
- 発売日: 1992年4月20日
- ジャンル: インディー・ロック、ローファイ、ノイズ・ポップ、オルタナティヴ・ロック、ポストパンク、カレッジ・ロック
概要
Pavementのデビュー・アルバム『Slanted and Enchanted』は、1990年代USインディー・ロックの美学を決定づけた作品のひとつである。Nirvana『Nevermind』以降、オルタナティヴ・ロックが一気にメインストリームへ進出していく時代に、Pavementはその流れとは異なる場所から登場した。彼らは巨大なギター・サウンドや感情の爆発によってロックを塗り替えたのではなく、むしろ不完全さ、脱力、斜めからのユーモア、ローファイな録音、断片的な歌詞によって、インディー・ロックの新しい基準を作った。
『Slanted and Enchanted』は、粗い録音、ゆるい演奏、ノイズ混じりのギター、焦点の合わない歌詞によって成り立っている。しかし、それは単なる未熟さではない。Pavementの音楽には、意図的に整えすぎない美学がある。音はときに歪み、リズムはわずかに揺れ、Stephen Malkmusの歌は気だるく、確信を持って叫ぶというより、半分笑いながら言葉を投げているように聞こえる。この「ちゃんとしていなさ」が、当時のロックの真剣さや大仰さに対する強いカウンターになった。
Pavementの背景には、The Fall、Sonic Youth、R.E.M.、The Velvet Underground、Wire、The Clean、Guided by Voices、Dinosaur Jr.などの影響が感じられる。特にThe Fallからの影響はよく指摘される。反復的なギター・リフ、ぶっきらぼうなヴォーカル、意味がつかみにくい言葉の連なり、皮肉な態度などは、Mark E. Smith的なポストパンクの知性をアメリカの郊外的な空気へ移植したようでもある。ただしPavementは、The Fallほど攻撃的でも政治的でもなく、より気まぐれで、よりメロディアスで、より学生的な脱力を持っている。
アルバム・タイトル『Slanted and Enchanted』は、「傾いていて、魔法にかけられている」と訳せる。これは本作の音楽性を非常によく表している。Pavementの音楽は、まっすぐではない。ギターは少し傾き、メロディは少し外れ、歌詞は意味から少しずれ、曲の構成も王道から少し斜めに進む。しかし、その傾きこそが魅力であり、聴き手を奇妙に惹きつける。整っていないのに、忘れがたい。雑に聞こえるのに、曲として強い。まさに「slanted」であり「enchanted」なのである。
歌詞面では、明確な物語や告白よりも、断片的なイメージ、皮肉、言葉遊び、文化的な参照、日常のズレが重視される。Stephen Malkmusの歌詞は、何かを直接説明することを避ける。恋愛の痛みや社会への怒りをまっすぐに語るのではなく、意味ありげな言葉を並べ、聴き手に解釈の余白を残す。この作詞スタイルは、1990年代以降のインディー・ロックに大きな影響を与えた。感情を告白するのではなく、態度や語り口で伝える。Pavementはその方法を非常に早い段階で完成させていた。
『Slanted and Enchanted』の重要性は、ローファイという録音の粗さを単なる制約ではなく、美学へ変えた点にもある。音質が悪いから魅力がないのではない。むしろ、その粗さによって、メジャー・ロックの滑らかさから逃れ、より身近で、より不安定で、より自由な音楽が可能になる。本作は、インディー・ロックが「大きな音楽産業の外側で鳴る音」としての価値を強く持っていた時代の象徴である。
キャリア上では、本作はPavementの原点であり、その後の『Crooked Rain, Crooked Rain』や『Wowee Zowee』で展開される多面的なソングライティングの出発点である。『Crooked Rain, Crooked Rain』ではメロディと構成がより整理され、バンドはより広いリスナーに届くことになる。一方、『Slanted and Enchanted』には、まだ混沌、荒さ、地下室的な空気が強く残っている。その未完成のような完成度こそ、本作を特別なものにしている。
全曲レビュー
1. Summer Babe (Winter Version)
オープニング曲「Summer Babe (Winter Version)」は、Pavementの初期を代表する楽曲であり、『Slanted and Enchanted』の世界を象徴する入口である。タイトルからして矛盾を含んでいる。「夏の恋人」でありながら「冬ヴァージョン」である。温かさと冷たさ、親密さと距離、ポップな甘さとローファイなざらつきが、このタイトルだけでも示されている。
