発売日: 1990年6月
ジャンル: アナーコ・パンク、ポリティカル・ポップ、ジャズ・パンク、アヴァン・ポップ
概要
『Slap!』は、イギリスのアナーコ・パンク集団チャンバワンバによる4枚目のスタジオ・アルバムであり、
それまでのハードで怒りに満ちたパンク路線を脱却し、ダンサブルでアイロニカルな“ポリティカル・ポップ”への進化を示した重要作である。
1980年代に“チャリティ批判”や“選挙否定”を掲げてきた彼らは、1990年代に入り、より多様な音楽的アプローチと、
ポップ・ミュージックを“武器”として用いる戦略的姿勢を強めていく。
その最初の本格的転換点となったのがこの『Slap!』であり、
スウィング・ジャズ、ラテン、レゲエ、ミュージックホール、ワールドビートを取り入れながら、
政治風刺、階級批判、フェミニズム、メディア批判を、皮肉と踊れるビートに包んで叩き込むという新たな形式が確立された。
アルバム全体が**“左翼的キャバレー”あるいは“パンク・ブレヒト歌劇”**のような空気を持ち、
従来のアナーコ・パンクの怒鳴りではなく、**笑いとユーモア、そして高度な音楽性で挑む“文化ゲリラ戦”**が始まった記念碑的作品でもある。
全曲レビュー
1. Ultra Business Girl
グルーヴィーなベースラインとブラスセクションが映えるファンキーな幕開け。
“働く女性”をステレオタイプに押し込める社会への風刺が、軽妙かつ鋭く描かれる。
2. Break Down the Door
警察国家批判のスカパンク風ナンバー。タイトル通り、“そのドアをぶち壊せ”という叫びが、曲全体のスローガンとして機能する。
3. That’s How Grateful We Are
政府の“ありがた迷惑”な政策や福祉削減への風刺ソング。明るいトーンと毒のある歌詞のギャップが痛快。
4. Rub Me Out
暴力とメディアによる“記憶の抹消”をテーマにした、暗くも中毒性のあるアヴァン・ファンク。
記録と忘却の政治を示唆する重要曲。
5. Phoenix Arising
抑圧の中から立ち上がる“復活”を描いたミッドテンポナンバー。
“燃やされた者は灰から再び舞い上がる”という反抗の詩的比喩が力強い。
6. You Can (Mass Tresspass 1932)
1932年の“カイン山地”での大規模不法侵入運動（Mass Trespass）をモチーフにした歴史的トラック。
土地の私有化に対する大衆行動を称える。
7. Slap!
アルバムタイトル曲にしてハイライト。ジャズとポリリズムの融合に、
「笑いながら頬を叩け」という逆説的メッセージが込められている。攻撃性とユーモアの絶妙なバランスが光る名曲。
8. Ugh! Your Ugly Houses!
郊外住宅と中産階級の空虚さを皮肉った風刺ナンバー。
どこかカートゥーン的なアレンジが社会批判をユーモラスに包む。
9. Don’t Pass Go
資本主義と警察国家の癒着を、モノポリーゲームになぞらえて描いたジャズ・ポリティカル。
“サイコロを振るのは誰か？”という問いが潜む。
10. That’s Entertainment
ショウビズ界の欺瞞と無意味な快楽を嘲笑う、皮肉の効いたキャバレー風ナンバー。
耳当たりの良さに隠された“毒”が効いている。
総評
『Slap!』は、チャンバワンバが怒りだけでは人は動かない、笑いとリズムも革命の一部だという視点に到達した画期的なアルバムである。
ここで彼らは初めて、「踊らせながら批判する」というサブヴァーシブ（転覆的）なポップ戦略を確立し、
のちの『Anarchy』や『Tubthumper』へと続く“聴きやすさと抵抗の両立”を試み始める。
皮肉や諧謔は、単なる笑いではなく、権力への対抗手段としての言語行為。
それはまさに、“笑っているうちに社会が変わってしまう”ような、サイレント革命の音楽版ともいえる。
『Slap!』は、音楽の中に“ダンスフロアと路上の間”を作り出した、ユーモアと怒りが共存する知的アジテーション作品なのだ。
おすすめアルバム（5枚）
- The Pop Group『For How Much Longer Do We Tolerate Mass Murder?』
ポストパンクと政治批判の融合。チャンバワンバの転換点との共鳴が濃い。 - Tom Waits『Rain Dogs』
キャバレー、ブルース、実験性が混ざった街角の音楽。風刺と哀愁が共通。 - Billy Bragg『Don’t Try This at Home』
政治性とポップのバランスが秀逸な英国フォークロック作品。 - Stereo Total『Musique Automatique』
エレクトロ・ポップに社会風刺を乗せた異色ユニット。チャンバの“ポリティカル・ポップ路線”と類似。 - Sleaford Mods『Spare Ribs』
現代UK社会の断面を皮肉とループで切り取る、ポスト・チャンバワンバ的存在。
後続作品とのつながり
この『Slap!』で提示された“ダンサブルな抵抗”のスタイルは、
1992年の『Shhh』や1994年の『Anarchy』でさらに洗練され、
1997年の世界的大ヒット『Tubthumper』でついにポップミュージックの中心に食い込むこととなる。
つまり『Slap!』は、チャンバワンバの**“パンクからポップへ”という進化の起点**にして、
“音で変える”という姿勢のブレなさを証明する、反体制のエンタメ宣言なのだ。
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