
1. 歌詞の概要
Akron/Familyの「Everyone is Guilty」は、彼らの2009年作『Set ‘Em Wild, Set ‘Em Free』の冒頭を飾る強烈な楽曲である。
この曲は、そのタイトルが示す通り「すべての人が罪を負っている」という根源的な問いを突きつけてくる。だがその罪とは、道徳的な規範におけるものではなく、人間が存在するという行為そのものに宿る“原罪”のようなものなのだ。曲中では、罪の感覚を恥としてではなく、むしろ共感や連帯の契機として捉える視点が提示される。
音楽的には、重厚なリズムとサイケデリックなギター、乱雑なホーンセクションが織りなす混沌が支配的で、リスナーは冒頭から揺さぶられるような感覚を味わう。Akron/Familyがこれまでのフォーク寄りの音像から一歩踏み出し、アフロビートやファンク、さらにはインダストリアルなエネルギーまでも取り込んだ革新的なサウンドを提示した記念碑的な曲でもある。
2. 歌詞のバックグラウンド
この曲が制作された2008〜2009年当時、Akron/Familyはかつてのメンバー脱退を経てトリオ編成となり、バンドとしてのアイデンティティを新たに構築し直す過程にあった。アルバム『Set ‘Em Wild, Set ‘Em Free』は、そうした再構築の中で生まれた作品であり、「Everyone is Guilty」はその先鋒として、旧来のイメージを打ち破る役割を果たしている。
また、タイトルに込められた「罪」とは、宗教的、政治的、社会的な文脈を横断する普遍的な概念として用いられている。当時のアメリカ社会――金融危機、イラク戦争後の混乱、人種問題、貧富の格差――の中で、「すべての人が罪を負っている」という宣言は単なる挑発ではなく、“目をそらすことのできない現実”の描写だったのだ。
Akron/Familyはこの曲を通して、聴き手に問いかける。自分自身の責任とは何か? 社会と個人の関係はどのようにして構築されるのか? その問いは、音のカオスの中でこそより鮮明に響いてくる。
3. 歌詞の抜粋と和訳
以下に歌詞の一部と日本語訳を紹介する。
Everyone is guilty, it’s not just you
みんな罪を負っている、それは君だけじゃないEveryone is guilty, it’s not just you
みんな罪を背負っている、それは君だけじゃないんだI said, everyone is guilty, it’s not just you
そう、誰もが罪人なんだ、君だけのことじゃないBut you can still move your hips
でもそれでも腰を振って踊ることはできるさ
引用元:Genius.com – Akron/Family – Everyone is Guilty
この「罪」と「踊り」の対比が、楽曲の持つ魅力を端的に表している。重い命題を提示しつつ、それを“身体を通して受け止めろ”と語るその姿勢は、まるで現代の神話の語り手のようだ。
4. 歌詞の考察
「Everyone is Guilty」というメッセージは、聴き手に内省を促すものではあるが、それ以上に“共犯性”を通じた連帯の可能性を示唆しているように思える。つまり、「君だけが悪いわけじゃない」と言うことで、誰かを責めるのではなく、共に抱え、共に向き合おうという姿勢なのだ。
また注目すべきは、「でも踊れ(Still move your hips)」というフレーズである。ここには、どれだけ世界が混沌としていても、あるいは自分の内面がぐちゃぐちゃであっても、なお“肉体を動かせ”“生きろ”という命令が込められている。このような肉体性と倫理性の結合は、Akron/Familyにとって極めて本質的なものであり、彼らの音楽の核ともいえる。
曲の後半ではサウンドが荒れ狂い、叫びや金切り音のようなギターが空間を引き裂いていく。まるで「罪」と「救済」の境界線が音で具現化されたかのような凄まじい展開だ。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Wolf Like Me by TV on the Radio
ファンクとパンク、霊的なイメージが交錯するエネルギッシュなナンバー。 - House of Jealous Lovers by The Rapture
踊れるリズムの中にカオスが潜む、ダンスパンクの名曲。 - Golden Age by TV on the Radio
現代アメリカの諷刺を含みつつ、集団性と祝祭の感覚を音で表現。 - Dear Science by TV on the Radio(アルバム)
ポリティカルかつ肉体的。Akron/Family的な音楽思想に近いアプローチを取る作品。
6. サウンドの転換点としての「Everyone is Guilty」
Akron/Familyはこの曲で、明確な方向転換を遂げた。
それまでの牧歌的なアコースティック・フォークや、儀式的なサイケデリック性を維持しつつも、「Everyone is Guilty」ではより肉体的、リズム重視の音楽へと舵を切っている。まるでFela KutiやTalking Heads、さらにはSwans的なインダストリアルファンクを思わせるようなビートが導入され、これまでの彼らを知る者にとっては鮮烈な裏切りとも感じられただろう。
その変化は、彼らがより“世界を音楽で語る”フェーズに入ったことを意味していた。個人的な内省を超え、社会的な視点やメッセージ性を持つ楽曲が増え始めたのもこの時期からである。
「Everyone is Guilty」は、Akron/Familyがただの“異端フォーク集団”ではないことを世に示した楽曲である。それは、罪を告白する歌ではない。罪を共有し、なお踊り、叫び、生き抜いていくための、現代における祈りのようなアンセムなのだ。
罪はある。だからこそ、人は繋がることができる。そんな逆説的な真理を、彼らはこの混沌の中に焼き付けている。
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