
発売日: 2012年3月19日
ジャンル: インディーロック、オルタナティブロック、パンクポップ
概要
『Oh No It’s… The Wonder Stuff』は、イギリスのインディーロックバンドThe Wonder Stuffが2012年に発表した8枚目のスタジオ・アルバムであり、バンドのアイロニカルな精神と衰えぬ衝動をユーモアたっぷりに復活させた快作である。
タイトルにある「Oh No It’s…」は、まるで旧友に再会した際の気まずい笑いのように、バンドの自己認識と自虐的な姿勢を示すものであり、同時に「俺たちはまだ終わっていない」という強い再宣言でもある。
1980年代後半から90年代初頭にかけてのUKインディーシーンの中心を走っていた彼らが、21世紀の新しい現実に対してどう応答するのか——その答えがここにある。
音楽的には原点回帰とも言えるストレートなギターロックが中心で、1曲あたりの尺も短め。
初期のパンク的エネルギーとポップセンスが再び前面に押し出されており、余計な装飾のない“曲で勝負する”潔さが感じられる。
その一方で、成熟した言葉選びと皮肉の鋭さは円熟味を増しており、単なる懐古ではない“老いてなお現役”のロックを提示している。
全曲レビュー
1. Clear Through the Years
アルバムの幕開けを飾るパワフルなナンバー。
時間の経過と透明化された自分自身をテーマにしており、直線的なギターと軽妙なボーカルが疾走感を生む。
過去と現在の交差点を射抜くような楽曲。
2. Friendly Company
再録バージョンであり、前作よりもシャープなバンドサウンドが際立つ。
“友好的な仲間”という言葉が、温もりか皮肉か判断がつかない多義性をもつ。
3. Oh No!
タイトルにもなったフレーズがリフレインする、パンクのようなスピード感を持ったナンバー。
何かが始まる予感と、もう手遅れな現実の狭間で“お手上げ”の叫びを軽快に放つ。
4. Arms Wide Open
希望と懐疑が入り混じるメロディックなトラック。
「腕を広げる」という行為が、愛情にも、降参にも、受容にも感じられる二面性が印象的。
5. Steady As You Go
テンポを落としたバラード調の一曲。
“焦らず行こう”という言葉が、そのまま中年期のバンドとしての姿勢を象徴している。
歌詞の柔らかさとサウンドの落ち着きが心地よい。
6. Hide the Knives
不穏なタイトル通り、抑圧された怒りと攻撃性を皮肉で包み込んだ楽曲。
「ナイフを隠せ」は比喩として、人間関係の“表向きの平和”を描いている。
7. Best Worst Year
「最悪の中の最高の年」と題されたこの曲は、感情の揺れと曖昧さを詩的に綴る。
どこかレトロなポップの香りが漂うが、歌詞はリアルで切実。
8. Be Thy Name
宗教的なフレーズを借りたタイトルが示すように、信仰や自己の在り方についての内省が込められた曲。
サウンドは非常にミニマルだが、言葉の重みが響く。
9. Yer Man
かつてのアナーキーなエネルギーを思い出させるロックナンバー。
反復するフレーズとリズムの疾走感が、ライブでの盛り上がりを予感させる。
10. Concrete
タイトル通り、硬質で無機質な感覚をもたらす楽曲。
都市生活、無感情な社会、人間疎外といったテーマを短く鋭く切り取る。
11. From the Midlands with Love
“地元から愛を込めて”というローカルかつユーモラスなタイトルが光る。
自己紹介と決意表明を兼ねたような曲で、The Wonder Stuffの地元誇りがにじみ出ている。
総評
『Oh No It’s… The Wonder Stuff』は、バンドの第三の章とも言える時期に発表された作品であり、“かつての名声”にすがらず、“今”の感情と衝動に忠実であろうとした強い意志が詰まったアルバムである。
そのサウンドは一見するとシンプルで荒削りに思えるかもしれないが、実際には緻密な感情のバランスと、長年培ってきたバンドとしての呼吸が息づいている。
Miles Huntの歌詞は、以前のように鋭く、しかし円熟の影を伴っており、聴く者に「昔と違うけど、今もこれで良い」と思わせる不思議な安心感をもたらす。
そして何よりこの作品は、“生き残った者の音楽”である。
シーンが変わろうと、トレンドが過ぎ去ろうと、The Wonder Stuffは自分たちのやり方で音を鳴らし続けている。
それが彼らの矜持であり、このアルバムの最大の魅力なのだ。
おすすめアルバム
- The Wildhearts / Chutzpah!
再結成後の痛快なロック。パンク精神とメロディの共存が似ている。 - The Wedding Present / Valentina
中年期のインディーロックが持つ熱量とアイロニーの好例。 - Shed Seven / Instant Pleasures
ブリットポップ再評価の流れとともに制作された“いま”のロック。 - Ash / Kablammo!
ノスタルジーと現役感の絶妙なバランス。 - Terrorvision / Super Delux
90年代UKロックの再興と痛快なローカル・スピリットを共有。
歌詞の深読みと文化的背景
本作の歌詞には、2010年代初頭のイギリスにおける文化的疲弊と、個人の再定義をめぐる葛藤がにじんでいる。
Miles Huntは、20代のように世界を変えようとはしない。
だが、世界に向けて“俺はいまもここにいる”と叫び続ける。
「Concrete」では都市の無機質さを、「Best Worst Year」では感情の曖昧さを、「Friendly Company」では人間関係の諦念と愛情を、それぞれわかりやすい言葉と旋律で描いている。
それは大声ではなく、小さな声で語る抵抗である。
「Oh No」とは、自嘲であり、再登場の合図でもある。
The Wonder Stuffは、すでに“英雄”ではない。だが、“必要とされる声”として、いまなお有効であり続けているのだ。
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