音楽的には、ゆるく歪んだギター、気だるいリズム、Malkmusの投げやりな歌声が重なる。曲は明確な爆発を目指すのではなく、少し不安定なまま進む。しかし、メロディは非常に強く、粗い録音の向こうに確かなポップ・センスがある。Pavementの魅力はここにある。壊れかけたような音の中に、実は非常に優れたメロディが潜んでいる。
歌詞は断片的で、恋愛の曲のようでもあり、記憶の中の人物をめぐる曖昧な独白のようでもある。はっきりした物語はないが、夏の眩しさが冬の冷たさの中で思い出されているような感覚がある。過去の高揚を、現在の冷めた視点から眺めているようにも聞こえる。
「Summer Babe」は、Pavementのローファイな美学とポップ・ソングとしての魅力が最初から両立していることを示す名曲である。アルバムの冒頭に置かれることで、本作が単なるノイズの実験ではなく、歪んだポップ・アルバムであることが明確になる。
2. Trigger Cut / Wounded-Kite at :17
「Trigger Cut / Wounded-Kite at :17」は、タイトルからして非常にPavementらしい楽曲である。複数の言葉がスラッシュでつながり、さらに「:17」という時間指定のようなものまで含まれている。意味は明確ではないが、その不自然な組み合わせが、楽曲のひねくれた魅力をよく表している。
音楽的には、硬質なギター・リフと軽快なリズムが中心で、アルバム序盤に鋭い推進力を与える。曲は短く、無駄がなく、ポストパンク的な緊張感もある。ギターの音はざらついているが、演奏は意外にタイトで、Pavementが単なるゆるいバンドではないことが分かる。
歌詞では、断片的なフレーズが次々に現れ、聴き手は意味を追うよりも言葉のリズムや響きを受け取ることになる。Malkmusの作詞は、明確なメッセージよりも、言葉が持つ違和感や角度を重視する。この曲でも、意味がつかめそうでつかめない状態が続く。
「Trigger Cut」は、Pavementの知的なひねくれ方を示す楽曲である。ノイズやローファイだけでなく、言葉の使い方、曲名の付け方、メロディの曲げ方においても、彼らは既存のロックの形式から少しずれている。そのずれが、この曲の魅力である。
3. No Life Singed Her
「No Life Singed Her」は、アルバム序盤の中でも特に荒々しく、短く、ノイズ・ロック的な性格の強い楽曲である。タイトルの「singed」は「焦がした」「焼いた」という意味を持ち、生命力を失ったもの、あるいは何かに焼かれて傷ついた存在を連想させる。
音楽的には、ギターのノイズと性急なリズムが前面に出る。曲は非常にコンパクトで、細かい説明をせずに駆け抜ける。Pavementの中でもパンク的な瞬発力が強く、ローファイ録音の粗さが楽曲のエネルギーをそのまま増幅している。
歌詞は明瞭な物語を持たず、叫びや断片のように響く。ここでは言葉の意味よりも、音の勢いや声の質感が重要である。Malkmusのヴォーカルは感情を熱く叫ぶというより、少し斜めから投げつけるような調子を持つ。その距離感が、曲の攻撃性を単純な怒りとは違うものにしている。
「No Life Singed Her」は、『Slanted and Enchanted』の荒さを象徴する曲である。完成されたポップ・ソングというより、ノイズと衝動が短い時間に圧縮された断片であり、アルバムのざらついた肌触りを強めている。
4. In the Mouth a Desert
「In the Mouth a Desert」は、本作の中でも特に重要な楽曲のひとつであり、Pavementのメロディセンスと詩的な不条理さが美しく結びついている。タイトルは「口の中に砂漠」と訳せる。乾き、言葉の不在、発話の困難、孤独を連想させる非常に印象的なフレーズである。
音楽的には、ギターのアルペジオ的な響きと、ゆったりしたリズムが特徴である。曲は荒々しさよりも、乾いた叙情性を持っている。Malkmusの歌声はいつものように脱力しているが、メロディには明確な哀愁がある。Pavementが単なる皮肉屋ではなく、非常に優れたメランコリックなソングライターであることが分かる曲である。
歌詞では、言葉、乾き、疎外、自己の不確かさが断片的に示される。口の中に砂漠があるというイメージは、何かを話そうとしても言葉が乾いてしまう状態を思わせる。コミュニケーションの困難、感情をうまく表現できないこと、若者特有の言葉にならない不安がここにある。
「In the Mouth a Desert」は、『Slanted and Enchanted』の中でも比較的聴きやすいメロディを持ちながら、歌詞のイメージは非常に奇妙である。このバランスがPavementらしい。ポップでありながら、意味は傾いている。美しいが、どこか乾いている。
