アルバムレビュー：Thin Mind by Wolf Parade

発売日: 2020年1月24日
ジャンル: インディーロック、シンセロック、アートロック

概要
全曲レビュー
総評
おすすめアルバム
歌詞の深読みと文化的背景

概要

『Thin Mind』は、カナダのインディーロック・バンドWolf Paradeが2020年にリリースした5枚目のスタジオ・アルバムであり、現代社会におけるデジタル疲労、記憶の希薄化、思考の断片化といった“現代的ノイズ”をテーマにした作品である。

前作『Cry Cry Cry』でバンドの復活を印象づけたWolf Paradeは、本作でさらにサウンドの洗練とテーマの深化を進めている。
アルバム・タイトルの“Thin Mind（薄くなった心、または思考）”は、インターネットとテクノロジーによって情報過多に晒される現代人の精神状態を鋭く言い表しており、歌詞、サウンド、アートワークすべてにその意図が反映されている。

ギタリストのDante DeCaroが脱退したことにより、3ピース編成で制作されたこの作品は、鍵盤を中心としたシンセサイザー主導のアレンジが際立つ。
BoecknerとKrugという二人のソングライターの個性はさらにコントラストを強め、知的で緊張感のある音像を形成している。

全曲レビュー

1. Under Glass

Krugによる不穏でシアトリカルなオープニング。
“ガラスの下”というタイトルは、観察されること、閉じ込められることを暗示しており、現代社会における自己の監視状態を示唆する。
シンセとベースの連動が幻想と焦燥を生む。

2. Julia Take Your Man Home

Boecknerの代表曲ともいえる痛快なナンバー。
破滅的な男と、それを傍観する女性“ジュリア”を描いたストーリーは、ユーモアと悲哀に満ちている。
ラフなギターと反復リフが印象的で、ライブ映えする一曲。

3. Forest Green

シンセのループが美しいKrug主導の楽曲。
“森の緑”という言葉の裏に、人間の自然回帰への欲望と、それがもはや叶わないという虚無が同居している。
ドラムのビートが内省的なリズムを刻む。

4. Out of Control

Boecknerによるストレートなロックチューン。
「制御不能」というタイトルが示すように、時代や社会への無力感と怒りを表現している。
荒々しいギターと力強いヴォーカルが、感情の爆発を引き起こす。

5. The Static Age

Krugが描く“ノイズの時代”に対する詩的抵抗。
タイトルはフィルターのない情報洪水を象徴し、シンセのザラついた質感がそのまま“雑音”を体現している。
ピアノのミニマルなフレーズが静かな怒りを支える。

6. As Kind as You Can

本作の中で最も叙情的なBoeckner曲。
タイトルの「できる限り優しく」は、壊れた関係や疲弊した社会のなかで見出される小さな優しさの回復を描いている。
メロディの美しさと歌詞の脆さが調和している。

7. Fall Into the Future

アップテンポでポップなKrugナンバー。
未来に“転落”するという逆説的な言葉が、希望と恐怖の混在を表す。
明るいメロディの裏に、時代の不安定さが見え隠れする。

8. Wandering Son

Boecknerの語る“彷徨う息子”は、アイデンティティの漂流を描く寓話的な楽曲。
ローファイなギターとシンプルな構成が、曲のメッセージ性を引き立てる。
孤独と旅の象徴的なバラード。

9. Against the Day

Krug主導のシンセ・バラードで、アルバム中もっとも耽美的な楽曲。
“日常に逆らって”生きる感覚を、夢のようなサウンドスケープで描いている。
浮遊感のある構成が、終末感と希望の狭間を表現。

10. Town Square

アルバムのラストは、Krugがピアノを主軸に描く叙情的クロージング。
“広場”という公共空間を舞台に、個人と社会、記憶と現実の交差点が描かれる。
静かだが確かな祈りが込められた終曲である。

総評

『Thin Mind』は、Wolf Paradeが“テクノロジーに疲弊した時代に鳴らすロック”として、自らの立ち位置を再定義したアルバムである。
シンセ主導の音像は、過去の肉体的な衝動から一歩引いた理知的な音楽性を感じさせるが、それでもバンドの中核にある“切実さ”は失われていない。

Boecknerの現実直視とKrugの幻想表現は、むしろ本作において最も鮮明に分離され、それぞれが一つの“人格”のように機能している。
まるで左右に揺れる振り子のように、アルバムは両者の間を行き来しながら、現代の複雑な情動を描き出す。

“Thin Mind”——つまり、思考が薄く、心が疲れ、判断が鈍るこの時代。
そのなかで音楽が果たすべき役割とは何かを、Wolf Paradeは問いかけている。
それは、激しく叫ぶことでも、沈黙することでもなく、「薄れゆく意識のなかでも、まだ何かを感じ続ける」ことなのかもしれない。

歌詞の深読みと文化的背景

『Thin Mind』の歌詞群は、情報化社会、SNS疲労、都市生活の空虚、そしてデジタル世界におけるアイデンティティの希薄化といった現代的テーマに貫かれている。

「The Static Age」や「Under Glass」では、常に何かに“見られている”こと、「Fall Into the Future」では、未来に希望を抱けない感覚が描かれる。
Krugは神話や寓話を用いながら抽象化し、Boecknerは日常の言葉でそれを直裁に語る。

このアルバムは、明確な答えを提示しない。
むしろ「私たちはどうすべきか」という問いそのものを残し、薄れゆく意識のなかで“まだ感じていること”を肯定しようとする——その静かな態度こそが、『Thin Mind』の本質なのだ。