1. 歌詞の概要
「Runner’s High」は、MUNA(ミューナ)が2022年にリリースしたセルフタイトルの3rdアルバム『MUNA』の中でも、最もカオティックでアグレッシブなエネルギーを持つ楽曲であり、“感情の逃避行”をテーマにした痛烈でシニカルな一曲である。
タイトルの「Runner’s High(ランナーズ・ハイ)」とは、長時間走り続けた後に訪れる“陶酔状態”のことを指すが、ここではそれが比喩として使われ、「何かから逃げ続けることで得られる偽りの快感」や「自己欺瞞」を象徴している。
歌詞では、語り手が恋愛、自己像、痛みといったものから逃げ続けながらも、「その逃走自体が快楽になっている」ことに気づき、自己嫌悪と快楽の狭間でぐらついている様子が描かれる。
サウンドはインダストリアルやノイズポップの影響を感じさせる混沌としたアレンジで、シンセ、ギター、ボーカルすべてが“逃避”と“昂揚”を体現するように暴れ回っている。
MUNAの持つシンセ・ポップ的な繊細さとは一線を画したこの曲は、むしろ彼女たちの“ロックバンドとしての顔”を強く感じさせる異色のトラックでもあり、アルバム全体における感情のカウンターとして重要な役割を果たしている。
2. 歌詞のバックグラウンド
この楽曲は、アルバム『MUNA』の中でもとりわけ感情が爆発している一曲であり、Katie Gavin(Vo)の内面的な混乱がダイレクトに表現されている。
インタビューにおいてKatieは、「『Runner’s High』は、“何かを感じないように走り続けること”が自分の中にどれだけ根付いているかを認識した瞬間に書いた」と語っている。
ここで描かれているのは、“前に進むこと”が常にポジティブとは限らないという逆説だ。自己改善や前進といった概念が称賛されがちな現代社会において、彼女は「逃げ続けることで一瞬の高揚は得られるけど、そのあとに残るのは空虚だ」と歌う。その問いかけは鋭く、深く、そして恐ろしく現代的である。
音楽的には、MUNAが持つエレクトロニックな美しさと、Josette Maskinのディストーションギターが激しくぶつかり合い、構造的にも“感情が制御不能になる瞬間”のカタルシスをそのまま音にしたような作りとなっている。
3. 歌詞の抜粋と和訳
I like the runner’s high
I like the feeling of your name on my tongue
ランナーズ・ハイが好き
あなたの名前が口の中に残る感じも好き
I keep my head down
I keep running from everything
私はうつむいて
すべてから逃げ続けてる
I don’t know why I do it
But I don’t wanna stop
なんでそうしてるのか自分でもわからない
でも、止まりたいとも思わない
I can’t tell if it’s heaven or just another hell
Disguised as healing
これは“癒し”の仮面をかぶった
新しい“地獄”なのか、それとも天国なのか、わからない
歌詞引用元:Genius – MUNA “Runner’s High”
4. 歌詞の考察
「Runner’s High」は、現代の“セルフケア文化”や“ポジティブであることへのプレッシャー”に対する強烈なアンチテーゼとしても機能している。語り手は、自分を良く見せようとし続けるその行為そのものが“逃避”であり、快感をもたらす一方で、それが“真の回復”や“癒し”とは無縁であることを鋭く見抜いている。
「これは癒しなのか、地獄なのか?」というラインには、日々の習慣や行動が“健康的”であるように見えて、実は自分を傷つけるものになっているという自己認識の怖さが込められている。これはまさに、感情や痛みと正面から向き合うことを避けながら、自己改善のフリをして生きている現代人の“仮面”を暴く言葉である。
そして、「わからないけどやめられない」という告白は、理性的な解釈では捉えきれない衝動のリアルを描いている。これは中毒とも言えるし、習慣とも言えるし、“生き抜く術”とも言える。そこに善悪はなく、ただその混沌を“そのまま描く”という行為自体が、この曲の持つ最大の強度である。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Born to Lose by Sleigh Bells
騒がしく混沌としたビートに乗せて、自己破壊的な快楽とその背後にある哀しみを歌う一曲。 - Demi Moore by Phoebe Bridgers
自分の感情と欲望を制御できず、それでも抱えていたいという不器用なラブソング。 - Los Ageless by St. Vincent
都会的な高揚感と“壊れていく美学”を冷笑的に描いたインダストリアル・ポップの傑作。 -
I Know the End by Phoebe Bridgers
終末的な不安と感情の暴発を、静寂と轟音の対比で描く壮大なエモーションの物語。 -
Body by Julia Jacklin
身体と感情、支配と自由の境界を、内省的にそして鋭く描いた女性的視点の名曲。
6. “逃げること”が“癒し”の顔をしているとき
「Runner’s High」は、逃げることに伴う快楽と、それがもたらす空虚さの両方を、そのまま抱きしめるようなうたである。MUNAはここで、“良い生き方”“健やかさ”といった価値観が本当に自分を救っているのか?という問いを、静かな叫びとして提示する。
この曲は、前向きであることを強制される世界に対して、「私は今、逃げている。でもそれでいい。それが今の私だから」と語りかけてくる。その言葉は、傷ついていることさえも演出しなければならないような社会において、非常に誠実で、優しい。
「Runner’s High」は、逃げることの快楽と代償を、そのまま音に封じ込めたような、強烈でパーソナルな楽曲である。それは、前に進むことを美徳としすぎた私たちに、「止まらなくていい。でも、それが“本当に向かいたい場所”なのか、たまには問いかけてみて」と教えてくれる。MUNAが描くその混沌は、決して暗くはない——それは、私たちがまだ“感じることができる”という証だから。
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