5. Conduit for Sale!
「Conduit for Sale!」は、Pavementの初期衝動が最も荒々しく表れた楽曲のひとつである。タイトルは「導管売ります」といった奇妙な響きを持ち、商業的な広告文のようでもあり、無意味な叫びのようでもある。曲全体も、そのタイトルにふさわしく、壊れた標識のような不自然な勢いを持つ。
音楽的には、激しいギター、叫ぶようなヴォーカル、性急なリズムが中心である。特に反復されるフレーズは非常に印象的で、Pavementの楽曲の中でもパンク的な粗さが強い。曲は整然と進むというより、勢いのまま転がっていく。
歌詞はほとんどスローガンや断片のように響き、意味を正確に読み取るより、声のニュアンスや繰り返しの効果が重要になる。Pavementはここで、ロックの歌詞を意味伝達の道具としてではなく、音の一部として扱っている。言葉は説明ではなく、ノイズの一種になる。
「Conduit for Sale!」は、Pavementが持つ反商業的で脱臼したユーモアをよく示す曲である。売り物のようなタイトルを掲げながら、曲はまったく売れ線の整ったポップではない。その矛盾が非常にPavementらしい。
6. Zurich Is Stained
「Zurich Is Stained」は、アルバム前半の中でも特に穏やかで、短く、印象的な楽曲である。タイトルは「チューリッヒは汚れている」と訳せるが、なぜチューリッヒなのか、何が汚れているのかは明確に説明されない。この説明されなさが、Pavementの歌詞世界の魅力である。
音楽的には、非常にシンプルで、アコースティックに近い感触を持つ。ギターは穏やかに鳴り、Malkmusの声も柔らかい。曲は短く、余計な展開を持たずに終わる。しかし、その短さの中に不思議な余韻がある。
歌詞では、場所の名前と感情の断片が結びつく。チューリッヒというヨーロッパの都市名は、アメリカのローファイ・インディー・ロックの中ではどこか唐突に響く。その唐突さによって、曲は個人的な記憶の断片のようにも、意味のないジョークのようにも聞こえる。
「Zurich Is Stained」は、Pavementの小品的な魅力を示す楽曲である。大きなアンセムではなく、短いスケッチのような曲だが、アルバム全体の中で独特の静けさを作っている。Pavementはこうした小さな曲にも、奇妙な存在感を持たせることができる。
7. Chesley’s Little Wrists
「Chesley’s Little Wrists」は、非常に短く、断片的な楽曲であり、『Slanted and Enchanted』の実験的な側面を示している。タイトルは具体的な人物名と身体部位を含んでいるが、その意味は明確ではない。Pavementの曲名には、こうした意味深でありながら説明を拒むものが多い。
音楽的には、ノイズ、断片的な演奏、ローファイな質感が中心で、完成されたポップ・ソングというより、アルバムの流れの中に挟まれた奇妙な切れ端のように機能する。こうした曲が入ることで、本作は単なるギター・ポップ作品ではなく、コラージュ的なローファイ・アルバムとしての性格を強めている。
歌詞やヴォーカルは、明確な意味よりも雰囲気を作る役割が大きい。曲そのものが短いため、聴き手は何かが始まったと思った瞬間に、すでにそれが終わっているような感覚を受ける。この不完全さが、アルバムのざらついた魅力につながっている。
「Chesley’s Little Wrists」は、Pavementが曲を必ずしも完璧な商品として提示しないことを示す楽曲である。断片もまた作品の一部であり、不完全さもまたアルバムの空気を作る重要な要素なのである。
8. Loretta’s Scars
「Loretta’s Scars」は、本作の中でも比較的ポップな輪郭を持つ楽曲であり、Pavementのメロディアスな側面がよく表れている。タイトルは「ロレッタの傷跡」を意味し、人物名と身体的な傷が結びつくことで、個人的な物語の存在を感じさせる。しかし、やはりその物語は明確には語られない。
音楽的には、ギターのメロディが印象的で、曲全体にノイズ混じりの爽快感がある。リズムは軽快で、Malkmusの歌も比較的親しみやすい。『Slanted and Enchanted』の中では、後の『Crooked Rain, Crooked Rain』に通じるポップ・センスが見えやすい曲である。
歌詞では、傷跡という言葉が示すように、過去の痛みや記憶の痕跡が暗示される。だが、Pavementはそれを感傷的に語らない。むしろ、傷の存在を軽く指差すだけで、その背景を説明しない。この距離感によって、曲は過度なドラマを避けながら、聴き手に余白を残す。
