広大なアメリカの大地を駆けるピックアップトラック。
そこで鳴り響くのは、カントリーとロックを柔軟に融合させた奔放な音。
1960年代後半から70年代にかけて、そんな“西海岸流カントリーロック”の幕開けを象徴したバンドのひとつがPocoである。
イーグルスやバーズ、フライング・ブリトー・ブラザーズと並び、フォークやカントリーの要素をロックへと溶け込ませる流れを牽引したPocoは、ある意味で“完成された大成功”こそ得られなかったかもしれない。
しかし、メンバーたちが生み出してきたメロディの美しさと、ピュアなバンドアンサンブルは、多くの音楽ファンにとって魅力的な存在であり続けているのだ。
ここでは、Pocoの誕生から音楽的背景、代表曲やアルバム、そして後進への影響を振り返りながら、彼らがなぜカントリーロックの礎石として重要なのかを探ってみたい。
バンドの背景と結成の経緯
Pocoのスタートラインは、1968年頃に遡る。
当時、バッファロー・スプリングフィールドというバンドのメンバーだったリッチー・フューレイとジム・メッシーナが、グループの解散を機に“新しいカントリーロックを追求するバンド”を立ち上げようと意気投合。
そこに、後にバンドの要となるラスティ・ヤングが合流し、ほどなくしてPogoという名前で活動を始める。
しかし、同名のコミック作品との衝突を避けるため、すぐにPocoへと改名した。
イーグルスなどが華々しい成功を収めるより前、まだカントリーとロックを掛け合わせるスタイルが“外し技”だった時代。
Pocoはその新鮮な試みに強い熱意を持ち、ロサンゼルスを中心に音楽活動を活性化させていく。
フォークロックの流れをくむ心地よいハーモニーや、ペダル・スティール・ギターを用いたカントリー色の濃いサウンドを積極的に導入しながら、彼らは次第に“ウエストコーストの爽やかな風”を象徴する存在となっていったのである。
西海岸カントリーロックへの貢献
1960年代後半、ウエストコーストの音楽シーンはサイケデリックからフォークロックへと多様化を続け、そこに南部やカントリーのエッセンスを新たにブレンドする動きが生まれ始めていた。
バーズがアルバム『Sweetheart of the Rodeo』でカントリーテイストを前面に出し、グラム・パーソンズがフライング・ブリトー・ブラザーズを結成したのも、この時期の流れの一端といえる。
そんな中、Pocoはフォーキーなハーモニーと、軽やかでリズミカルなカントリーサウンドを融合させる形で“ロック”へアプローチを図った。
ラスティ・ヤングのペダル・スティール・ギターは、彼らのサウンドにとって欠かせない要素であり、カントリーロックを語る上で象徴的な楽器使いだったといえる。
ペダル・スティールの澄んだ響きとリッチー・フューレイの柔らかなボーカル、さらにバンド全体でのコーラスワークが加わることで、生き生きとした躍動感が生まれ、洗練されつつもどこか素朴な空気を漂わせたのだ。
Pocoの音楽は、ビートルズなどの影響を受けたポップ感覚とも相まって、若い世代にも十分に受け入れられるものだった。
しかし、当時のロック界ではハードロックやサイケの激しいサウンドのほうが注目を集めることも多く、カントリーテイストは“地味”に映ったのか、なかなかチャートで大きな成功には結びつかなかった。
それでもPocoはライブで根強い支持を積み重ねながら、イーグルスが爆発的な人気を得るより一足先に“カントリーロックの理想像”を追求していたのである。
代表曲と主なアルバム
Pocoは多くの作品を残しているが、ここでは特に象徴的なアルバムを中心に、音楽性の変遷をたどってみよう。
『Pickin’ Up the Pieces』(1969年)
記念すべきデビューアルバム。
アルバムタイトルの“Pickin’ Up the Pieces”は、バッファロー・スプリングフィールド解散後に“バラバラになったピースを拾い集める”という意味合いが込められているとも言われる。
