発売日: 1987年2月16日
ジャンル: ソウル、ファンク、R&B、スムース・ジャズ、ブルー・アイド・ソウル
概要
『The Cost of Loving』は、The Style Councilが1987年に発表した3作目のフル・スタジオ・アルバムであり、それまで築き上げてきた英国知性派ポップの文脈から一歩踏み出し、“ブラック・ミュージックとの全面的な融合”を志向した意欲作である。
その試みは賛否両論を巻き起こし、それまでのジャズやソフィスティ・ポップに代わって、よりR&B色の強いサウンドに大胆に舵を切ったことが、商業的にも批評的にも一種の転機となった。
アルバム全体は、80年代後半のUKソウルムーブメント(いわゆる“ブルー・アイド・ソウル”)との共鳴を強く感じさせる。
特にUSソウル、アーバン・コンテンポラリー、プリンス以降のミッドテンポ・ファンクの影響が濃厚で、電子ドラムやシンセベース、コーラスワークが中心となった音像は、それまでのアコースティックで知的な質感とは大きく異なる。
とはいえ、この作品においてもポール・ウェラーの政治意識や個人的なリリシズムは健在であり、恋愛と人間関係の機微を“社会の鏡”として描く視点は変わらずに息づいている。
結果的に、『The Cost of Loving』は、The Style Councilというプロジェクトの“成熟と迷いの同居”を露呈する、誠実で実験的なポップ作品となった。
全曲レビュー
1. It Didn’t Matter
アルバムのリード・シングル。
都会的なビートと洗練されたコーラスが響く、スムースR&Bの装いをまとったポップソング。
「それは大したことじゃなかった」と繰り返されるフレーズの裏には、心の距離感と愛の後悔が静かに漂う。
2. Right to Go
ジャジーなサックスと跳ねたグルーヴに乗せた、The Style Council流のヒップホップ/ストリート・ファンクの試み。
タイトル通り、“行動する権利”を肯定するアジテーション的内容。
語りとラップが交錯し、社会的主張と音楽実験が融合した異色曲。
3. Heaven’s Above
メロウでゆったりとしたテンポのソウル・バラード。
「天の上には正義があるのか?」という問いを、ファルセット気味のウェラーの歌声が切なく響かせる。
80年代R&B的アレンジと社会的疑念が交錯。
4. Fairy Tales
軽やかなリズムに乗って、現実逃避と幻想をテーマに描いた一曲。
「おとぎ話じゃ生きていけない」という醒めた視点が、甘いコード進行の裏にシニカルに隠れている。
アーバンなビート感が印象的。
5. Angel
恋愛の理想と現実のあいだに揺れる、シンプルな構成のミディアム・バラード。
“天使”という象徴は、守りたいけれど届かない存在=愛の不完全性を示している。
6. Walking the Night
アルバム中もっとも内省的でスロウなナンバー。
夜を歩く孤独な主人公が、自問を繰り返すような構成で、都会の孤独と抑制された感情の描写が際立つ。
サウンドは控えめで、ヴォーカルがより引き立つ。
7. Waiting
“誰かを待つ”という時間を、愛と希望、そして苦しみの交差点として描いた曲。
シンプルなコード進行と反復的なリズムが、感情の停滞と切実さを象徴している。
まるで日常の一場面をスナップしたような静謐な楽曲。
8. The Cost of Loving
アルバムタイトル曲にして、本作の感情的・思想的核とも言える名バラード。
愛することの代償=誤解、犠牲、裏切りといった複雑な感情を、スロウテンポの中でじっくりと歌い上げる。
「愛とは甘くなく、時に重い」というウェラーの成熟した視点が印象的。
9. A Woman’s Song
ディー・C・リーがリードを取るフェミニズム視点のバラード。
女性の内面と社会的抑圧を描く重要曲であり、The Style Councilが掲げる“音楽=対話の場”という理念を体現している。
控えめなアレンジが言葉を際立たせている。
総評
『The Cost of Loving』は、The Style Councilがジャンル的な冒険に挑んだ、ある意味では“問題作”であり“誠実な裏切り”でもある。
知性とスタイルで構築されたそれまでの音楽世界から、あえてブラック・コンテンポラリーに足を踏み入れたこの作品は、英国的洗練をいったん脱ぎ捨て、都市のリズムと感情の肌触りに自らを委ねたような趣がある。
その結果、これまでのファンの一部を戸惑わせることになったが、そこにこそThe Style Councilというプロジェクトの“変化を恐れない姿勢”が宿っている。
ポップという形式を“安全な娯楽”ではなく、“生き方そのものを映す鏡”として機能させること――
それこそがウェラーの信念であり、本作はその“リスクを取った証明”でもあるのだ。
おすすめアルバム(5枚)
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Sade / Promise
同時代のUKソウル作品。都会的でメロウな感覚が共通しつつ、より洗練された美学を提示。 -
Paul Young / The Secret of Association
ブルー・アイド・ソウルと80sプロダクションの融合が光る、スタイリッシュなR&Bポップ。 -
Level 42 / Running in the Family
ファンクとポップ、洗練と感情の融合という意味で『The Cost of Loving』と共鳴。 -
Everything But The Girl / Baby, the Stars Shine Bright
ソウルとオーケストラル・ポップの交錯。The Style Councilのロマンティシズムと近い感触。 -
Simply Red / Men and Women
社会性と感傷が同居する、80年代後半の英国ソウルの代表作。
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