「Loretta’s Scars」は、Pavementがノイズとメロディを自然に結びつけられるバンドであることを示す曲である。ざらついたギターの中から、非常に魅力的なポップ・ソングが立ち上がる。この感覚は、1990年代インディー・ロックに大きな影響を与えた。
9. Here
「Here」は、『Slanted and Enchanted』の中でも最も美しく、最も重要な楽曲のひとつである。Pavementの楽曲の中では比較的静かで、メランコリックなバラードに近い。タイトルの「Here」は非常にシンプルだが、その単純さが逆に深い。ここにいること、どこにも行けないこと、現在地を確認すること。そのすべてが含まれている。
音楽的には、穏やかなギターと抑制されたヴォーカルが中心である。ノイズは控えめで、曲の感情が前面に出る。Malkmusの歌声は相変わらず脱力しているが、この曲ではその脱力が深い哀しみとして響く。感情を大げさに表現しないからこそ、かえって切実である。
歌詞では、喪失、停滞、諦め、自己認識が断片的に描かれる。非常に印象的なのは、何かを達成することよりも、「ここにいる」ことの重さである。若さの中で、未来へ進んでいるようで実際には同じ場所にいる感覚。Pavementはそれを、派手な言葉ではなく、静かなメロディで表現する。
「Here」は、Pavementが単なる皮肉や脱力のバンドではないことを示す決定的な楽曲である。彼らの音楽には、深いメランコリーがある。ただし、それは感傷的な自己憐憫ではなく、少し乾いた諦念として表れる。この曲は、その感情を最も美しく捉えている。
10. Two States
「Two States」は、非常に短く、反復的で、政治的な響きも持つ楽曲である。タイトルは「二つの州」あるいは「二つの状態」と読める。アメリカの地理的な分断、精神状態の二重性、社会的な対立など、さまざまな解釈が可能である。
音楽的には、ミニマルなリフと反復されるフレーズが中心で、The Fall的なポストパンクの影響が特に強く感じられる。曲は非常に簡潔で、同じ言葉とリズムを繰り返すことで独特の中毒性を生む。演奏は粗いが、その粗さが反復の力を増幅している。
歌詞では、「two states」という言葉が反復され、意味が少しずつ変化していく。政治的スローガンのようにも、意味のない掛け声のようにも聞こえる。この曖昧さがPavementらしい。彼らは政治的な言葉を扱っても、それを明確な主張に固定しない。
「Two States」は、アルバムの中でPavementのポストパンク的な側面を最も明確に示す曲である。短く、粗く、反復的で、少し馬鹿馬鹿しく、しかし妙に忘れられない。このバランスが本作の魅力を強めている。
11. Perfume-V
「Perfume-V」は、タイトルからして奇妙な人工性を持つ楽曲である。香水という官能的で個人的なものに、アルファベットの記号が付け加えられることで、商品名のようにも、化学物質のようにも響く。Pavementの曲名らしく、具体性と抽象性の間で揺れている。
音楽的には、ギターのノイズとローファイな質感が前面に出る。曲は比較的荒く、メロディも明快ではあるが、録音のざらつきによって独特の曇りがある。Pavementの音楽におけるポップ性は、常にこうしたノイズの膜を通して現れる。
歌詞では、香り、記憶、身体、商品的なイメージが暗示される。香水は、誰かの存在を思い出させる非常に個人的な感覚であると同時に、消費される商品でもある。この二重性は、Pavementの冷めた視点と相性がよい。感情は商品化され、記憶は匂いとして残り、意味は曖昧になる。
「Perfume-V」は、アルバム終盤に再びノイズとポップの不安定な関係を提示する曲である。Pavementの音楽は、決して完全に清潔にはならない。美しいメロディの近くには、常に埃や歪みがある。
12. Fame Throwa
「Fame Throwa」は、タイトルから名声への皮肉が感じられる楽曲である。「flamethrower」をもじったような言葉でもあり、名声を火炎放射器のように扱うイメージが浮かぶ。Pavementはメインストリーム的な成功やロックスター的な振る舞いに対して、常に距離を取っていたバンドであり、この曲にもその態度が表れている。
音楽的には、やや不安定なリズムとギターが印象的で、曲全体に斜めに進むような感覚がある。Pavementの演奏は、完璧に揃ったロック・バンドというより、少しズレながらも奇妙なまとまりを持つ。そのズレが、この曲のタイトルにある名声への皮肉とよく合っている。
