Motion Sickness by Phoebe Bridgers(2017)楽曲解説

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1. 歌詞の概要

「Motion Sickness」は、アメリカのシンガーソングライター、フィービー・ブリジャーズ(Phoebe Bridgersのデビューアルバム『Stranger in the Alps』(2017年)からのシングルであり、彼女の名を一躍シーンに知らしめた代表曲のひとつです。

この曲のタイトル「Motion Sickness(乗り物酔い)」は、身体的な現象であると同時に、恋愛や人間関係によって引き起こされる情緒不安定さや精神的な混乱のメタファーとして用いられています。ブリジャーズはこの楽曲を通して、かつての恋人との関係を静かに、しかし鋭く見つめ直しながら、感情の“酔い”に苦しむ自分を描いています。

その語り口は決して激情的ではなく、皮肉とユーモア、淡い哀しみと冷静さが同居した“距離感のある怒り”を特徴としており、彼女独自の文体が光る秀逸なリリックに仕上がっています。

2. 歌詞のバックグラウンド

「Motion Sickness」は、フィービー・ブリジャーズと関係があったとされるアーティスト、ライアン・アダムス(Ryan Adams)との経験にインスパイアされて書かれた楽曲であると言われています。アダムスは彼女の初期のキャリアにおいてメンター的な存在であり、彼のレーベルPAX AMから最初のEPをリリースしました。しかしその後、二人の関係は公私ともに崩壊し、ブリジャーズは2019年にアダムスからの精神的・感情的な虐待を公に告発しています。

「Motion Sickness」はその前段階として、すでに壊れた関係とその余韻に対する“皮肉を込めた内省”を見事に描き出しています。音楽的には、明るく軽快なミドルテンポのギターポップでありながら、歌詞のトーンは深い痛みを含んでおり、明るいメロディと暗いテーマの対比がこの楽曲の核心的な魅力となっています。

3. 歌詞の抜粋と和訳

以下に、「Motion Sickness」の印象的な歌詞の一部を抜粋し、日本語訳を併記します。引用元:Genius Lyrics

“I hate you for what you did / And I miss you like a little kid”
あなたがしたことが大嫌い/でも子どもみたいにあなたが恋しい

“You said when you met me you were bored / And you, you were in a band when I was born”
私と出会ったとき、あなたは退屈してたって言った/私が生まれたとき、あなたはすでにバンドにいたのね

“I have emotional motion sickness / Somebody roll the windows down”
感情的な乗り物酔いを起こしてるの/誰か窓を開けてくれない?

“There are no words in the English language / I could scream to drown you out”
英語にはないのよ/あなたをかき消すほど叫べる言葉なんて

“I’ll be glad that I made it out / And sorry that it all went down like it did”
無事に抜け出せたことには感謝する/でも、こんな終わり方になったのはやっぱり悲しい

4. 歌詞の考察

「Motion Sickness」は、自己防衛の皮肉、未練の残る怒り、そして自己回復への静かな歩みを描いた、極めて個人的かつ普遍的な“別れの歌”です。

冒頭の「あなたがしたことが嫌い。でも、あなたが恋しい」というラインは、加害と愛情が入り混じった複雑な関係性の矛盾を端的に示しています。過去のトラウマから完全に逃れられない自分への苛立ちも含まれており、それが「emotional motion sickness(感情的な乗り物酔い)」という比喩に繋がっています。直線的に立ち直ることができない、心のぐらつきを“乗り物酔い”という身体感覚で表現するブリジャーズの比喩力は見事です。

また、「英語にはあなたをかき消す言葉がない」と歌う場面では、言語で処理しきれない感情の存在が強調され、理性と言語の限界すらも露呈しています。この“抑制された怒り”と“どうにもならない悲しみ”の同居こそが、この曲を単なる別れ歌や復讐ソングの枠に収めない、詩的で人間的な深みを与えているのです。

音楽的には、ややアップテンポなギターとリズムが、感情の渦とは裏腹に明るさを持っており、「明るい音に暗い言葉を乗せる」ことで、聴き手に残る感情的余韻を深めています。これはブリジャーズの音楽にしばしば見られる手法であり、彼女が“サッドソングの現代的名手”と呼ばれる所以でもあります。

5. この曲が好きな人におすすめの曲

  • “Your Best American Girl” by Mitski
    文化的・感情的なアイデンティティのズレと恋愛の痛みを詩的に描いた名曲。
  • I Know the End” by Phoebe Bridgers
    感情の抑制から爆発までを描く、アルバム『Punisher』の壮大なラストトラック。
  • “Motion Picture Soundtrack” by Radiohead
    別れと自己崩壊の瞬間を幻想的に描いた、感情の断片化を思わせる作品。
  • “Funeral” by Phoebe Bridgers
    喪失感と自己否定を深く内省的に描いた、ブリジャーズ屈指の痛切なバラード。
  • Slow Burn” by Kacey Musgraves
    人生のペースと自己受容をゆったりと描いた、感情的に成熟したカントリー・ポップ。

6. フィービー・ブリジャーズと“悲しみのことば”:傷を抱えたまま語る強さ

「Motion Sickness」は、Phoebe Bridgersというアーティストの原点にして、彼女が“傷ついたまま語る力”を持つことを証明した曲です。この曲は彼女自身の体験に基づきながらも、聴き手それぞれの“別れ”や“理不尽な関係”に重ねることができる普遍性を持ち、聴くたびに新しい解釈を呼び起こすような感情の奥行きを持っています。

この曲の魅力は、ただ怒りや悲しみを吐き出すのではなく、言葉とメロディのバランスの中で、それをじっくりと見つめ直し、自分自身を再構築するプロセスを描いている点にあります。フィービー・ブリジャーズは、“叫び”ではなく“ささやき”によって、誰よりも強く感情を響かせる稀有なソングライターです。

「Motion Sickness」は、彼女の音楽の美学を最もよく体現した一曲であり、傷ついたすべての人に贈られる、最も静かで痛烈なラブソングのひとつです。

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