発売日: 2008年2月5日
ジャンル: インディー・ロック、パワー・ポップ、オルタナティヴ・ロック
概要
『Lucky』は、ニューヨークを拠点に活動するインディー・ロックバンドNada Surfが2008年に発表した5作目のスタジオ・アルバムであり、前作『The Weight Is a Gift』で築いた円熟した音楽性をさらにスケールアップさせた作品である。
「Lucky(運がいい)」というタイトルが示す通り、本作には不安や喪失よりも、“ささやかな祝福”や“生きていることの尊さ”を受け入れる柔らかさが滲んでいる。
それは決して楽観主義ではなく、現実の痛みを知ったうえで、なお“肯定する”ことへの決意である。
プロデュースは引き続きJohn Goodmansonが担当し、サウンドには温かみと艶やかさが増した。
また、Ben Gibbard(Death Cab for Cutie)、Ed Harcourt、Juliana Hatfieldなど、同時代のインディー・シーンを代表するアーティストたちがゲスト参加しており、Nada Surfが確かな信頼と共鳴を得ていたことがうかがえる。
このアルバムは、キャリアの中間点にあたる時期に生まれた“成熟と充足の音”であり、何気ない日常や小さな感情を愛おしくすくい上げる、まさに“ラッキー”な一枚である。
全曲レビュー
1. See These Bones
アルバムを象徴するスケール感のあるバラード。
「これが僕の骨だ、覚えていてくれ」というフレーズが、生と死、存在証明を静かに語る。
ストリングスの導入が美しい。
2. Whose Authority
疾走感のあるギターポップ。
「誰の権威のもとに僕は生きてる?」という問いが、10代のような焦燥と大人の諦観を重ねる。
3. Beautiful Beat
本作を代表するアンセム。
「僕の鼓動はまだ続いてる」というラインが、音楽と生の共鳴を祝福するように響く。
4. Here Goes Something
フォーキーで温かなメロディが特徴。
一歩踏み出す勇気と、その先にある不確かさを慈しむ視点が感じられる。
5. Weightless
タイトル通りの軽やかさと透明感に満ちた一曲。
愛や過去から解き放たれる瞬間の歓びを、開放的なサウンドで描く。
6. Are You Lightning?
スローでロマンチックなラブソング。
雷という比喩が示すのは、突発的で予測不能な感情の訪れ。
リバーブを効かせたギターがドリーミーな質感を添える。
7. I Like What You Say
もともとは映画『Disturbia』のサントラに収録された楽曲の再録。
シンプルな構成と繰り返しのフレーズが、心に残る。
8. From Now On
過去からの解放と未来への誓いを歌う、しっとりとしたナンバー。
アルバム後半の静かなハイライト。
9. Ice on the Wing
“翼の上の氷”という詩的で抽象的なタイトルが示すように、不安定な幸福、あるいは壊れやすい関係を描く。
10. The Fox
寓話的なタイトルに反して、内容は極めてパーソナル。
自分の弱さや臆病さを“キツネ”に仮託したようなナンバー。
11. The Film Did Not Go ‘Round
ノスタルジーに満ちた終曲。
人生の中で“撮れなかったフィルム”=失われた瞬間への愛惜が、ピアノとストリングスで美しく彩られる。

総評
『Lucky』は、Nada Surfが「痛みを受け入れた後にやってくる穏やかな肯定」を、誠実な言葉と丁寧な演奏で描いたアルバムである。
過去作のような切実な悲しみや焦燥は後景に退き、ここには“見えないけれど確かにそこにある幸福”を見つめる視線がある。
Matthew Cawsのヴォーカルはより穏やかに、包み込むような温度を帯びている。
ギター、ドラム、ベース、ストリングスのバランスも見事で、各楽曲に無理がなく、自然と心に染み込む構成となっている。
また、本作においては“言葉そのもの”の力が際立っている。
シンプルで、詩的で、余白がある。
だからこそ、リスナーは自分自身の経験や感情を投影できるのだ。
『Lucky』は、派手な変化を見せる作品ではない。
だが、だからこそ何度も聴ける。
日々の生活のなかでふと戻りたくなる、“優しさの原点”のようなアルバムである。
おすすめアルバム(5枚)
- Death Cab for Cutie / Narrow Stairs
孤独と希望のはざまを描く、同時期の名作。サウンドの親和性も高い。 - Josh Rouse / 1972
温かくスムースなメロディで日常を描くアメリカン・インディーの傑作。 - The Weepies / Say I Am You
柔らかくも深い男女デュオのフォーク・ポップ。静かな感情の揺れが共通。 - Travis / Ode to J. Smith
叙情的で力強いブリティッシュ・ロック。『Lucky』のしなやかな感触と重なる。 - The Shins / Wincing the Night Away
ドリーミーで繊細なメロディを持つインディー・ポップ。精神性の高さが共通項。
制作の裏側(Behind the Scenes)
『Lucky』は、Nada SurfがBarsuk Recordsからリリースした3作目のアルバムであり、インディーシーンの信頼を勝ち得たバンドとして、より自由に音楽的挑戦を行えた作品でもある。
レコーディングはワシントン州とニューヨークで行われ、ゲストミュージシャンの起用により、多層的なサウンドが実現された。
プロデューサーのJohn Goodmansonは、バンドの“手触り”を失うことなく、音場を丁寧に整理することに成功している。
また、本作のリリースに合わせて行われたツアーでは、静と動の緩急が生きたパフォーマンスが高く評価され、ライブバンドとしての信頼性も一層深まった。
『Lucky』は、キャリアの節目に訪れた小さな到達点。
それは“満たされた音”ではなく、“満たされないことを肯定する音楽”だったのだ。
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