
発売日: 未正式リリース(デモ・セッション / ライブテイク)
ジャンル: ポストパンク、ローファイ、ミニマルウェイヴ、実験音楽
⸻
概要
『Tascam Sessions(または Tascam Tapes)』は、Dry Cleaningが初期の楽曲制作・録音過程において、自宅スタジオでTascam製の4トラック・カセットレコーダーを用いて収録したデモ的セッション音源/未発表音源の総称であり、バンドが本格デビュー以前に構築していた音楽的言語の“裸の状態”を垣間見ることができる貴重な記録である。
この音源群は正式なスタジオアルバムとしてはカウントされないが、ファンの間ではDry Cleaningの美学がもっとも剥き出しに表れている作品群として語られ、のちの『Sweet Princess』や『Boundary Road Snacks and Drinks』に続くスタイルの雛形を提示している。
ローファイな音像、反復的なリフ、スピークスタイルの語り、そして断片的な日常観察というDry Cleaningの基本要素はすでにここで完成しており、それを家庭用機材で記録した“そのままの質感”が、むしろ作品としての強度を高めている。
⸻
収録楽曲の傾向と特徴
(※正式なトラックリストは存在せず、ライブ音源やYouTube、Bandcampなどで断片的に流通している音源を含む。)
- 既出曲の初期バージョン(例:Magic of Meghan, Traditional Fish など)
→ スタジオ版に比べてリズムが崩れ気味、ギターのトーンがより鋭利、語りも無意識的。 - 未発表テキストの語り
→ フローレンス・ショウによる朗読的パフォーマンス。
ポエトリーリーディングと音の断片を重ねる即興的構成が多く、音楽というより“録音された思考”に近い。 - ギターループとドラムマシンの即興セッション
→ ミニマルでグリッド的な展開。パターンの反復が意味を空洞化させていく。 - 生活音や無音の挿入
→ テレビの音、車の走行音、息づかいなど、意図的に“完成されていない”要素を混在させることで、Dry Cleaningのアンチ構築性が表現されている。
⸻
総評
『Tascam Sessions』は、Dry Cleaningというプロジェクトがどのように“言葉”と“音”を分離し、また結び直してきたかを知る上で最も重要な記録であり、音楽でありながら文学であり、演劇でありながら日記でもあるという彼らのアートフォームの原点を提示している。
公式アルバムでの整えられた形では見えにくい、“素のままの構築行為”がここにはある。
また、このセッションは音質的に決して快適とは言えないが、それが逆に、Dry Cleaningが「音楽を快適さのためのものではなく、思考の運動として提示しようとしている」ことの裏付けにもなっている。
⸻
おすすめアルバム(5枚)
- Young Marble Giants『Colossal Youth』
ミニマルな機材と語りが生む静かなパンク。Dry Cleaningのルーツ的存在。 -
The Durutti Column『Return of the Durutti Column』
ポストパンクの美的脱力とDIY録音の先駆け。 -
Jenny Hval『Viscera』
音楽/語り/身体の境界線を押し広げた実験的女性アーティスト。 -
Grouper『Dragging a Dead Deer Up a Hill』
低解像度の記憶と夢の音像。Tascam録音的質感も共通。 -
Broadcast & The Focus Group『Investigate Witch Cults of the Radio Age』
録音メディア自体を“表現手段”とする構築/崩壊のアートポップ。
⸻
文化的意義と考察
Tascamによる家庭録音という行為は、Dry Cleaningにとって単なる録音手段ではなく、“音楽の輪郭を意図的にぼかす”ための道具でもあった。
このセッションにおける語りと音の関係は、いわゆる楽曲構造を持たないことで、リスナーの脳内にだけ“意味”や“リズム”を発生させる装置として機能している。
つまりそれは、音楽を外側から鑑賞するのではなく、内側から“想起”する体験を提供する、極めて現代的な聴取モデルの試みなのだ。
コメント