発売日: 1972年7月
ジャンル: 現代音楽、クラシカル・ロック、アートロック、インストゥルメンタル
“音楽アカデミーの危機”という名の自由——John Caleがクラシックとロックの境界線を攪拌した野心作
『The Academy in Peril』は、John CaleがReprise Recordsからリリースしたソロ2作目のアルバムにして、
クラシックとロック、構築と即興、形式と反逆が衝突しながら共存する“アートロック実験の極地”である。
タイトルの「アカデミーの危機」は、
音楽教育機関や音楽の権威そのものへの批評的視線とも取れ、
自身がクラシック教育を受けたチェリスト/作曲家であるCaleが、
その伝統を“破壊しつつ称える”という複雑な関係性を音で表現している。
この作品では歌詞やヴォーカルはほとんど登場せず、
代わりにオーケストラ的アレンジ、即興的パート、ストリングス、ギター、シンセサイザーなどが重層的に展開される。
現代音楽のテクスチャーとロックのエネルギーがせめぎ合う、極めて知的かつ挑戦的な一枚である。
全曲レビュー
1. The Philosopher
ゆったりとしたストリングスとピアノの織りなす知的で厳かなオープニング。
形式性がありながら、どこか感情を排した冷静さが“哲学者”らしい。
2. Brahms
作曲家ブラームスの名を冠した短い小品。
現代音楽の文脈で19世紀の旋律を捉え直すような実験性を持つ。
ほんの数分で時代と文体が交錯する。
3. Legs Larry at Television Centre
The Bonzo Dog BandのLegs Larry Smithによるコミカルなナレーションが挿入される風刺的トラック。
BBC風の演出と音楽の断片が交錯する、“メディア×芸術”への皮肉交じりのコラージュ作品。
4. The Academy in Peril
タイトル曲にしてアルバムの中核。
ゆっくりとしたテンポの中でチェロ、ピアノ、ギターが静かに会話を交わすような構成。
どこか崩壊寸前のバレエを思わせる、不穏で美しい楽曲。
5. Intro / Days of Steam
鉄道を連想させるようなリズムパターンとブラスの絡みが印象的なトラック。
産業時代のノスタルジアと、機械的反復の冷たさが同居する。
Caleの“構築する破壊”がここにも宿る。
6. 3 Orchestral Pieces
サブタイトルを持つ三部作的構成。
– Faust:神話と実験音楽の融合。宗教的荘厳さと前衛的ノイズが交錯。
– The Balance:バランスという名の不均衡。音と沈黙の緊張が支配する。
– Captain Morgan’s Lament:架空の海賊の哀歌。クラシカルな旋律と荒々しいノイズが共演する。
このセクションはまさにCaleの“作曲家としての顔”が最も強く表れるパートであり、
どのジャンルにも属さない“音の建築”が展開されている。
7. King Harry
穏やかでメロディアスな曲調が際立つ、アルバム中もっとも“聴きやすい”楽曲。
しかし歌詞はなく、その代わりに情景を想起させるような美しいギターとピアノのアンサンブルが広がる。
中世的な王の肖像を思わせる、静かな誇りと哀愁がある。
8. John Milton
詩人ミルトンの名を借りた終曲。
音楽的には厳格かつ荘厳。文学と音楽の邂逅というCaleの美学を象徴するようなフィナーレ。
総評
『The Academy in Peril』は、John Caleが“自らのクラシック音楽的ルーツ”と“ロックの自由”を真正面からぶつけ合った音の論文である。
そこにあるのは和声の美しさでも、ロックのエネルギーでもなく、あくまで“構造と違和感の演出”だ。
誰もが親しめる作品ではない。
しかし、このアルバムは確かに“ロックの可能性”という未踏の土地を拓こうとした者の、勇敢な一歩なのである。
歌のない音楽は何を語るのか?
形式と意味がズレたとき、そこに何が残るのか?
John Caleはこの作品で、“音楽教育の殻を破ることこそが、創造の始まりだ”と宣言しているのかもしれない。
おすすめアルバム
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現代音楽とロックの架け橋を追求した、知的かつ破天荒なライヴ作。 -
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ミニマリズムと環境音楽。形式性を外すことの意味を考える上での対極点。 -
Nico – The Marble Index
Caleがプロデュースした実験的アートソングの極北。冷たく、鋭く、美しい。 -
Steve Reich – Music for 18 Musicians
構造と反復の音響建築。Caleの作曲的思考と共鳴するミニマルの金字塔。 -
John Cale – Paris 1919
本作の“厳格さ”を経た後に辿り着いた、最もポップで文学的なCaleの傑作。
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