烈で、感情を抑えた歌唱が逆に深い共感を呼ぶ。
「恥」というテーマに、愛、罪、孤独が重なり合う重層的な作品。
3. Hungry
リズミカルなベースラインと跳ねるようなドラムが特徴のアップテンポ・ナンバー。
タイトルの“Hungry”は、飢えた身体というより「愛に飢えた心」を指しているように思える。
ボーカルのテンションも高く、アルバム中盤の推進力を担う。
4. Annie Told Me
ミステリアスで語り口調のような楽曲。
“Annie”という登場人物を通じて、傷ついた女性の物語が描かれているが、その全貌は明かされない。
語られない部分にこそ、マーサ・デイヴィスの文学性が宿る。
5. Icy Red
冷たいシンセと浮遊感あるギターが、80年代特有の“未来的哀愁”を漂わせるナンバー。
“Icy”と“Red”という一見矛盾する言葉が、情熱と無感覚の交錯を象徴している。
感情を抑圧する現代社会の隠喩とも読める。
6. In the Jungle
アニマル的な本能、都市の喧騒、そして生存競争を描いたパワフルな曲。
ポリリズムを思わせるパーカッションが緊張感を生み出し、アフリカンなモチーフもちらりと覗く。
80年代的“ジャングル=現代社会”のメタファーとして機能している。
7. New York Times
都会の孤独と情報の洪水の中で溺れる現代人の姿を描いた曲。
タイトルが示す通り、“ニュース”という現実と個人の感情との乖離がテーマであり、メディア時代の感情の麻痺が暗示されている。
8. State of the Heart
本作でも特に感傷的なナンバーで、マーサのボーカルが最も柔らかく、親密に響く瞬間。
“心の状態”という曖昧なテーマを、繊細なメロディとストレートな詞で描いている。
ポップでありながら、非常に私的な感触を残す。
9. Dangerous
再びアグレッシブな展開へ戻るトラック。
“Dangerous”という言葉は、恋の高揚と破滅を同時に指しており、マーサ・デイヴィスらしい両義的な表現が光る。
ギターが前面に出たロック色の強い楽曲。
10. Night by Night
アルバムのクロージングにふさわしい、夢のように滑らかで静かなトラック。
夜ごとに少しずつ変化し崩れていく感情の移ろいを描き、静かな余韻を残す。
“Night by night we disappear”というラインが、本作全体のテーマを静かに要約している。
総評
『Shock』は、The Motelsが到達したポップ・ミュージックの最前線でありながら、内面へのまなざしを決して忘れなかった希少な作品である。
MTV時代の終焉が近づく1985年という時代にあって、マーサ・デイヴィスはその仮面の下でなお、人間の痛みや恥、孤独と向き合い続けた。
音楽的には、前作までよりもさらに打ち込みやシンセを活用し、ダンス寄りのアプローチを取っているが、内容はむしろより重く、詩的で深い。
「Shame」や「State of the Heart」などに象徴されるように、このアルバムは表層の華やかさとは裏腹に、感情の奥底を覗き込むような視点で貫かれている。
The Motelsはこの後、マーサ・デイヴィスのソロプロジェクト化していくが、本作は“バンドとしての最後の均衡”を保った、緊張と美しさの集大成とも言えるだろう。
忘れられがちな80年代女性ロックの名盤として、再評価に値するアルバムである。
おすすめアルバム(5枚)
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Eurythmics / Be Yourself Tonight
シンセ・ポップにソウルの要素を加えた、同時期の強い女性像を描く傑作。 -
Laura Branigan / Self Control
夜と孤独をテーマにしたシンセ・ポップ。マーサ同様に“声”に深みがある。 -
Pat Benatar / Seven the Hard Way
同年リリース。ロックとポップのバランス感覚に優れた作品で、女性ボーカルの存在感が際立つ。 -
Til Tuesday / Everything’s Different Now
内省的な歌詞と80年代的な音像の完成形。マーサ・デイヴィスとエイミー・マンの共通点も多い。 -
Berlin / Count Three & Pray
『Shock』と同年の作品。よりダークなエレクトロ・ロックの方向性で、時代性が一致する。
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