
発売日: 1989年
ジャンル: インディーロック、ノイズ・ロック、ローファイ、オルタナティブ・ロック
概要
『President Yo La Tengo』は、ニュージャージーのインディーロック・バンド、Yo La Tengoが1989年に発表した3作目のスタジオ・アルバムであり、彼らの音楽的世界が決定的に“ノイズ”と“即興”へと開かれた転換点となる作品である。
それまでの『Ride the Tiger』や『New Wave Hot Dogs』では、ガレージやフォークに根ざした素朴なポップ感覚が中心にあったが、本作ではギターのフィードバック、ドローン的持続、緩やかな時間感覚といった、のちのYo La Tengoの本質的要素がいよいよ表面化している。
録音はまだローファイかつプリミティブだが、それがかえってバンドの親密さと実験性を際立たせており、“小音量でも深く染み込むノイズ”という、Yo La Tengo特有の音楽美学が芽吹いた瞬間がここにある。
また、本作にはハーフカバー/ハーフオリジナルという側面もあり、ルーツ音楽への敬意を保ちながら、新たな領域へ進もうとするバンドの動きが鮮明に記録されている。
全曲レビュー
1. Barnaby, Hardly Working
開放的なギターアルペジオと柔らかなボーカルが印象的なオープニング・ナンバー。
日常の切れ端のような歌詞と、たおやかなメロディが心地よい。
2. Drug Test
ファズとフィードバックが渦巻く、攻撃的で即興的なロックナンバー。
不穏な空気感とユーモアが同居する、のちの代表作群に通じる質感。
3. The Evil That Men Do
再録バージョン。前作よりも荒々しく、ギターが歪みを増している。
リフの反復が中毒性を生み出す、“静かに狂っていく”ような一曲。
4. Orange Song
ミニマルで繊細なインストゥルメンタル。
わずかな旋律がゆっくりと波紋のように広がり、アンビエント的な趣を帯びる。
5. Alyda
Hubleyのボーカルが光る静謐なバラード。
アルバムの中でもっとも“歌”としての強度が高く、繊細な構成美が際立つ。
6. The Evil That Men Do (Instrumental)
ギターの轟音と空白を交錯させる、ノイズの“余韻”を楽しむインスト。
まるでライブのサウンドチェックのような、即興的な息吹がある。
7. I Threw It All Away(Bob Dylan カバー)
ディランの1969年のバラードを、誠実でミニマルなアレンジでカバー。
淡々とした語り口の中に、Yo La Tengoらしい静かな情念が宿る。
総評
『President Yo La Tengo』は、Yo La Tengoが初期の“アコースティックな良心”から脱皮し、ノイズと即興、静寂と混沌の間を揺らぐバンドへと進化する中間点を記録した作品である。
この作品には、後年の名盤『Painful』や『I Can Hear the Heart Beating as One』に見られる“余白の使い方”や“強くない声の美しさ”がすでに表れており、リスナーの聴取態度そのものを静かに変えてしまうような力がある。
つまり、聴く側に“静けさ”や“スローさ”を要求する、優しくも大胆な一歩なのである。
また、ディランやオリジナル曲を交えながら、カバーと自己表現の間を横断するという構成は、Yo La Tengoが後年展開する“音楽のアーカイブ性”の萌芽でもある。
「音楽とは、記録であり、行為であり、祈りでもある」という同バンドの美学が、この時点で静かに息づいている。
おすすめアルバム(5枚)
-
Fakebook / Yo La Tengo
翌1990年に発表されたカバー中心のアコースティック作品。『President』の“もうひとつの枝分かれ”。 -
Painful / Yo La Tengo
1993年作。ノイズとメロディの融合がピークを迎える、バンドの代表作。 -
On Fire / Galaxie 500
同時代のスローコア名作。抑制された情熱と空間美がYo La Tengoと共振する。 -
Perfect Sound Forever / Pavement
ローファイの実験性とポップ性を兼ね備えた短編的名盤。Yo La Tengo初期との類似性も。 -
Teenage Snuff Film / Rowland S. Howard
ノイズと美旋律の共存、美学的な破壊力という観点で、Yo La Tengoとの精神的共鳴がある。
コメント