発売日: 1972年8月
ジャンル: ダーク・アンビエント、エクスペリメンタル、クラウトロック
アルバム全体の印象
1972年にリリースされたTangerine Dreamの**『Zeit』は、電子音楽の歴史において特異な位置を占める作品である。本作は、従来のロックや電子音楽の枠を完全に超え、「時間」という概念を音で表現しようとした、瞑想的で深遠なサウンドスケープ**を展開している。
前作『Alpha Centauri』では、スペース・ロック的な要素が残っていたが、『Zeit』ではドラムや明確なメロディを完全に排し、ひたすら広がりと静寂の中に沈み込むようなサウンドを探求している。このアルバムを聴くことは、まるで無重力の暗黒の宇宙空間に漂うかのような体験に近い。
制作時のメンバーは、エドガー・フローゼ、クリストファー・フランケ、ペーター・バウマンの3人に加え、初期のTangerine Dreamに関わっていたチェロ奏者コンラート・シュニッツラーも参加している。電子楽器だけでなく、チェロのドローンや深遠なエフェクトが、音楽により有機的な感触を与えている。
本作は、全4曲で構成されており、1曲あたり約20分に及ぶ長大なアンビエント作品となっている。これらの楽曲は明確な始まりや終わりを持たず、まるで時間そのものが永遠に流れ続けるかのような感覚を生み出す。そのため、集中して聴くと深い没入感を得られるが、同時にBGMとしても機能するという不思議な性質を持っている。
Tangerine Dreamのキャリアの中でも異色の存在でありながら、ダーク・アンビエントやドローン・ミュージックの先駆けとして後世に多大な影響を与えた作品であることは間違いない。
トラックごとのレビュー
1. Birth of Liquid Plejades (19:54)
アルバムの幕開けを飾るこの楽曲は、チェロ・アンサンブルによる不穏なドローンが特徴的であり、まるで宇宙の深淵から生まれる未知の生命体を描いているかのようだ。通常のチェロの演奏法とは異なり、持続音を重ねることで”音の霧”のような質感を作り出している。
このトラックには、元Klusterのコンラート・シュニッツラーが参加しており、彼のチェロの演奏が楽曲の神秘的な雰囲気を際立たせている。やがて、シンセサイザーの幽玄な音が重なり、無限に広がる宇宙空間へとリスナーを誘う。リズムもメロディもないが、その圧倒的な音の広がりに身を委ねることで、時間の感覚が徐々に失われていくような感覚を覚える。
2. Nebulous Dawn (17:56)
タイトルの「Nebulous（星雲の）」という言葉が示す通り、漆黒の宇宙空間に漂う星雲のような楽曲である。前曲のチェロの響きが消え、ここではシンセサイザーによるより人工的で無機質な音響が支配的だ。
この曲の特徴は、まるで遠い銀河のかすかな電波をキャッチしたような、微細な音の揺らぎである。シンセのフィルターがゆっくりと変化しながら、音の波が静かにうねり続ける。このアンビエント的な手法は、後のブライアン・イーノやスタース・オブ・ザ・リッド、あるいはブラック・アンビエント系のアーティストにも影響を与えている。
全体として、宇宙の広大さと人間の存在の小ささを痛感させるような、哲学的な響きを持った楽曲だ。
3. Origin of Supernatural Probabilities (19:34)
この曲では、低音のドローンと奇怪な電子音が混ざり合い、より深い意識の領域へと誘う。前の2曲が宇宙の静寂を描いていたのに対し、この曲はよりダークで、不吉な雰囲気を帯びている。
ゆっくりと変化する電子音が、まるで遠い星々の間を漂う彗星の尾のように流れていく。中盤では、ぼんやりとしたメロディのようなものが浮かび上がるが、それもすぐに霧の中へと消えていく。存在と無、時間と空間の境界が曖昧になっていくようなサウンドスケープが展開されている。
4. Zeit (16:58)
アルバムのタイトル曲であり、最も静謐で瞑想的なトラックである。ほとんど動きのない極限までミニマルなドローン・サウンドが、静かに空間を満たしていく。
この曲の音響は、まるで時間そのものが止まっているかのような感覚を生み出す。音楽というよりも、存在そのものを音で表現したような純粋なサウンド・アートであり、まるで「永遠に続く現在」に閉じ込められたかのような気分になる。
この楽曲が終わる頃には、リスナーは時間の流れを忘れ、”音の静寂”に包み込まれるような不思議な体験をすることになる。
『Zeit』の影響と意義
『Zeit』は、Tangerine Dreamのキャリアの中でも最も挑戦的なアルバムであり、商業的な成功を狙ったものではない。しかし、その後のアンビエント、ドローン、ミニマル・ミュージックの世界に計り知れない影響を与えた。
この作品がなければ、ブライアン・イーノの「アンビエント」シリーズ、Lustmordのダーク・アンビエント、さらには現代のポスト・クラシカルやドローン・ミュージックも大きく異なっていたかもしれない。
総評
『Zeit』は、単なる音楽作品ではなく、**意識の変容を促す「音の瞑想空間」**である。その静けさと深遠な響きは、聴く者を異次元の精神世界へと導き、時間の概念を曖昧にする。
この作品に入り込むには、通常の音楽の聴き方とは異なるアプローチが必要だ。しかし、一度その世界に身を委ねれば、そこには永遠に続く宇宙の深遠が広がっている。
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