発売日: 2010年9月27日
ジャンル: トリップホップ、エレクトロニカ、ワールドビート、アーバン・ソウル
概要
『Mixed Race』は、Trickyが2010年に発表した8作目のスタジオ・アルバムであり、彼自身のルーツ、アイデンティティ、そして多文化性をテーマに掲げた作品である。
アルバムタイトルの「Mixed Race（混血）」は、Trickyの生い立ちを直接的に示すだけでなく、音楽的にも文化的にも“境界を越えた存在”としての自覚と誇りを内包している。
本作は、フランス・パリを拠点に制作され、ヨーロッパ、アラブ、アフリカ、ジャマイカなど、多様な地域の音楽要素をコンパクトに融合させた意欲作である。
過去作のようなノイズ性やドロッとした暗さは抑えられ、代わりによりシャープで明快、グルーヴに富んだトラック群が並ぶ。
Tricky自身も「最も完成度の高いアルバム」と語っており、自己再定義のアルバムであると同時に、新しい一歩を踏み出すための宣言でもある。
全曲レビュー
1. Every Day
アルバムの幕開けを飾る、アコースティック・ギターとシンプルなビートの温かみある楽曲。
日々の生活とそこに潜む静かな孤独を、柔らかな語り口で描く。
2. Kingston Logic
ジャマイカのダンスホールとエレクトロが融合した実験的トラック。
「キングストンの論理」は、音楽と政治、暴力と生の狭間にある“サバイバルの知恵”を象徴している。
3. Early Bird
フランス語のヴォーカルがフィーチャーされた軽快で都会的なトラック。
早起きの鳥というモチーフを使って、“先手を取る者の苦悩と優位性”を語る。
4. Ghetto Stars
Trickyの囁くようなラップと女性ヴォーカルが交差する、トリップホップ色の強い一曲。
「ゲットーのスター」というアイロニカルなタイトルが、社会的格差と幻想のコントラストを示す。
5. Hakim
中東音楽を思わせる旋律とリズムが印象的なワールド・トラック。
“Hakim”という名の存在を通して、異文化への共感と距離感を描き出す。
6. Come to Me
フランス人女性ヴォーカリストFranky Rileyとのデュエット。
官能的な呼びかけと、それに応えるTrickyの呟きが織りなす濃密な空気感が魅力。
7. Murder Weapon
本作のリードシングルであり、Jah Stitchによるレゲエのクラシックをカバー。
跳ねるビートと中毒性のあるフックが印象的で、アルバム中もっとも“攻めた”ポップ・ナンバー。
武器と暴力をメタファーに、音楽の力を問う一曲。
8. Time to Dance
エレクトロ×ダブステップ的アプローチで、文字通り“踊るべき瞬間”を切り取ったトラック。
しかしその裏にはどこか焦燥感が漂い、“踊り”は現実逃避であることが示唆される。
9. Really Real
Trickyの真骨頂である“現実と虚構の境界”をテーマにした内省的な楽曲。
“本当のリアル”とは何かという問いが、静かにリスナーに突きつけられる。
総評
『Mixed Race』は、Trickyが音楽的にも社会的にも“中間にいる者”としての立場を受け入れ、それを積極的に表現した重要作である。
この作品では、ダブ、ジャズ、アラブ音楽、ヒップホップ、エレクトロニカなど、複数の文化圏が交差し、短くも強いメッセージ性を持った楽曲が次々と展開される。
全体的にテンポも良く、トラックごとのアイディアも明確でありながら、Tricky特有の陰影や多層性はしっかりと保たれている。
また、彼の音楽が“内なる混沌の吐露”から、“外に向けた文化的な問いかけ”へと少しずつシフトしてきたことを感じさせる。
『Knowle West Boy』と並ぶ、“新たなTricky”の象徴的フェーズであり、より広範なリスナーにアプローチするための踏み台となった作品でもある。
おすすめアルバム
- Massive Attack / Blue Lines
トリップホップのルーツを辿る上で必聴の文化混成的名盤。 - Nitin Sawhney / Beyond Skin
アイデンティティ、混血、移民といったテーマを音楽で昇華した傑作。 - M.I.A. / Arular
多文化的背景を武器に、ジャンルを越境するスタイルが共通する。 - DJ Shadow / The Private Press
多層的なサンプリングと文化的視点が近い感覚を持つ作品。 - Gaudi / Bass, Sweat & Tears
ワールドビートとダブの融合を探る上で注目すべきクロスオーバー作品。
歌詞の深読みと文化的背景
『Mixed Race』の歌詞は、Trickyのこれまでの作品と比べてより抽象性を減らし、直接的なメッセージやイメージの断片が増えている。
「Murder Weapon」では暴力というテーマが、「Ghetto Stars」では社会的な階級と幻想が、「Really Real」では存在論的なリアリティの探求が語られている。
また、アルバム全体にはTricky自身の出自――ジャマイカ系イギリス人としてのアイデンティティ、都市の移民文化、白と黒の狭間にある者の感覚が織り込まれており、
それは2010年代初頭のヨーロッパにおける“多文化主義”の問い直しとも響き合う。
『Mixed Race』は、“どこにも属さない者”の視点から、“すべてを混ぜ合わせること”の意味と美しさ、そしてそこに潜む矛盾を描いた、Tricky流のワールド・ミュージック宣言である。
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