
1. 楽曲の概要
「Downtown Train」は、Tom Waitsが1985年に発表した9作目のスタジオアルバム『Rain Dogs』の収録曲である。全19曲の17曲目に置かれ、同年11月にはシングルとしても発売された。演奏時間は約3分50秒で、Waits自身がプロデュースを担当している。
『Rain Dogs』は、1983年の『Swordfishtrombones』、1987年の『Franks Wild Years』と並び、Waitsが1970年代のピアノ主体のシンガーソングライター像から大きく離れた時期を代表する作品である。マリンバ、アコーディオン、金管楽器、変則的なパーカッションなどを大胆に使い、ブルース、ジャズ、キャバレー、フォーク、実験音楽を混ぜた。
その中で「Downtown Train」は例外的にストレートなポップソングである。
メロディは明快で、ヴァースからコーラスへの流れも理解しやすい。奇妙な打楽器や極端な構成変化より、ギター、ベース、ドラム、オルガンを中心としたロックバンド的な編成が使われる。アルバム全体の荒々しさを残しながら、歌としては非常に親しみやすい。
録音でWaitsはボーカルとギターを担当し、Robert QuineとG.E. Smithがギター、Tony Levinがベース、Mickey Curryがドラム、Robbie Kilgoreがオルガンを演奏した。『Rain Dogs』ではMarc RibotやKeith Richardsなど多くの個性的な演奏者が曲ごとに参加しているが、「Downtown Train」では比較的オーソドックスな編成が選ばれている。
後にRod Stewartが1989年にカバーして大ヒットさせたことで、Waitsの作品を知らない層にも広く知られるようになった。しかし原曲にはStewart版とは異なる、夜のニューヨークの孤独と欲望を乾いた音で描く独特の質感がある。
2. 歌詞の概要
「Downtown Train」の主人公は、夜の街で一人の女性を追い求めている。
彼女は電車に乗る。
主人公はその姿を見ている。
しかし二人の関係は安定した恋愛として成立しているわけではない。
むしろ、主人公は相手の生活へ完全に入ることができず、少し離れた場所から憧れ続ける。
歌詞に登場するのは、月、窓、ブルックリンの女性たち、電車、夜の街といった具体的な都市のイメージである。
Waitsはそれらを説明的に並べない。
短い場面を次々と切り替えることで、映画の断片のように夜の街を作る。
ここで重要なのが「downtown train」という場所だ。
列車には多数の人が乗っている。
誰かと誰かが偶然すれ違う。
同じ車両にいても互いの人生を知らない。
都市生活では、人が物理的には非常に近くにいるのに、心理的には遠いという状況が生まれる。
「Downtown Train」は、その距離を恋愛の構造へ使っている。
主人公は孤独だが、完全な孤立ではない。
周囲には人が大量にいる。
好きな相手も同じ都市のどこかにいる。
しかし「近くにいること」と「関係を持てること」は同じではない。
そこがこの曲の切なさではなく、より具体的な都市的孤独につながっている。
3. 制作背景・時代背景
『Rain Dogs』制作期のTom Waitsはニューヨークに生活の拠点を移し、マンハッタンの街そのものを作品へ取り込んでいた。
Waitsは1984年頃、ロウアー・マンハッタンのWashington StreetとHoratio Street付近の地下室で多くの曲を書いたとされる。本人はその場所について、川に近く、配管を流れる水の音以外は比較的静かな場所だったと振り返っている。
『Rain Dogs』というアルバム全体には、都市の周縁で生活する人物が数多く登場する。
酔っ払い。
犯罪者。
流れ者。
夜の街を歩く人物。
宿を持たない人間。
Waitsは彼らを社会問題の事例として説明するのではなく、それぞれに名前や声を与え、短い歌の主人公として扱った。
この姿勢は、1983年の『Swordfishtrombones』から始まった大きな音楽的変化と結びついている。
1970年代のWaitsは、ジャズピアノや酒場の雰囲気を背景に、孤独な夜や失恋を歌うシンガーソングライターとして知られた。
『Swordfishtrombones』以降はその形式を大きく壊す。
ピアノ中心の編成から離れ、不規則な打楽器、マリンバ、金属的な音、アコーディオン、古いブルースの断片などを使うようになった。妻Kathleen Brennanとの出会いも、この時期の創作上の変化に大きな影響を与えたとWaits自身が繰り返し語っている。
『Rain Dogs』ではその新しい方法がさらに広がった。
しかし「Downtown Train」は、実験的なアルバムの中で、Waitsが依然として非常に強いポップメロディを書けることを示す。
Pitchforkも後年の『Rain Dogs』評で、この曲をアルバムのポップセンスが明瞭に現れた楽曲として位置づけている。
つまり「Downtown Train」は『Rain Dogs』の方向性から外れた曲ではない。
むしろ、Waitsの新しい音響世界の中へ、彼が以前から得意としていた都会のラブソングを持ち込んだ作品である。
4. 歌詞の抜粋と和訳
Downtown train
和訳:
ダウンタウンへ向かう列車
タイトル自体は非常に日常的な言葉である。
しかし曲の中では、この列車が単なる交通手段以上の意味を持つ。
主人公と女性の生活をつなぐもの。
同時に、彼女を主人公から遠ざけていくもの。
