アルバムレビュー:White Chalk by PJ Harvey

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発売日: 2007年9月24日
ジャンル: フォーク、チェンバーポップ、アヴァンポップ


ピアノと亡霊、そして声の再発明——PJ Harveyが“誰でもない私”になった瞬間

White Chalkは、PJ Harveyがピアノという新たな楽器を用いて、自らの音楽と声を根本から作り変えた作品である。
これまでのギター主体のオルタナティヴ・ロックとは一線を画し、ここでは白い部屋、冷たい風、土の匂い、沈黙の記憶といった感覚的な風景が静かに広がっていく。

Harveyは本作において、自身の持ち味である低く力強い声を封印し、かすれた高音域で囁くように歌うという表現スタイルへとシフトした。
その声はどこか“彼女自身ではない誰か”のようであり、過去の亡霊、少女、修道女、囚人……多様な語り手たちが彼女を通して語っているようにすら感じられる。

“ホワイト・チョーク(白墨)”とは、文字や絵を描くと同時に、簡単に消されてしまう不安定な存在。
まさにこのアルバムも、はかなく、脆く、だが確かにそこにある“記憶の音楽”なのだ。


全曲レビュー:

1. The Devil

不協和音のピアノが鳴り響く、幽玄なオープニング。
「悪魔が私の名を呼んだ夜」という一節が、罪と赦しをめぐる物語を予感させる。
子どものような声と宗教的なモチーフが交錯する不穏な小品。

2. Dear Darkness

闇に向かって語りかける祈りのような楽曲。
“親愛なる闇よ”という逆説的な呼びかけが、孤独と親密さを同時に語る。

3. Grow Grow Grow

幼年期の記憶、母性、死の匂いが折り重なる抽象的な詩。
ピアノの反復とささやき声が、成長と腐敗の循環を静かに描写する。

4. When Under Ether

本作のハイライトともいえる美しくも恐ろしいトラック。
「エーテルの下で」という歌詞は、麻酔、中絶、死のメタファーとも解釈される。
透明なサウンドとメロディに、現実と幻覚の境界が溶け込む。

5. White Chalk

タイトル曲。
南イングランドの石灰岩地帯“白亜(White Chalk)”が、身体と記憶の象徴として登場する。
「私の骨が白い丘に眠る」というラインが、地層と肉体の同化を暗示する。

6. Broken Harp

わずか1分半の短編詩のような曲。
ハープではなくギターの金属弦を指で掻くような音が、“壊れたハープ”の比喩となる。
壊れた関係、壊れた身体、壊れた祈り……。

7. Silence

ピアノと余白が織りなす、“沈黙”そのものを描いた一曲。
静けさの中に感情が充満しており、その密度に圧倒される。

8. To Talk to You

死者の魂に語りかけるような歌詞。
亡き母、あるいは祖母に捧げられたと思しき詩が、淡い旋律に溶けていく。

9. The Piano

ピアノという楽器に語りかけるような構成。
子どもの頃の記憶と、鍵盤に触れる指が描き出す風景。
懐かしさと不安が入り混じる。

10. Before Departure

“旅立つ前に”というタイトルが示すように、死や別れを前にした静かな覚悟。
ここではHarveyの声がもっとも脆く、まるで最後の息のようでもある。

11. The Mountain

クライマックスとしてふさわしい、重層的なイメージと余白の美。
“山”は達成ではなく、超えるべき存在として描かれ、
そこに辿り着けない苦悩が、波のように繰り返されるヴォーカルに込められている。


総評:

White Chalkは、PJ Harveyが自らの“声”と“語り”を再構築したアルバムである。

彼女はここで、ギターも怒りもパフォーマンスも捨て、
誰かの夢の中から語りかけてくるような、儚くも鋭い声を手に入れた。

このアルバムは、表現者としてのHarveyの“沈黙への信頼”を証明する作品でもある。
強さではなく、壊れやすさを差し出すことで成立する静かな革命
聴くたびに、誰かの記憶をすり抜けていくような感覚に包まれる。


おすすめアルバム:

  • Nico / Desertshore
     亡霊のような声と崩壊した美しさが共鳴する、Harveyの精神的祖先。
  • Joanna Newsom / Ys
     詩的で長大な語りがピアノとハープに編まれた、現代のフォーク寓話。
  • Lisa Germano / Geek the Girl
     内向きな狂気と囁きを伴った、90年代の女性的告白の原点。
  • Kate Bush / Aerial
     静寂と自然、日常と神秘が同居する後期の傑作。
  • PJ Harvey / Let England Shake
     本作で得た語りと声を、歴史と戦争に接続した“語り部”としてのHarveyの到達点。

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