そこには若々しいエネルギーと共に、純朴なカントリーテイストがあふれており、ピュアなアメリカンルーツサウンドを楽しめる初期の名作となった。
『Poco』(1970年)
バンド名を冠したセカンドアルバム。
フォーク風味のボーカルラインとペダル・スティールが絡み合うサウンドは、より成熟味を増している。
小気味良いリズムとコーラスワークが広がる彼ららしい“爽快さ”が前面に押し出され、Pocoの音世界を定着させる一助となった一枚だ。
『Deliverin’』(1971年)
ライブアルバムとしての評価が高い一作。
スタジオ録音では感じられない熱気が詰まっており、観客との掛け合いやバンドの緊張感がリアルに伝わる。
Pocoのライブパフォーマンスがいかに生き生きとしていたかが分かるアルバムで、ファンならずとも一聴の価値がある。
『A Good Feelin’ to Know』(1972年)
タイトル曲「A Good Feelin’ to Know」は、バンドの代表曲として挙げられることが多い。
高揚感のあるコーラスとリズミカルな演奏が一体となって、聴き手の心を弾ませてくれる。
フォークロックからの影響、さらには少しウエストコーストのポップ要素も持ち合わせており、Pocoらしい開放的なサウンドが魅力的だ。
『Crazy Eyes』(1973年)
リッチー・フューレイが在籍していた最晩年にリリースされた作品で、彼の友人でもあったグラム・パーソンズに捧げるタイトル曲「Crazy Eyes」が収録されている。
バンドの音楽性が大きく展開し、ストリングスの導入なども含め、叙情性が一段と深まっている。
“ウエストコースト・カントリーロック”を詩情豊かに昇華した一枚として、今日でも評価の高いアルバムだ。
メンバーの変遷と派生グループ
Pocoは長い活動の中で何度もメンバーチェンジを経験した。
リッチー・フューレイは1970年代半ばに脱退し、クリスチャン・ロックの道へと進み始める。
また、ジム・メッシーナは初期にバンドを去り、後にケニー・ロギンスとロギンス&メッシーナを結成し大成功を収めた。
こうした脱退劇を経ても、バンドはラスティ・ヤングを中心に存続し、メンバーを入れ替えながら音楽性を維持してきた。
興味深いのは、Poco出身メンバーが“巣立ち”を経て別のプロジェクトやユニットで成功したケースが多い点だ。
たとえばイーグルスで活躍したティモシー・B・シュミットも、Pocoからの加入組である。
彼らのソフトなコーラスセンスや演奏スキルは、イーグルスの大ヒットを支える要因のひとつとなったとも言われている。
カントリーロックの発展とPocoの評価
“カントリーロック”というジャンルは、1970年代を通じてイーグルスが世界的な成功を収めたことで大衆化が進んだ。
同時に、グラム・パーソンズの功績が再評価され、フォークから派生する形でアメリカーナやオルタナ・カントリーといった潮流にもつながっていく。
その中でPocoは、大ヒットとは縁遠かったものの、ジャンル確立のパイオニア的存在として位置づけられている。
商業的に大成功を収める前夜のイーグルスが近い立ち位置にいたことを考えると、やや不運とも言えるかもしれない。
しかし、多くのミュージシャンやコアな音楽ファンからは、「Pocoこそがカントリーロック本来のピュアな精神を体現していた」という声が根強く残っている。
Pocoの音楽は、華やかさよりも肩の力を抜いた優しいムードが漂う。
ブルーグラスやカントリーの素朴さを土台にしながら、ロックの自由なエネルギーを含ませることで、ジャンルの垣根を自然に行き来する“軽やかさ”を維持していたのである。
後世への影響
Pocoのサウンドは、1970年代後半から1980年代にかけて勢いを増したAOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)やソフトロックとも共振し、特にアコースティックギターやコーラスの使い方などで多くのアーティストに影響を与えた。