歌詞では、名声、見栄、文化的なポーズ、ロック・バンドとしての自己意識が断片的に示される。Pavementは名声を完全に拒否していたわけではないが、それを真面目に信じることもできなかった。彼らの音楽には、ロックンロールのかっこよさを理解しながら、それを少し茶化す視点が常にある。
「Fame Throwa」は、Pavementの自己批評的なユーモアを示す楽曲である。名声を求めながら、それに巻き込まれることを警戒する。インディー・ロックにおける成功へのアンビバレンスが、この曲には刻まれている。
13. Jackals, False Grails: The Lonesome Era
「Jackals, False Grails: The Lonesome Era」は、アルバムの中でも特に文学的で長いタイトルを持つ楽曲である。ジャッカル、偽の聖杯、孤独な時代。これらの言葉は、宗教的、神話的、荒野的なイメージを呼び起こすが、Pavementはそれを大仰なプログレッシヴ・ロック的物語にはしない。むしろ、奇妙な言葉の組み合わせとして軽く扱う。
音楽的には、ややゆったりしたテンポで、アルバム終盤の余韻を作る楽曲である。ギターはざらついているが、曲にはどこか漂うような感覚がある。Malkmusの歌声も落ち着いており、奇妙なタイトルに反して、楽曲自体は比較的穏やかに進む。
歌詞では、神話的な言葉や孤独の感覚が断片的に現れる。偽の聖杯というイメージは、何か価値あるものを求めながら、それが偽物であることに気づく感覚を示しているようにも読める。これは『Is This It』的な失望感とも近いが、Pavementの場合はより文学的で、もっと冗談めいている。
「Jackals, False Grails: The Lonesome Era」は、本作の中でPavementの言葉遊びとメランコリーが交差する曲である。大きな意味がありそうで、実際には意味が逃げていく。その逃げ方が魅力である。
14. Our Singer
ラスト曲「Our Singer」は、『Slanted and Enchanted』を締めくくるにふさわしい、短く、奇妙で、どこか自己言及的な楽曲である。タイトルは「私たちの歌手」を意味し、バンド内のヴォーカリスト、あるいはロック・バンドにおける歌う人物の役割を指しているようにも聞こえる。
音楽的には、非常にシンプルで、荒削りである。曲は大きなフィナーレを作らず、むしろあっけなく終わる。これはPavementらしい終わり方である。彼らはアルバムの最後に壮大な結論を置かない。むしろ、少し肩透かしのような余韻を残す。
歌詞では、歌手という存在への距離感が感じられる。ロック・バンドにおけるフロントマンは、しばしばカリスマとして扱われる。しかしPavementは、そのカリスマ性を正面から引き受けない。「Our Singer」という言い方には、どこか他人事のような、バンド内での冗談のような響きがある。
「Our Singer」は、アルバム全体の脱力した自己意識を象徴する終曲である。Pavementは最後まで大げさなロック・バンドにはならない。歌手も、バンドも、曲も、少し傾いたまま終わる。その終わり方が、本作には非常によく似合っている。
総評
『Slanted and Enchanted』は、1990年代インディー・ロックにおける最重要作のひとつである。本作は、メジャー化していくオルタナティヴ・ロックの時代に、別のロックのあり方を提示した。巨大なサウンド、感情の爆発、明確なメッセージ、完璧な録音。そのどれにも頼らず、Pavementはローファイな音、脱力した歌、断片的な歌詞、傾いたメロディによって、非常に強い作品を作り上げた。
本作の重要性は、不完全さを美学に変えた点にある。録音は粗く、演奏はときに不安定で、歌詞は意味を明確にしない。しかし、それらは欠点ではなく、Pavementの表現の中心である。完璧に整った音楽では表現できない感覚がある。退屈、皮肉、照れ、若さの鈍い不安、言葉にならないメランコリー。『Slanted and Enchanted』は、それらを非常に自然に音にしている。
Stephen Malkmusの存在は決定的である。彼の歌は、ロック・シンガーとしての熱さやカリスマ性を意図的に避けているように聞こえる。だが、その気だるい声の奥には、鋭いメロディ感覚と独特の言葉のセンスがある。彼は感情を直接語るのではなく、意味が少しずれた言葉や、妙に印象的なフレーズによって感情を作る。この方法は、その後のインディー・ロックに非常に大きな影響を与えた。
音楽的には、Pavementはノイズとポップの中間に立っている。『Slanted and Enchanted』には、耳に残るメロディが多い。しかし、それらは常にギターの歪み、ローファイな録音、演奏の揺れによって少し汚されている。この汚れが重要である。きれいすぎるポップではなく、壊れかけたポップ。Pavementはその形式を非常に高いレベルで完成させた。
