Saffron by Temporex(2017)楽曲解説

1. 歌詞の概要

「Saffron」は、カリフォルニア出身のローファイ・ポップアーティスト、Temporex(テンプオレックス)が2017年に発表したデビューアルバム『Care』に収録された楽曲であり、彼の音楽世界におけるもっとも叙情的かつ抽象的な一曲である。そのタイトル「Saffron(サフラン)」は、香辛料であると同時に鮮やかな黄金色を指す語でもあり、この曲ではその言葉が比喩的に、記憶、感覚、そしてかつての恋愛関係を象徴するイメージとして用いられている。

歌詞は全体として非常に詩的で断片的であり、明確な物語や主語を持たない。代わりに、色彩や質感、音や匂いといった五感に訴える言葉が織り交ぜられ、あたかも思い出の風景を夢の中でたどるかのような構成となっている。そこには、過去にいた誰かの面影や、自分自身の感情の欠片が渦を巻くように存在し、言葉にならないまま漂っている。

「Saffron」は、Temporexの音楽のなかでもとりわけ“空気”や“温度”を感じさせる楽曲であり、その温もりと寂しさが混じり合った雰囲気は、聴く人の内面にそっと染み込むような感触を持っている。

2. 歌詞のバックグラウンド

TemporexことJoseph Floresは、わずか17歳のときにこの楽曲を含むアルバム『Care』をリリースし、そのDIY的な美学とノスタルジックな音像によってインターネット世代からの支持を集めた。「Saffron」はアルバムの後半に配置されており、リズムトラックよりもハーモニーや音の“揺らぎ”に重きを置いた構成となっている。

この曲のサウンドは、ローファイ・ポップの特徴であるテープ感や微細な歪み、柔らかいアナログシンセに加え、エレクトロニカ的なプロセッシングも感じさせる。まるでカセットテープの中に封じられた記憶が、ゆっくりと再生されるかのような音像は、歌詞の持つ“記憶の漂流”というテーマと深くリンクしている。

「Saffron」というタイトルは、香り高く、高価であり、料理に少し加えるだけで味全体を変える力を持つ香辛料を指すが、この曲においては、記憶の中で何か特別な力を持ち続ける“象徴的な何か”を表現しているようにも解釈できる。甘く、儚く、どこか痛みを伴った感情の核として機能している。

3. 歌詞の抜粋と和訳

以下に、「Saffron」の中から印象的なフレーズを抜粋し、日本語訳とともに紹介する。

引用元:Genius Lyrics – Saffron

“I think about you when I’m alone”
ひとりのとき、君のことを思い出す。

“Saffron skies and garden homes”
サフラン色の空と、庭のある家。

“We were something I don’t know”
僕らは“何か”だった。でも、それが何かは分からない。

“Softest breeze, the quiet tone”
やわらかな風、静かな声の調子。

“Wish I said what’s on my mind
思ってることを、ちゃんと言えていたらよかったのに。

これらのリリックは、感情が言葉にならないまま過ぎ去ってしまった時間への後悔や、思い出の断片に色と匂いを与えるような繊細さに満ちている。語り手が思い出すのは明確な出来事ではなく、色や風、音といった“感覚の記憶”であり、それがこの曲をいっそう抽象的かつ情緒的にしている。

4. 歌詞の考察

「Saffron」は、恋愛や人間関係の“名づけようのない関係性”を扱った楽曲である。語り手は「We were something I don’t know(僕らは“何か”だった)」と語るが、その“何か”には名前も定義もなく、ただ感覚として残っているのみである。このような“名前のない関係性”は、しばしば最も記憶に深く残り、ふとしたときに心の中を漂う。

特に印象的なのは、「Saffron skies(サフラン色の空)」という表現だ。サフランは夕焼けのような黄金色を想起させるが、その色は美しくもあり、どこかもの悲しくもある。その色彩は、恋愛の終わり、あるいはまだ始まらなかった関係の予兆といった、“終わりのはじまり”を感じさせる。

また、「Wish I said what’s on my mind(思っていることを言えたらよかった)」というフレーズからは、伝えられなかった思いや、すれ違いによって失われた時間への後悔がにじむ。沈黙の中に多くを詰め込んでしまった経験、あるいは言葉にするには繊細すぎた感情が、聴き手にとっても個人的な記憶とリンクしていく。

この曲の魅力は、記憶の中にある“かつて誰かと過ごした時間”を、あくまで感覚的に再構成している点にある。それは直接的な回想ではなく、色や香り、空気の流れといった“周辺の記憶”を通じて心に訴えるものであり、詩的でありながら極めて普遍的な共感を呼ぶ。

5. この曲が好きな人におすすめの曲

  • “Duvet” by Bôa
    抽象的で内向的な感情を静かに描く歌詞と、浮遊感のあるメロディが「Saffron」に通じる。

  • My Kind of Woman” by Mac DeMarco
    淡いローファイサウンドと、言葉にできない感情をそのまま音にしたような情緒。

  • “Japanese Denim” by Daniel Caesar
    個人的な関係性の“温度”を詩的に描いたスロウバラード。

  • “Your Best American Girl” by Mitski
    愛されることへの願望と、自己否定の混じった切実な視点が「Saffron」と響き合う。

  • “When the Party’s Over” by Billie Eilish
    言葉を抑えた表現の中に、深い後悔と痛みを感じさせる楽曲。

6. 音で記憶を描く:Temporexが作り出す“感覚のカプセル”

「Saffron」は、Temporexの音楽的アイデンティティを最も端的に表現した楽曲のひとつである。彼の音楽はしばしば“思い出の断片”や“曖昧な感情”を描くが、それは過剰な説明ではなく、むしろ語らないことでリアリティを獲得している。この曲もまた、何があったのかを正確には語らず、“何かが残っている”という感覚だけを丁寧に取り出して見せている。

サウンド面では、やわらかく波打つシンセ、ドライなドラムのタッチ、そして霞がかったボーカル処理が、まるで“記憶の中の音”を再生しているような印象を生む。それは、現実に起きたことというよりも、“心の中で何度も思い出されてしまうイメージ”そのものであり、だからこそ聴く人の心に長く残る。

「Saffron」は、誰にでもある“名前のない記憶”を、音楽という形でそっと差し出してくれる楽曲である。Temporexの楽曲の中でもとりわけ内省的かつ感覚的なこの一曲は、聴く者それぞれの感情と結びつき、何度も再生されるたびに新しい風景を見せてくれる。まるで一枚の、色褪せたポラロイド写真のように。

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