例えば、かのダン・フォーゲルバーグやアメリカ(バンド名)、さらにペイヴメントなどのオルタナ勢にも、そのカントリーフレイバーが受け継がれている。
また、イーグルスのヒット曲を聴いて「Pocoっぽい響きだ」と感じるリスナーも少なくないだろう。
それもそのはず、ティモシー・B・シュミットがPocoからイーグルスへ移籍していたことや、両バンドが同じウエストコースト・シーンで活動していたことを考えると、サウンドの親和性はとても高いのだ。
こうした流れを踏まえると、Pocoは“自らは大きなスポットライトを浴びなかったが、次世代のスターを生み出すインキュベーター的役割を果たした”とも言えるかもしれない。
主なエピソード・逸話
- バンド名の由来 “Pogo”というコミック作品の名前が使えなかったため、わずかな変更で“Poco”となったのはよく知られた話。 ただしスペイン語で“少し”を意味する“poco”という単語と深い関係があるわけではないようだ。
- ラスティ・ヤングのペダル・スティール・ギター フロントマン的ポジションはリッチー・フューレイやジム・メッシーナが担う一方、Pocoのカントリー色を決定づけたのはラスティ・ヤングの存在だった。 ペダル・スティールの澄んだ音色と彼の職人的なプレイは、バンドのアイデンティティそのものと言っても過言ではない。
- イーグルスとの関係 繰り返しになるが、ティモシー・B・シュミットは、ランディ・マイズナーの後任としてイーグルスに参加した。 面白いのは、実はランディ・マイズナーもPocoのオリジナル・メンバーだったこと。 イーグルスとPocoは、ベーシスト枠を“交互に受け渡している”とも言える不思議な縁を持っている。
- ラスティ・ヤングの晩年 長年Pocoを支え続けたラスティ・ヤングは、2021年にこの世を去ったが、亡くなるまで音楽活動を続けていた。 バンドとともに世界各地を巡りながら、幾度となく再結成や小規模ツアーを行い、ファンとつながりを絶やさなかった。 その姿勢こそが、Pocoが長く愛される理由の一端なのかもしれない。
まとめ
Pocoが生み出した音楽は、ウエストコーストの澄んだ青空と、アメリカン・ルーツの土の香りを同時に感じさせる。
“カントリーロック”とひと口に言っても、激しいサザンロック寄りのバンドもいれば、フォーク色を濃くするアーティストもいる中で、Pocoは終始ライトタッチで爽やかさを纏いながら、時にメランコリックな叙情も忘れない――そんな絶妙な立ち位置を貫いてきた。
イーグルスが世界的大成功を収める前夜に、同じようなフィールドで地道に活躍し、多くのミュージシャンにインスピレーションを与えた事実は評価に値する。
やがてAORやソフトロック、オルタナ・カントリーに至るまで、多彩な音楽シーンを間接的に彩ることとなったPocoの存在は、ロック史において“裏の主役”と言えるのではないだろうか。
もしPocoを初めて聴くならば、デビュー作『Pickin’ Up the Pieces』から入るのもよし、代表曲「A Good Feelin’ to Know」やアルバム『Crazy Eyes』を手に取るのもよし。
いずれにせよ、そのメロディラインと温かいコーラスに耳を傾けると、アメリカ西海岸の陽射しが目の前に広がるような感覚を味わえるだろう。
そして彼らのサウンドが、カントリーロックというジャンルの草創期にどれほどの影響を与えたかを改めて実感するはずだ。
大衆的な大成功とは少しだけ離れた場所で、誠実に音を紡ぎ続けたバンド、Poco。
その不屈の精神と開放感あふれる音楽は、時代が変わっても色褪せることなく、聴く者の心に爽やかな風を吹き込んでくれる。
メンバーたちが各々の道を歩みながらも、バンド名が消えることなく存続してきたのは、そんな音楽そのものの魅力と、聴き手との揺るぎない絆ゆえだろう。
Poco――カントリーロックの夜明けを告げる陽の光のように、これからも多くの音楽ファンの心に暖かさを届け続ける存在である。
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