アルバムレビュー：Miley Cyrus & Her Dead Petz by マイリー・サイラス（Miley Cyrus）

発売日: 2015年8月30日
ジャンル: サイケデリック・ポップ、エクスペリメンタル、ドリームポップ

概要
全曲レビュー（主要曲抜粋）
総評
おすすめアルバム
制作の裏側

概要

『Miley Cyrus & Her Dead Petz』は、マイリー・サイラスが2015年に突如として無料配信で発表した、
最も異端で、最も自由なアルバムである。

この作品は、前作『Bangerz』（2013）の商業的成功とメディアの騒動を経て、
マイリーが「自分の内側にある感情を、誰にも制約されずに表現したい」として制作した完全セルフ・アートプロジェクト。
レーベル契約を一時的に離れ、SoundCloudで無料リリースされたという点も象徴的だ。

プロデュースには、ザ・フレーミング・リップス（The Flaming Lips）のウェイン・コインとスティーヴン・ドロズ、
そしてオーディオ・エクスペリメンタルな才能を持つマイク・ウィル・メイド・イットが参加。
その結果、本作はエレクトロニカ、ドリームポップ、アンビエント、サイケデリック・ロックが混ざり合う、
まるで“現代のビートルズ『Sgt. Pepper’s』が夢の中で再生されたような”幻惑的サウンドに仕上がった。

全23曲、70分超という長大な構成。
商業的ヒットをまったく狙わず、喪失・愛・死・性・宇宙といったテーマを奔放に描き出す。
それはマイリーの内面と芸術的野心が最も生々しく刻まれた“自由の実験室”なのだ。

全曲レビュー（主要曲抜粋）

1. Dooo It!

アルバムの幕開けを告げる混沌のアンセム。
ラップ、ノイズ、電子音が渦を巻く中で、マイリーが叫ぶ。

“Yeah, I smoke pot! Yeah, I love peace!”
もはや挑発を超えた自己肯定の宣言。
フレーミング・リップスのサイケデリックな質感が全開だ。

2. Karen Don’t Be Sad

穏やかなアナログシンセと浮遊感のあるコーラス。
「悲しまないで、ケレン」という歌詞は、友人やファンへの慰めでもあり、
死と再生のテーマを暗示している。
マイリーの声は囁くようで、宇宙に溶けていくようだ。

3. The Floyd Song (Sunrise)

タイトルどおり、ピンク・フロイドへのオマージュ。
広がるリバーブとゆったりしたテンポが、夢と現実の境界を漂わせる。
ここでマイリーは「歌手」ではなく「表現者」としての声を完全に確立している。

4. Something About Space Dude

宇宙を舞台にした恋愛の寓話。
音像はまるで月面の無重力空間に漂うようで、
シンセが光を散らしながら消えていく。
“宇宙の彼”とは実際の恋人でもあり、
永遠に届かない愛の比喩でもある。

5. Space Bootz

ファンクとドリームポップの融合。
宇宙を舞台に“自己愛”をテーマにした遊び心あるトラック。
「銀河の中で踊る自分」を描くマイリーの姿が、完全な自由の象徴のようだ。

6. BB Talk

アルバムの中でも最も衝撃的な曲。
赤ちゃん言葉で恋人との親密さを皮肉に語りながら、
実際は「表面的な愛にうんざりしている」というメッセージが込められている。
ポップスターの虚像への反抗をユーモラスに表現した傑作。

7. Fweaky

ラテンリズムとトリップホップ的ビートが交錯する奇妙な曲。
“変わり者でいること”を祝福する歌であり、
マイリー自身のアーティスト・ステートメントともいえる。

8. Miley Tibetan Bowlzzz

チベットのシンギングボウルを用いた音響実験曲。
ほとんど歌詞はなく、瞑想的なサウンドのみで構成されている。
この曲に象徴されるように、本作はポップミュージックの形式を超えた音響アート作品でもある。

9. Lighter

アルバム中盤の名曲。
失われた愛を静かに見送る、透明感のあるバラード。
“あなたはまだ私の中で光ってる”というフレーズが美しい。
死と喪失をテーマにした本作の中心的楽曲。

10. Tangerine（feat. Big Sean）

軽やかなグルーヴに乗せて、色彩的な恋愛を描く。
オレンジ（タンジェリン）の比喩が快楽と儚さを象徴している。
Big Seanのラップがサイケデリックな世界観に異物的に混ざるのも魅力。

11. Twinkle Song

アルバムのラストを飾る感動的なピアノ・バラード。
亡くなったペットに捧げられた曲であり、
「あなたのことを思い出すたびに、私はまだここで輝いてる」と歌う。
涙なしには聴けない、マイリーの心の原風景のような楽曲である。

総評

『Miley Cyrus & Her Dead Petz』は、マイリー・サイラスのキャリアの中でもっとも“理解されにくく、しかしもっとも正直な”作品である。

ポップ・スターとしての期待をすべて裏切り、
レーベルの指示もマーケティングも排除して作られたこのアルバムは、
自己表現そのものが目的となったアート・プロジェクトだった。

サウンド面では、The Flaming Lipsの実験的音響が大きく作用しており、
構成やテンポよりも感覚と感情の流れを優先している。
トラックの多くは夢の断片のように繋がり、
現実と幻想、愛と喪失、肉体と精神が溶け合う。

歌詞面では、ペットの死や人間関係の崩壊、
孤独、そして“自己の再生”が描かれる。
特に「Lighter」や「Twinkle Song」における静けさは、
『Bangerz』の挑発的イメージの裏に隠れていた繊細な人間性を露わにしている。

批評家からの評価は賛否両論だった。
だが、ビリー・アイリッシュやFKA twigsなど、
後の“ポップと実験の融合”を進めたアーティストたちにとって、
このアルバムは時代を先取った前衛的布石だったとも言える。

商業主義の外側で音楽を作ることの意味。
その問いにマイリーは、このアルバムで真正面から挑んだ。
そして答えはシンプルだ――
「私は誰のためでもない。私は私のために歌う」。

制作の裏側

制作は、ほとんどがマイリーの自宅スタジオおよびフレーミング・リップスのスタジオで行われた。
予算もスケジュールもなく、仲間同士のジャムや即興セッションが中心。
録音の多くはワンテイクで、後から編集せずにそのまま収録された。

この“無秩序な制作環境”が、結果的に感情のリアルな揺らぎを捉えることになった。
タイトルの「Her Dead Petz（彼女の死んだペットたち）」は、
実際にマイリーが過去に失った愛する動物たちに由来している。
彼女はこの作品を「悲しみを癒す儀式」として捧げたと語っている。

『Miley Cyrus & Her Dead Petz』は、
マイリー・サイラスが商業的成功の鎖を断ち切り、アートの領域へ飛び込んだ最初の作品であり、
彼女のキャリアにおける“異端の傑作”として、今も静かに再評価され続けている。