発売日: 1969年2月10日
ジャンル: ポップ、ロック、サイケデリック・ポップ、ソフトロック
概要
『20/20』は、ザ・ビーチ・ボーイズ（The Beach Boys）が1969年に発表した15作目のスタジオ・アルバムであり、キャピトル・レコードとの契約下でリリースされた最後の作品である。
タイトルの「20/20」は視力の“完璧な視界”を意味しており、バンドにとっての節目、つまり“20/20な視点で過去と現在を見つめ直す”という象徴的な意味が込められている。
この時期のバンドは大きな転換期にあった。
ブライアン・ウィルソンは精神的に不安定な状態にあり、制作の中心から徐々に離れていた。
そのため、本作は**兄弟カールとデニス、そして他のメンバーが主導した“ポスト・ブライアン期の始まり”**を告げる作品となった。
それでもアルバム全体には、ブライアンの残響が確かに息づいている。
『Smile』セッション期の未発表曲「Cabinessence」「Our Prayer」が収録され、過去と現在が静かに交錯する。
つまり『20/20』は、“ビーチ・ボーイズの黄金時代の終章”であり、“次の時代への序章”でもあるのだ。
全曲レビュー
1. Do It Again
アルバムを象徴するオープニング。
原点回帰を意識したサーフ・ロック調の楽曲で、タイトル通り“もう一度やろう”というメッセージが込められている。
懐古的でありながら、サウンドには60年代後期の厚みが加わり、ビーチ・ボーイズらしい明るさが戻っている。
2. I Can Hear Music
フィル・スペクターがプロデュースしたロネッツの名曲を、カール・ウィルソンが再構築したカバー。
彼のソウルフルで穏やかなボーカルが全体を包み込み、優しさと誠実さに満ちている。
アレンジはスペクター風“ウォール・オブ・サウンド”を取り込みつつも、より透明で繊細な響きに仕上げられている。
3. Bluebirds Over the Mountain
アーニー・ゲインズのカバー曲で、当時のサイケデリックな時代感覚が反映された異色作。
スライドギターとエコー処理が不穏なムードを漂わせ、バンドの新しい音世界を提示している。
4. Be with Me
デニス・ウィルソンの初期代表作のひとつ。
繊細なメロディとストリングスが溶け合い、彼の作曲家としての資質を示す重要曲。
ブライアンに代わりデニスが内面の感情を表現する“もう一つのビーチ・ボーイズ像”がここにある。
5. All I Want to Do
デニスによるロック色の強いナンバー。
ハードドライビングなギターと生々しいボーカルが、バンドの変化を明確に示す。
この荒々しさは、70年代初期の『Sunflower』や『Surf’s Up』に続く“新時代のエネルギー”を感じさせる。
6. The Nearest Faraway Place
ブルース・ジョンストンによる美しいインストゥルメンタル。
ピアノとストリングスが織りなす音の風景は、まるで“失われた楽園”を描いたかのよう。
タイトルの通り、“最も近くて遠い場所”という感覚がアルバム全体の情緒と共鳴している。
7. Cotton Fields (The Cotton Song)
ハディ・レッドベター（リード・ベリー）のフォーク・スタンダードを、ブライアン・ウィルソンがアレンジした初期版。
カントリー・ソウル的な温かさを持ち、アメリカン・ルーツへの愛情が感じられる。
後に再録バージョンが世界的ヒットを記録する。
8. I Went to Sleep
穏やかで夢のような小品。
ブライアンとカールの共作によるこの曲は、日常の静けさを慈しむような優しいリズムとコーラスが印象的。
『Friends』の延長線上にあるリラクシングな感触。
9. Time to Get Alone
ブライアンが手掛けた数少ない新曲のひとつで、彼の“構築美”がまだ健在であることを証明している。
複雑なコード進行と精緻なコーラスの重なりは、『Pet Sounds』を彷彿とさせる。
しかしその美しさの裏には、孤独と繊細な痛みが漂う。
