発売日: 1990年4月
ジャンル: オルタナティブ・ロック、ドリームポップ、ニューウェイブ、ポップロック
概要
『Pillow Lips』は、Modern Englishが1990年にリリースした通算5作目のスタジオ・アルバムであり、
解散後の再編成を経て、アメリカ市場を意識したリスタートを飾る作品である。
本作は、バンドの代表曲「I Melt with You」の再録バージョンを収録していることで知られるが、
それ以上に、1980年代ポストパンク〜ニューウェイブの時代を生きたバンドが、90年代のオルタナティブ・ロックの地平にどうアプローチしたかを示すドキュメントでもある。
『Stop Start』(1986年)でのポップ化・洗練路線をさらに推し進めつつ、
ここではより明確なギター・ドリヴン、ヴォーカル主導の構成に回帰。
その一方で、残響的なギターやキーボードのレイヤーがドリームポップ的美学を維持しており、
まさに「Modern English再定義」のアルバムとも言える位置づけにある。
“Pillow Lips”(枕元の唇)というタイトルが示す通り、
本作には親密さ、私語、情緒的接触といったテーマが全編に通奏低音として流れている。
全曲レビュー
1. I Melt with You (Re-recorded)
バンド最大のヒット曲の再録バージョンであり、オリジナルのドリーミーさを保ちつつ、よりロック的で輪郭のはっきりしたアレンジが施されている。
ギターは前面に出され、リズムセクションもよりソリッドに。
90年代的な感覚へのアップデートを感じさせつつ、原曲の魔法を損なわないバランス感覚が光る。
当時のMTV世代にも改めて訴求することを狙った構成。
2. Beautiful People
ミッドテンポで展開される、ややシニカルな視点をもったポップロック・ナンバー。
“美しい人たち”というタイトルは、皮肉にも讃美にも読めるが、
歌詞全体には現代社会の表層的な価値観やアイデンティティの揺らぎが滲む。
ギターとキーボードの重なりが分厚く、アリーナ志向も見え隠れする。
3. Life’s Rich Tapestry
豊かなストリングス・キーボードとドラマチックな構成が印象的な、アルバム中もっともエモーショナルな一曲。
タイトルが示すように、人生の複雑さや矛盾、愛の変容を織物に喩えて描く構成は詩的かつ普遍的。
90年代的エピック・バラードの先駆け的楽曲でもある。
4. Care About You
シンプルな言葉で繰り返されるフレーズが、逆に切実さを増幅させるミディアム・バラード。
メロディの美しさとヴォーカルのナイーヴな響きが心地よく、
最小限の言葉が最大限の感情を引き出すというポップの魔法が生きている。
恋愛の甘さというより、不器用な想いの重さが印象的。
5. Let It Be Forever
アップビートなポップソング。ギターのカッティングと明るいコーラスが特徴。
タイトル通り、一瞬の感情を永遠に閉じ込めたいという願望がテーマになっており、
本作の中では珍しく光が差すような快活さを持つ。
軽快だが、そこにある切なさがModern Englishらしさでもある。
6. Here Comes the Failure
再びダークでメランコリックな音像へ。
“失敗がやってくる”というネガティヴなタイトルとは裏腹に、
曲調はどこか冷静で、敗北や喪失を受け入れた先にある静かな肯定感が漂う。
The Smiths的な抒情性とアメリカーナの陰影が交差する楽曲。
7. Heaven
広がるギター・リバーブと重なるシンセが、空間性の高いサウンドを生む、ドリームポップ色の強いナンバー。
“天国”という抽象的な言葉を使いながら、そこに行きたいのか、誰かがそこにいるのかを曖昧に語る点が詩的で美しい。
音の漂白性と詩の浮遊感がぴったり合致した曲。
8. Breaking Away
力強いビートと前向きなメッセージが込められたロック・チューン。
“離脱する”というテーマは、過去や自己との決別、新たな始まりを予感させる。
『Ricochet Days』収録の同名曲とは別曲で、90年代的ロックへの適応を象徴する構成。
9. Pillow Lips
タイトル曲にして、本作を象徴するセンチメンタル・バラード。
“枕の唇”という比喩は、親密な言葉、夜の会話、記憶の断片といった複数の意味を孕んでいる。
ヴォーカルは囁くように静かで、聴き手を私的空間へと招き入れるような魅力に満ちている。
総評
『Pillow Lips』は、Modern Englishが90年代初頭の音楽的地殻変動に対応しながら、自らの詩的・叙情的スタイルを再確認した“成熟と再生”のアルバムである。
再録された「I Melt with You」に代表されるように、過去を抱えながらも、
ここではむしろ日常の感情に寄り添う親密な視線と、“言葉にならない感情”を音楽で語ろうとする誠実な姿勢が感じられる。
派手な進化や革新ではない。
だがこれは、時代のなかで静かに生き延びるポップのあり方を証明した一枚であり、
Modern Englishというバンドの音楽的誠実さと、詩を愛する感性が息づく作品として再評価されるべきだろう。
おすすめアルバム(5枚)
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The Church – Gold Afternoon Fix (1990)
90年代的なドリームポップ/オルタナ感覚と内省性の融合。 -
The Ocean Blue – Cerulean (1991)
瑞々しく叙情的なサウンドが『Pillow Lips』と強く共鳴。 -
The Sundays – Reading, Writing and Arithmetic (1990)
静かな歌と日常詩的な視点。感情の粒を繊細にすくいあげる美学。 -
Camper Van Beethoven – Key Lime Pie (1989)
アメリカーナ的ロックとポストパンクの間を行き来する文学性。 -
Prefab Sprout – Jordan: The Comeback (1990)
知的かつロマンティックなポップ表現。詩情とサウンドの洗練が共通。
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