また、本作にはインディー・ロックの倫理のようなものも刻まれている。それは、メインストリームに対する単純な拒絶ではない。Pavementはポップな曲を書くことを恐れていない。しかし、そのポップさを過度に磨き上げることは拒む。商業的成功を完全に否定するわけではないが、成功に自分たちの態度を支配されることは避ける。この曖昧で皮肉な距離感が、1990年代インディーの重要な感覚だった。
『Slanted and Enchanted』は、後のPavement作品と比べると、荒さが際立つ。『Crooked Rain, Crooked Rain』ではより曲が整理され、『Wowee Zowee』ではジャンルの幅が広がり、『Brighten the Corners』では成熟したソングライティングが前面に出る。しかし、デビュー作である本作には、最初にしか出せない不安定な強さがある。まだ完全には形になっていないようで、実はすでにPavementの核がすべて入っている。
日本のリスナーにとって本作は、最初はとっつきにくく感じられる可能性がある。音は粗く、歌は気だるく、歌詞は分かりにくい。だが、何度も聴くと、曲の奥にあるメロディの強さ、言葉の奇妙な魅力、アルバム全体の乾いた空気がじわじわと残る。これは一聴して分かるタイプの名盤というより、聴き手の感覚を少しずつ変えていく作品である。
後の音楽シーンへの影響は非常に大きい。Pavement以降、多くのインディー・バンドが、技巧や音圧ではなく、態度、余白、言葉のズレ、ローファイな質感によって自分たちの世界を作るようになった。Stephen Malkmusの脱力した知性、Pavementの反カリスマ的なバンド像は、1990年代以降のインディー・ロックの重要なモデルになった。Built to Spill、Modest Mouse、Guided by Voices、Parquet Courts、Car Seat Headrestなど、多くのバンドを聴くうえでも、本作は重要な参照点である。
総じて『Slanted and Enchanted』は、傾いたロックの名盤である。まっすぐではない。きれいでもない。完璧でもない。しかし、その不完全さこそが魔法になっている。ローファイな録音の向こうに、鋭いメロディ、奇妙なユーモア、乾いた哀しみ、インディー・ロックの自由がある。本作は、1990年代のアンダーグラウンドから鳴った小さな音が、後のロックの価値観を大きく変えた瞬間を記録したアルバムである。
おすすめアルバム
1. Pavement – Crooked Rain, Crooked Rain
1994年発表のセカンド・アルバム。『Slanted and Enchanted』のローファイな荒さを残しつつ、よりメロディと構成が整理された作品である。「Cut Your Hair」を含み、Pavementのポップな側面を知るうえで最も聴きやすい代表作のひとつである。
2. Pavement – Wowee Zowee
1995年発表のサード・アルバム。カントリー、パンク、ジャム的な展開、奇妙な小品が混在する、Pavementの最も散漫で自由な作品である。『Slanted and Enchanted』の傾いた感覚が、さらに拡散したアルバムとして聴くことができる。
3. The Fall – This Nation’s Saving Grace
1985年発表のポストパンク重要作。反復的なリフ、皮肉なヴォーカル、説明を拒む歌詞は、Pavementの初期作品に大きな影響を与えた文脈として重要である。Pavementのひねくれた知性の背景を理解しやすい一枚である。
4. Guided by Voices – Bee Thousand
1994年発表のローファイ・インディーの名盤。短い曲、粗い録音、断片的なアイデア、強いメロディが詰め込まれた作品である。Pavementと並んで、1990年代USインディーにおけるローファイ美学を代表するアルバムである。
5. Sonic Youth – Daydream Nation
1988年発表のオルタナティヴ・ロック/ノイズ・ロックの金字塔。ギターの不協和、アンダーグラウンドな精神、ロックの形式をずらす姿勢は、Pavementの音楽的背景を理解するうえで重要である。『Slanted and Enchanted』のノイズと知性の関係に興味があるリスナーに適している。

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