Cloud of Forgetting by Swans(2016)楽曲解説

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1. 歌詞の概要

「Cloud of Forgetting(忘却の雲)」は、Swansが2016年にリリースしたアルバム『The Glowing Man』の冒頭に配置された楽曲であり、14分を超える瞑想的で崇高な音の旅の幕開けを告げる。楽曲全体が極めて静かに、慎重に展開され、さながら深淵の中へゆっくりと降りていくような印象を与える。タイトルが示す通り、この曲のテーマは「忘却」であり、記憶、自己、言葉、肉体といったあらゆる“人間的要素”を手放し、空へと溶けていく過程を音と詩で描いている。

歌詞には「forget my name(私の名前を忘れて)」「forget my voice(私の声を忘れて)」といった形で「forget(忘れる)」という動詞が執拗に反復される。この反復は、まるで記憶の霧の中を漂いながら、自己の輪郭を徐々に曖昧にしていくような構造を持ち、Swansの美学である“音によるトランスと自己の変容”を明確に反映している。

この曲は明確なストーリーや物語性を持たず、意味よりも「感覚」と「意識の変性」に訴えかける。言葉は音へと還元され、音は意識の波へと変わる。そしてその波は、リスナーを現実の思考から切り離し、深い精神の領域へと導く。

2. 歌詞のバックグラウンド

『The Glowing Man』は、Swans再結成以降の3部作(『The Seer』『To Be Kind』『The Glowing Man』)の最終章として発表された作品であり、マイケル・ジラ率いるこのアンサンブルの集大成ともいえるアルバムである。「Cloud of Forgetting」はその冒頭を飾る曲であり、まるで“音楽的な葬送”のように、前作までの暴力性や混沌を静かに送り出していく。

マイケル・ジラはこの曲について、「自己という概念が崩れ去るまで繰り返し沈んでいくような、意識の旅だ」と語っており、まさにこの作品は彼の“音による瞑想”的な姿勢を強く打ち出したものとなっている。また、本曲にはバンドメンバーの即興的な演奏が大きく反映されており、構成は極めて緩やかで、空白や静寂が音楽と同等に重要な役割を果たしている。

これは楽曲というよりも、儀式であり、通過儀礼であり、精神の浄化とも呼べるもので、特にリスナーが夜、暗い部屋で一人きりで聴くと、その真価が発揮されるだろう。

3. 歌詞の抜粋と和訳

引用元:Genius Lyrics – Cloud of Forgetting

In the cloud of forgetting, my name is nameless
忘却の雲の中では、私の名前はもう名前ではない

In the cloud of unknowing, my thoughts are nameless
未知の雲の中では、私の思考は名を失う

In the cloud of forgetting, my body is useless
忘却の雲の中では、私の身体は無用なものとなる

In the cloud of unknowing, my mind is nothing
未知の雲の中では、私の心は何者でもない

Forget my name / Forget my voice / Forget my face / Forget my soul
私の名前を忘れてくれ / 私の声を忘れてくれ / 私の顔を忘れてくれ / 私の魂を忘れてくれ

この反復は単なる命令ではなく、儀式的な“自己の解体”として作用する。意味は言葉の中ではなく、言葉の“消失”の中に生まれている。

4. 歌詞の考察

「Cloud of Forgetting」は、Swansが追い求めてきた“自己の脱構築”と“音による意識変容”の極致である。ここでは言葉が語られるたびに、“存在”そのものが薄れていくような構造が用いられており、聴き手は次第に“自己”という枠組みから解放されていく。

「忘れること」は、ここでは癒しや解放のメタファーであると同時に、“自我の死”を意味する。名前、声、顔、魂といった「自己を定義するもの」をひとつずつ手放すことで、語り手は“何者でもない存在”へと近づいていく。そこには恐怖もあるが、同時に大いなる静けさと受容が広がっている。

この曲の深淵は、“すべてを忘れる”ことによって逆説的に“存在そのものと向き合う”という構造にある。個人の物語、記憶、痛みといった要素を剥ぎ落とした先に、何が残るのか。Swansはそれを“音”を通して問いかける。

また、「Cloud of Unknowing(未知の雲)」という表現は、14世紀のキリスト教神秘主義文献『The Cloud of Unknowing』からの引用でもあり、そこでは“神を知るには知性を超え、何も知らぬという領域に沈まねばならない”と説かれている。この曲もまさに、意味や理性を超えて、“知ることをやめた先”でしか見えないものを、音として表現しているのだ。

5. この曲が好きな人におすすめの曲

  • Cloud of Unknowing by Swans
     同アルバム収録の姉妹曲。忘却の果てに訪れる啓示と陶酔のサウンドトリップ。

  • Death is the Road to Awe by Clint Mansell
     静けさと崇高さが交錯する、“死”と“再生”の音の瞑想。

  • Lisbon by Low
     繊細な音と沈黙が語りかける、絶望と救済の境界にある名曲。

  • Echoes by Pink Floyd
     音の中に潜む宇宙的意識を描いた、21分の精神旅行。

  • Rhubarb by Aphex Twin
     反復する静寂と浮遊感の中で自己が消えていくアンビエントの名作。

6. 忘却による浄化──沈黙に宿る音の祈り

「Cloud of Forgetting」は、Swansというバンドの表現の中でも最も沈黙に近く、そして最も“深く語る”楽曲のひとつである。ここには暴力も絶叫もない。ただ“忘れること”“消えていくこと”が、癒しと救済のプロセスとして静かに描かれていく。

マイケル・ジラは、破壊と再生を繰り返す音の神殿の中で、今作においては特に“浄化”に重きを置いているように見える。そしてそのために必要なのが“記憶の解体”──それが「Cloud of Forgetting」なのだ。

現代の世界では、「忘れてはいけないこと」があまりにも多い。しかし同時に、覚えていることが苦しみを生む場合もある。この楽曲は、その苦しみから一時的に離れるための音楽的装置であり、自己と世界の間に新たな静寂を築くための祈りである。

耳を澄ませ、沈黙の中の声を聴くとき、そこに現れるのは“もう誰でもない自分”──それこそがSwansがこの楽曲で描こうとした、根源的な“存在の自由”なのである。

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