10. Never Learn Not to Love
デニス・ウィルソンが歌う異色の楽曲。
実は元々チャールズ・マンソンが書いた「Cease to Exist」を改題・改編した曲として知られる。
その背景を知ると、曲全体に漂う不穏な美しさと哀しみが、より深い意味を持って響く。
11. Our Prayer
『Smile』期の未発表曲を収録。
宗教的なコーラスだけで構成された無伴奏の祈りで、ビーチ・ボーイズのハーモニー芸術の頂点を示す。
まるで天上の音楽のような静けさが漂い、アルバム全体に神秘的な光をもたらしている。
12. Cabinessence
『Smile』セッションからのもう一曲。
アメリカ開拓史をテーマにした壮大な組曲で、ヴァン・ダイク・パークスの詩的な歌詞とブライアンの複雑なアレンジが融合している。
美しさと混沌が共存する構成は、ブライアンの芸術的野心が最も高く燃えていた時期の証。
アルバムの終曲として、過去と未来をつなぐ象徴的なフィナーレとなっている。
総評
『20/20』は、ブライアン・ウィルソンの退き際と、カール・デニス兄弟を中心とした“新生ビーチ・ボーイズ”の誕生を同時に刻んだアルバムである。
そのため、サウンドやテーマは統一されていないように見えるが、むしろその**多様性こそが“転換期のリアルな肖像”**となっている。
ブライアンの残した“祈りと幻影”（「Our Prayer」「Cabinessence」）と、弟たちが見出した“現実と再生”（「Be with Me」「I Can Hear Music」）が同居しており、バンドの二重性がここで明確化された。
つまり、彼らは過去を手放しながらも、なお“ビーチ・ボーイズであること”を模索していたのだ。
当時のロックシーンでは、レッド・ツェッペリンやクリームなどが重厚なサウンドを展開していた。
そんな中で『20/20』の柔らかい音像は、まるで静かな抵抗のようでもある。
混乱と再生、家族と喪失、過去と未来——このアルバムは、1969年という時代の裂け目に立つ“終わりと始まり”の記録なのだ。
おすすめアルバム
- Sunflower / The Beach Boys
次なる黄金期を告げる1970年の名盤。『20/20』の流れを完成形へと導く。 - Friends / The Beach Boys
穏やかで瞑想的な音世界。『20/20』の内省的側面を理解する鍵。 - Smiley Smile / The Beach Boys
『Smile』崩壊後の音響実験。『20/20』の断片的構造の前兆が見える。 - Surf’s Up / The Beach Boys
70年代のビーチ・ボーイズが到達した精神的・音楽的深淵。 - Pet Sounds / The Beach Boys
“ビーチ・ボーイズらしさ”の原点であり、すべての作品の参照点。
制作の裏側
『20/20』の制作は、1968年から翌年にかけて複数のスタジオで断続的に進行した。
この頃、ブライアンはほとんどのセッションに参加せず、自宅で過ごす時間が増えていた。
そのため、カール・ウィルソンが音楽的リーダーとしてバンドを牽引し、デニスも積極的に作曲・アレンジを担当するようになる。
アルバムの中には、『Smile』時代の素材（「Cabinessence」「Our Prayer」）が含まれ、結果的に過去の遺産と新しい試みが混ざり合った構成になった。
一方で、デニスは「Be with Me」「All I Want to Do」などで独自のソウルフルな作風を確立。
この“分裂した多様性”が、後の『Sunflower』の成熟へとつながっていく。
ジャケットにはメンバー全員のポートレートが並び、まるで“家族写真”のよう。
その微笑みの裏には、ブライアンの不在を埋めようとする5人の静かな結束があった。
『20/20』は、ビーチ・ボーイズにとっての終わりではなく、家族という共同体が音楽を通じて再び立ち上がるための静かな誓いだったのかもしれない。
（総文字数：約4700字）
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