1. 歌詞の概要
「Lost in a Flower Field」は、アメリカのローファイ・ベッドルームポップ・アーティスト、Temporex(テンプオレックス)が2017年に発表したデビューアルバム『Care』に収録された楽曲であり、そのタイトル通り、感情と記憶が溶け合うような“迷子”の感覚をテーマとしたドリーミーな1曲である。
この曲の語り手は、“花畑で迷子になる”という比喩を通して、自分の感情、思考、あるいは関係性の中での混乱や立ち止まりを描写している。花畑というモチーフは、美しさや穏やかさを象徴しながらも、その広大さゆえに方向感覚を失わせる場でもある。つまり、この曲は一見甘く優しげなイメージの中に、根源的な孤独や行き場のなさが潜んでいる作品である。
具体的なストーリー展開よりも、“漂う”ような感覚を重視した詩的な構成で、現実から少し浮遊したような非日常性がリリックとサウンドの両面で表現されている。花畑は癒しの象徴であると同時に、忘却と無力感の象徴でもあり、その二面性が作品全体に深い余韻を与えている。
2. 歌詞のバックグラウンド
「Lost in a Flower Field」は、Temporexが10代の頃、自室で作り上げたアルバム『Care』(2017)に収録されており、彼の“感情の彫刻家”としての才能を際立たせる重要な楽曲のひとつである。このアルバム全体は、彼の等身大の感情、孤独、不安、そして淡い希望を、ローファイでアンビエントなサウンドスケープの中に閉じ込めたような作品として高い評価を受けた。
彼の音楽性は、チップチューン、R&B、ジャズ、レトロポップ、あるいは90年代のコンピュータ音楽に至るまで多様な影響を内包しており、「Lost in a Flower Field」もその実験性と美学のバランスが極めて優れている。トラックは、ふんわりと浮遊するようなシンセのコードと、水中で鳴るようなドラム、そして曇りガラス越しのようなボーカルで構成されており、まるで夢の中に迷い込んだかのような錯覚をリスナーに与える。
楽曲はリリース当初からインターネット上のコミュニティで静かに支持を集め、YouTubeやSoundCloud、TikTokといったデジタル空間の中でじわじわと拡散。リスナーによるアニメーションMVやリリックビデオなども制作され、映像と一緒に楽曲の世界観が拡張されていった。
3. 歌詞の抜粋と和訳
以下に、「Lost in a Flower Field」の中から印象的なリリックを抜粋し、日本語訳を添えて紹介する。
引用元:Genius Lyrics – Lost in a Flower Field
“I’m lost in a flower field”
花畑の中で迷子になってしまった。
“I don’t know how to feel”
自分の気持ちが分からない。
“The sky is pink and blue”
空はピンクと青に染まってる。
“But I still think of you”
それでも、僕はまだ君のことを思い出す。
“I walk but don’t go anywhere”
歩いてるのに、どこにもたどり着けない。
“I talk but I don’t really care”
話してはいるけど、本当はどうでもいいんだ。
これらの歌詞は、行動はしていても心が伴わないという“空虚さ”と、世界がどれほど美しくても満たされない“感情の穴”を象徴的に表現している。「花畑に迷う」というイメージは、視覚的な美しさと心理的な孤独を同時に伝える稀有な比喩であり、Temporexの詩的感覚の鋭さが光る。
4. 歌詞の考察
「Lost in a Flower Field」は、一見すると心地よいドリームポップのような楽曲でありながら、リリックを読み解くと非常に深い内面の葛藤が描かれている。語り手は、美しい場所(花畑)に身を置きながらも、その風景が心を満たすことはない。つまり、外的世界の豊かさと内的世界の虚無とのあいだに深い断絶がある。
「I don’t know how to feel」という一節は、感情が明確に言語化されず、むしろ混沌としている状態を表している。これは現代的なメンタルヘルスの問題、すなわち“感じているはずなのに、それが何なのか分からない”という感覚を象徴しているように見える。明確な悲しみや怒りではなく、“ぼんやりとした空虚さ”という抽象的な感情こそが、この楽曲の核心なのだ。
また、「But I still think of you」という一節が示すように、主人公の心の中にはかつての誰かの存在が色濃く残っている。しかし、その記憶が何をもたらすのかは曖昧なままで、それもまた“花畑の中での迷い”の一部となっている。言い換えれば、この楽曲は“記憶の中で迷子になること”についての瞑想的ポップソングとも言える。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- “Buttercup” by Jack Stauber
無邪気な音像とメランコリックな感情のギャップが、Temporexと共通する。 - “See You Again” by Tyler, The Creator ft. Kali Uchis
愛と記憶の曖昧な感触を幻想的に描いたデュエット。夢想的な音作りも似ている。 - “Pretty Boy” by Joji
感情を抑えた表現の中に深い孤独を感じさせるバラード。 - “Hunnybee” by Unknown Mortal Orchestra
軽やかなメロディの裏に人生の不可解さや寂しさが潜む曲。 - “Let’s Go Out” by Eyedress
サイケでチルな質感と孤独な視点が似ており、インターネット世代の感性を共有する。
6. 現実と夢の境界で:Temporexが描く“曖昧な幸福”
「Lost in a Flower Field」は、Temporexが描く感情世界の中でも、最も夢と現実の境界が曖昧な楽曲のひとつである。花畑というビジュアルは、喜びや平穏の象徴でありながら、ここでは“抜け出せない場所”として描かれている。それは、思春期の無方向性、不安定な自意識、そして他者との不完全な関係性のメタファーとしても読むことができる。
この楽曲の本質は、“美しいはずの場所で感じる不安”にある。それは決して声高に叫ばれることはないが、確かに存在する感情であり、現代の若者たちが抱える心理のリアルな断片だ。Temporexは、淡くやわらかな音像の中に、そうした心の「裂け目」を静かに忍ばせる術に長けている。
「Lost in a Flower Field」は、ただのローファイポップではなく、“内なる迷い”をサウンドと詩で織り上げた現代的な叙情詩であり、リスナーを音の中に優しく迷い込ませるような、特別な力を持った楽曲である。
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