その両方として機能している。
電車は同じ路線を繰り返し走る。
主人公も同じように相手を考え続ける。
そのため曲には、恋愛感情そのものが一種の循環運動になっている感覚がある。
また「downtown」という語には、都市の中心部だけでなく、夜、バー、駅、人混みなどのイメージが重なる。
Waitsが『Rain Dogs』全体で描いているニューヨークの街と、タイトルだけで直接接続する言葉でもある。
歌詞の引用は批評・解説に必要な最小限に限定しており、原詞の権利は各権利者に帰属する。
5. サウンドと歌詞の考察
「Downtown Train」が『Rain Dogs』の中で目立つ理由は、イントロからリズムが非常に明快だからである。
Mickey Curryのドラムは一定のロックビートを維持する。
アルバム内の「Singapore」や「Clap Hands」のように、打楽器の配置そのものを奇妙にして聴き手を不安定にする曲とは違う。
ここではまず「歌」を前へ進める。
Tony Levinのベースも同様である。
LevinはKing CrimsonやPeter Gabrielとの仕事で知られ、極めて技術的な演奏が可能なベーシストだが、「Downtown Train」では技巧を誇示しない。
低音はリズムを支え、曲に一定の速度を与える。
この安定したリズムセクションの上へ、複数のギターが重なる。
Waits自身に加え、Robert QuineとG.E. Smithがギターを担当する。
QuineはRichard Hell & the VoidoidsやLou Reedとの仕事でも知られるギタリストで、鋭く乾いた音を得意とした。
この曲でも、ギターは滑らかなポップロックへ完全にはならない。
コードの周囲に少しざらついた音が残る。
そのため曲のメロディは親しみやすくても、音響には夜の街の荒さがある。
Robbie Kilgoreのオルガンも重要だ。
オルガンは大きなソロを取らず、ギターの隙間を埋める。
これによってサウンドが冷たくなりすぎない。
ギターの硬さ。
ベースとドラムの直線性。
その間にオルガンの持続音が入ることで、少し暖かい層が生まれる。
そして中心にあるのがTom Waitsの声である。
「Downtown Train」は作曲だけを取り出せば、かなり一般的なポップシンガーでも歌える曲である。
実際、後にRod Stewartのカバーが大ヒットしたことは、メロディとコード進行そのものに広いポップ性があったことを示している。
しかしWaits版では、歌声がそのポップ性を意図的に汚す。
Waitsの声はしゃがれ、低く、滑らかではない。
音程を整然となぞるというより、言葉を噛みしめるように歌う。
だから主人公が理想的な恋愛映画の人物にはならない。
もっと疲れている。
もっと生活感がある。
夜の街を何度も歩いてきた人物として聞こえる。
この違いはRod Stewart版と比較すると明確である。
Stewart版では大きなドラム、シンセサイザー、広いコーラスを使い、曲が壮大なラブソングへ変換される。
Waits版はもっと狭い。
街角。
窓。
電車。
一人の男。
その範囲から大きく離れない。
したがって同じ曲でも、Stewart版では「相手へ届くことを願う歌」が前面に出る一方、Waits版では「届かないかもしれないことを承知しながら見続ける歌」という側面が強い。
歌詞におけるブルックリンの存在も重要である。
「Downtown Train」は抽象的な「都会」を描いているわけではない。
ニューヨークの鉄道、窓、人々の移動を感じさせる具体性がある。
AllMusicはこの曲について、都市生活の匿名性とニューヨークの古いロマンティシズムを同時に捉えた作品と評している。
この二つは矛盾しているようで、実際には都市のラブソングで頻繁に共存する。
人が大量にいるから孤独になる。
誰とでも出会えそうだからこそ、一人の人物とつながれないことが強く意識される。
「Downtown Train」は、その都市特有の構造を使っている。
また、Waitsの初期作品との比較も興味深い。
1973年の「Martha」も、失われた関係を扱った都会的なラブソングである。
しかし「Martha」では主人公が電話をかけ、過去を振り返る。
音楽もピアノ中心で、1970年代のシンガーソングライター的な形式を持つ。
「Downtown Train」では人物はもっと動いている。
街を歩く。
窓を見る。
電車が走る。
都市そのものが動き続ける。
伴奏もピアノバラードではなく、一定のビートを持つロックになる。
つまり同じ孤独な恋愛を扱っていても、12年間でWaitsの描写方法が大きく変わったことが分かる。
『Rain Dogs』内では「Time」と比較するのも有効である。
「Time」はアコースティックなワルツを使い、複数の人物の人生を静かに眺める。
「Downtown Train」はもっと現代的な速度を持つ。
それでも両曲に共通するのは、都市で生きる人物への視線である。
Waitsは成功した人物や大きな事件より、夜の街ですれ違う人間を描く。
「Downtown Train」では、その視線が最もポップな形を取った。
ミュージックビデオもこの都市性を強調している。
監督はJean-Baptiste Mondino。白黒で撮影され、Waitsがニューヨークの街や地下鉄周辺を移動する姿が中心となる。元世界ミドル級王者Jake LaMottaも出演している。
映像は歌詞を完全に物語化しない。
代わりに、Waitsの顔と街の質感を見せる。
