発売日: 2010年9月6日
ジャンル: ドリームポップ、ネオアコースティック、サイケデリック・フォーク、室内楽ポップ
『Minotaur』は、The Clienteleが2010年に発表した8曲入りのミニアルバムであり、前作『Bonfires on the Heath』の内省的で秋のような世界観を引き継ぎながら、
より実験的かつ幻想文学的な色彩を帯びた、“夢と神話の狭間”にある作品である。
EPという短い形式のなかに、彼らの音楽性の深さと物語性が凝縮されており、静けさの中に不穏さや謎が差し込む、まるで短編小説集のような1枚となっている。
タイトル曲「Minotaur（ミノタウロス）」は、ギリシャ神話に登場する迷宮の怪物を題材にしており、
このアルバム全体にも“迷い込んだ夢”“逃れられない記憶”“時間のループ”といったモチーフが通底している。
一聴すると美しく穏やかな音楽だが、その奥にはどこか神経質なノイズや断片化された時間感覚が潜んでおり、
The Clienteleが“現実の隙間”に棲む音楽家であることをあらためて印象づける。
全曲レビュー
1. Minotaur
タイトル曲にして、本作の世界観を象徴する一曲。
軽やかなギターと囁くような歌声の背後に、迷宮と神話の影が漂う。
歌詞には現実と幻想、日常と神話の交錯があり、メロディはどこまでも曖昧で夢のよう。
2. Jerry
やや60年代的なコード感を持つ、軽快でポップな印象の楽曲。
しかし“Jerry”という人物像がどこか不在感を漂わせ、詩的な寂しさが曲全体を包み込む。
夕暮れに聴きたい1曲。
3. As the World Rises and Falls
日常の出来事がゆっくりと過ぎていく中、感情が静かに波打つようなミドルテンポのナンバー。
チェンバリンの柔らかい音が、サイケフォーク的な質感を加えている。
4. No. 33
数字のタイトルが示す通り、場所や部屋を思わせる曲。
記憶の断片を巡るような歌詞が、閉じた空間に揺れる感情を描写する。
少しザラついたギターが印象的で、アルバム中もっとも実験的な一曲。
5. The Green Man
イギリスの民間伝承に登場する“森の守護者”を題材にした、神秘的なバラード。
自然と人間の境界、内なる自然への回帰というテーマが、幻想的なサウンドで表現されている。
アコースティックな響きが美しい。
6. Nothing Here Is What It Seems
“何も見かけ通りじゃない”というタイトル通り、真実と虚構の曖昧さを描く。
サウンドは淡く、しかしメロディにはわずかな不協和やズレが忍ばされており、心理的な違和感を巧みに作り出している。
7. One Hundred Leaves
秋の終わり、落ち葉とともに過ぎ去る時間を詩的に描いた小品。
まるでスナップ写真のように、何気ない情景が音として切り取られている。
The Clienteleの季節感覚が端的に表れた佳曲。
8. Greys and Blues
終曲はまるで夢から覚める瞬間のように、淡く儚いトーンで閉じていく。
タイトルが示す通り、色のグラデーションが感情の微細な変化を象徴しており、
まさに“夜が明ける直前”のような静謐な締めくくりである。
総評
『Minotaur』は、The Clienteleが積み上げてきたサウンド美学をミニマルな形で凝縮しつつ、
神話、詩、夢、記憶といった“言葉にならない感覚”を音楽として描き出すことに成功した作品である。
このミニアルバムは、どの曲も短く、構成もシンプルである。
だがその短さこそが、まるで夢の一場面のようなはかなさや、
思い出した途端に消えてしまう記憶の儚さと響き合っており、The Clienteleの本質をより深く照らし出している。
本作を聴いていると、彼らが単なる“ネオアコ”や“ドリームポップ”では語りきれない存在であることがわかる。
彼らの音楽は常に、“聞こえないもの”に耳をすます営みであり、
『Minotaur』はその試みの中でも、最も静かで、最も詩的な一歩なのだ。
おすすめアルバム
- Midlake / The Trials of Van Occupanther
自然と神話、郷愁を内包するサイケ・フォークの傑作。 - Espers / II
英国フォークの神秘性を引き継ぐ現代バンド。『The Green Man』と共鳴。 - Sufjan Stevens / Seven Swans
宗教的・神話的なイメージと、繊細な室内楽ポップが交差する静謐な作品。 - Jim O’Rourke / Eureka
ドリーミーでアンニュイな小品が並ぶ、室内的サイケ・ポップの名作。 -
Erlend Øye / Unrest
都市的で内向的なポップ・ソング群。短編映画のような構成に共通点。
歌詞の深読みと文化的背景
『Minotaur』では、神話と記憶という二つの時間軸が交差する。
特にタイトル曲では、ギリシャ神話の迷宮と現代の内面世界が重ねられ、
“逃れられない感情”や“自分自身との対話”が迷路的に展開される。
『The Green Man』や『One Hundred Leaves』といった曲では、ブリテン島の自然崇拝的イメージが背景にあり、
それらは70年代英フォークやケルト文化の再文脈化としても読み取れる。
また、“失われたもの”“姿を変えて現れる記憶”という主題は、ロンドン郊外の憂鬱や夢の中の風景と共鳴し、
The Clienteleが一貫して取り組んできた“時間の詩学”を、より象徴的なかたちで提示している。
短いながらも深く、曖昧でありながら鮮やかな本作は、
まさに「音で綴る夢の迷宮」なのである。
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