発売日: 1989年5月22日
ジャンル: ロック、ポップロック、アートロック、シンセポップ
概要
『The Miracle』は、クイーンが1989年にリリースした13作目のスタジオ・アルバムであり、バンドとしての結束力と成熟が凝縮された、後期クイーンの転換点とも言える作品である。
1986年の『A Kind of Magic』以降、バンドはワールドツアーを休止し、ソロ活動や個人の生活を優先する時期に入っていた。
しかしその裏で、フレディ・マーキュリーがHIVに感染していることをすでに知っており、メンバー内ではその深刻さを共有しながらも、音楽に向かうことで結束を高めていったという経緯がある。
その結果、『The Miracle』では全ての曲が“Queen”名義でクレジットされており、各メンバーの貢献度を分けず、バンドとしての創造的協力を重視するスタイルが採られている。
これは単なる形式上の変化ではなく、音楽的にもテーマ的にも「バンドの一体性」や「人間としての成熟」を強く反映した作品となっている。
サウンド面では、80年代後半らしいシンセの光沢感やプロダクションの精密さが際立つが、ギターの存在感も回復しており、ロックバンドとしての力強さも復活。
また、ユーモアや風刺、叙情といったクイーンらしい表情が多面的に展開されており、キャリアを総括するかのような多様性を持っている。
全曲レビュー
1. Party
アルバムの幕開けを飾る躍動的なロックナンバー。
マーキュリーとテイラー主導で制作され、ライブの歓声のようなSEも交えながら、陽気さと退廃の狭間を行き来する。
パーティーというテーマの裏にある空虚さをも内包した、皮肉的オープニング。
2. Khashoggi’s Ship
中東の武器商人アドナン・カショギを皮肉ったタイトルを持つ、攻撃的なギターリフが印象的な楽曲。
享楽と暴力、資本主義と権力といったモチーフが複雑に絡み合う内容で、バンドの政治的意識の一端が見える。
3. The Miracle
アルバムのタイトル曲であり、“奇跡”というキーワードに、愛、平和、音楽、そして人生そのものへの憧れが込められている。
フレディの歌声は柔らかくも力強く、希望を描きながらもその裏にある“癒しを求める叫び”が感じられる。
ラストの多重コーラスによる「That time will come, one day you’ll see」は、予言的な余韻すら漂う。
4. I Want It All
ブライアン・メイが書いた怒涛のロックナンバーで、政治的欲望や野心のテーマと結びつくパワーアンセム。
ギターリフの力強さ、フレディのシャウト、そして壮大なサビの構成力は、ライブ演奏を前提としたアリーナロックとしての完成形。
実際に南アフリカの反アパルトヘイト運動の象徴曲としても用いられた。
5. The Invisible Man
ジョン・ディーコンとフレディの共作による、エレクトロニックなテイストを強めたダンスロック。
タイトルはH.G.ウェルズの小説から。
各メンバーの名前を曲中で呼び合う仕掛けがユーモラスで、遊び心と機械的ビートの融合が絶妙。
6. Breakthru
テイラーとフレディが主導した爽快なポップロック。
冒頭のバラード部分と、急加速するロックパートとの構成的対比が印象的。
“壁を破る”というテーマは、音楽と人生における前進・突破を象徴している。
7. Rain Must Fall
ディーコンとフレディによる柔らかなラテンフレーバーの楽曲。
日常の小さな悲しみや不安を「雨が降るのは自然のこと」と受け入れるような穏やかなメッセージが込められている。
都会的で洗練されたトーンが、アルバムの中でも異色な魅力を放つ。
8. Scandal
メイ作の内省的なナンバーで、メディアの暴走とプライバシー侵害をテーマにしている。
フレディの病状やメイ自身の離婚問題を背景にしたメディア報道への反発がにじみ出ており、緊張感のあるアレンジと感情的なボーカルが融合している。
9. My Baby Does Me
フレディとディーコンによるシンプルなグルーヴィー・ナンバー。
深読みは必要ない気楽なトラックで、恋人との気まぐれな関係性を軽妙に描写している。
本作の中ではもっともカジュアルな小品。
10. Was It All Worth It
アルバムのフィナーレを飾る、壮大なロック絵巻。
クイーンというバンドが歩んできた軌跡を総括するような内容で、「すべては価値あるものだったか?」という問いが、荘厳なサウンドに乗って響く。
ギターオーケストレーション、クラシカルな展開、演劇的な演奏、すべてが最終章を意識して構築されており、圧巻の完成度である。
総評
『The Miracle』は、クイーンが内面と向き合い、バンドとしての総力をもって音楽を“形”にしたアルバムである。
病、孤独、メディア、希望、野心、喜び──さまざまな人間的感情が全10曲に流れ込んでおり、それらがスタジオ内で静かに煮詰められていく過程がそのまま音像化されているような印象だ。
バンドクレジットによる作曲制度は、表面上は“平等”だが、実質的には“共同体の回復”を目指したものであり、それがアルバム全体の空気を穏やかかつ引き締まったものにしている。
また、シリアスなトピックを扱いながらも、ユーモアや遊び心が絶妙に混ざり合っており、クイーンというバンドの“矛盾と統合”が音楽として結晶化している。
“奇跡”とは何か──それは、健康の回復かもしれないし、バンドの復活かもしれない。あるいは、死を前にしても音楽を創り続ける意志そのものだったのかもしれない。
このアルバムは、その問いを静かに、しかし力強く、私たちに投げかけている。
おすすめアルバム(5枚)
- Pink Floyd / The Final Cut
個人的・社会的テーマを重厚な音像で描く晩年のロックアルバムという共通点。 - Genesis / We Can’t Dance
バンドの円熟期における社会性とポップ性の両立という観点で響き合う。 - David Bowie / Never Let Me Down
80年代後半のポップと批評精神の融合という文脈で近い立ち位置。 - Electric Light Orchestra / Secret Messages
シンセポップとプログレのバランス、そしてスタジオ芸術としての完成度の高さに共通性あり。 -
U2 / Rattle and Hum
“自らの足跡を振り返る”というコンセプトにおいて好対照の作品。
制作の裏側(Behind the Scenes)
『The Miracle』の制作は1987年1月から1989年3月まで、スイスのマウンテン・スタジオやロンドンのタウンハウス・スタジオで行われた。
当初は『The Invisible Men』という仮タイトルも検討されていたが、最終的に“奇跡”という希望と祝福を込めたタイトルに決定された。
また、ジャケットではメンバー4人の顔を合成し、一体化した“不気味な集合体”として表現しており、まさにクイーンという共同体の象徴的なヴィジュアルとなっている。
外見の違いを超えて、ひとつの存在として“奇跡”を目指す姿──それは音楽だけでなく、バンドそのものに対する強い愛と信頼の現れだったのかもしれない。
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