この方法によって「Downtown Train」の世界が特定の恋愛ドラマへ限定されず、ニューヨークの夜そのものへ広がっている。
さらに、この曲はカバーによってWaitsのソングライターとしての側面を広く知らしめた。
Patty Smythが1987年に録音し、Rod Stewartは1989年にカバー。Stewart版はアメリカを含む複数地域で大きなヒットとなった。
Waitsの原曲が極端な商業的成功を収めたわけではないにもかかわらず、別の歌手が歌うと大衆的なスタンダードとして機能した。
これは重要である。
Tom Waitsはしばしば奇妙な声、実験的な楽器、演劇的な人物像によって語られる。
しかし「Downtown Train」は、その表面を取り除いても曲そのものが非常に強いことを証明した。
複雑なコードは必要ない。
長い構成も必要ない。
一人の人物。
一つの街。
一台の列車。
会えそうで会えない距離。
その基本材料だけで、約4分のラブソングを成立させている。
6. この曲が好きな人におすすめの曲 5曲
- Time by Tom Waits
同じ『Rain Dogs』収録曲。こちらはギターとワルツのリズムを中心に、街で生きる人物たちをより静かに描く。「Downtown Train」にある都市の夜と人間への観察を、さらに文学的な方向へ進めた曲である。
- Hang Down Your Head by Tom Waits
『Rain Dogs』収録曲で、「Downtown Train」と同様にアルバムの中では比較的ストレートなメロディを持つ。Waitsの声とルーツロック的な演奏の組み合わせを好む場合に適している。
- Jersey Girl by Tom Waits
1980年の『Heartattack and Vine』収録曲。都市周辺の風景と恋愛を結びつけたWaitsの代表的なラブソングである。「Downtown Train」より音楽は穏やかだが、具体的な地名と日常生活からロマンティシズムを作る方法が近い。
- Romeo Had Juliette by Lou Reed
1989年の『New York』収録曲。ニューヨークの具体的な街並みと恋愛を、乾いたロックサウンドで描く。「Downtown Train」の都市性や、ロマンティックな題材を過度に美化しない感覚と相性が良い。
- Atlantic City by Bruce Springsteen
1982年の『Nebraska』収録曲。都市の周辺で暮らす人物、経済的不安、恋愛を簡潔なフォークロックへまとめている。Waitsとは歌唱や作風が異なるが、アメリカの街を背景に名もない人物の人生を描く点で近い。
7. まとめ
「Downtown Train」は、Tom Waitsが1985年の『Rain Dogs』で書いた、キャリアの中でも特に明快なポップソングである。
『Rain Dogs』はマリンバ、アコーディオン、変則的な打楽器、ジャンク音響などを使った実験的な作品だが、「Downtown Train」ではギター、ベース、ドラム、オルガンという比較的通常のロック編成を使う。
その結果、Waitsの作曲そのものが前面に出た。
歌詞は夜のニューヨークを舞台に、一人の女性を追い続ける主人公を描く。
しかし中心にあるのは単なる片思いではない。
都市には人が無数にいる。
電車も絶えず人を運ぶ。
好きな人物も手の届きそうな場所にいる。
それでも、本当に相手の人生へ入れるとは限らない。
この「物理的な近さと心理的な遠さ」が「Downtown Train」の核心である。
音楽はその感覚を一定のビートによって前へ運ぶ。
列車のようにリズムは進み続け、主人公も相手を追い続ける。しかし明確な到着点は示されない。
Tom Waitsのしゃがれた声も重要だ。
このメロディを滑らかな歌手が歌えば、より普遍的な大人のラブソングになる。実際、Rod Stewart版の成功がそれを証明した。
しかしWaitsの原曲では、恋愛の理想より、街を歩く一人の男の生活感が強く残る。
『Rain Dogs』が都市の周縁にいる人々を描いた作品であることを考えると、「Downtown Train」はアルバムから浮いたポップ曲ではない。
むしろ同じ都市世界を、最も明快なメロディで描いた作品である。
実験的なTom Waitsと、1970年代から続く都会のラブソング作家としてのTom Waits。その二つが自然に接続したことによって、「Downtown Train」は本人の代表曲であると同時に、多くの歌手が取り上げられるスタンダードへ発展したのである。
参照元
- Tom Waits Official「Rain Dogs」
- Tom Waits Official「Songs」
- Tom Waits「Downtown Train」Official Video
- AllMusic「Tom Waits – Downtown Train」
- AllMusic「Tom Waits – Rain Dogs」
- Pitchfork「Tom Waits: Rain Dogs」
- The Guardian「Remembering Tom Waits’s extraordinary mid-career trilogy」
- Financial Times「Downtown Train — Tom Waits’s vivid 1985 track became a pop classic」

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