1. 歌詞の概要
「Lips Like Sugar」は1987年、Echo & the Bunnymenのセルフタイトル・アルバム『Echo & the Bunnymen』に収録された楽曲である。彼らのキャリアにおいては、耽美的で神秘的なイメージを帯びてきた作品群の中でも、特にポップな輝きを持った一曲として知られている。タイトルが示す「砂糖のような唇」という比喩は、甘美でありながら一抹の中毒性や危うさを伴う。歌詞全体は、抗いがたい魅力を持つ女性への憧れと畏怖、その引力に飲み込まれる感覚を描いている。
この楽曲は従来のポストパンク的な冷たさや抽象性よりも、ラブソング的な分かりやすさが強調されている。しかし、単純な恋愛の讃歌というよりも、幻想的で夢うつつなイメージが随所にちりばめられており、現実の愛と幻影の境界が曖昧になっていくような感覚を与える。つまり「Lips Like Sugar」は、甘美さと不確かさの狭間で揺れる愛の寓話として解釈できるのだ。
2. 歌詞のバックグラウンド
1987年当時のEcho & the Bunnymenは、すでにイギリスのポストパンク／ネオサイケ・シーンを代表するバンドとして確固たる地位を築いていた。『Crocodiles』（1980）、『Heaven Up Here』（1981）、『Porcupine』（1983）、『Ocean Rain』（1984）と続いた一連のアルバムは、内省的で陰鬱、そして叙情的な世界観でファンを魅了してきた。中でも『Ocean Rain』は芸術的完成度の高さで称賛を浴び、「The Killing Moon」などはバンドの象徴的存在となった。
しかし、『Echo & the Bunnymen』（1987）は、より大衆的な音楽市場への接近を意識した作品でもあった。80年代半ばから隆盛を極めていたシンセポップやニューウェーブに対抗するように、彼らはダークな叙情性を保ちつつも、よりキャッチーでポップな楽曲を打ち出した。「Lips Like Sugar」はその最たる例であり、シングルとしてリリースされた際にはアメリカ市場で特に注目を集めた。MTVのヘヴィローテーションに乗り、バンドにとって初めて本格的に「全米ロック層」にアプローチした楽曲でもあったのだ。
イアン・マッカロクはしばしばインタビューで、自らの歌詞の曖昧さについて「完全に理解される必要はない」と語っている。彼にとって重要なのは、意味の解釈よりも言葉の響きやイメージが持つ力だった。「Lips Like Sugar」というフレーズも、その甘美な音の響きと、単純にして強烈な視覚的イメージによって成立している。
3. 歌詞の抜粋と和訳
引用元：Genius
“She floats like a swan, grace on the water”
「彼女は白鳥のように漂い、水面に優雅さをまとっている」
“She calls for you tonight to share this moonlight”
「彼女は君を今夜呼び寄せ、この月明かりを分かち合おうとしている」
“Lips like sugar, sugar kisses”
「砂糖のような唇、甘い口づけ」
この繰り返されるサビのフレーズは、楽曲の甘美で夢幻的な世界観を凝縮している。「白鳥のように漂う」という比喩と「月明かりを分かち合う」というロマンティックな情景が、現実を超えた幻想の舞台を構築しているのだ。
4. 歌詞の考察
「Lips Like Sugar」は一見するとラブソングの定型的な比喩に思えるが、その奥にはEcho & the Bunnymenらしい多層的な意味が潜んでいる。
まず、「砂糖のような唇」というモチーフは、愛や欲望の快楽性を象徴すると同時に、中毒的な危うさを孕んでいる。砂糖は甘美でありながら、摂りすぎれば破滅を招く存在であるように、恋愛もまた陶酔と崩壊をはらむ。彼女の魅力は抗いがたく、主人公はその引力に飲み込まれていくが、それが現実なのか幻想なのかは明確にされない。
「白鳥」「月明かり」といったイメージは神話的であり、楽曲全体が夢の中の出来事のように描かれている。このため「Lips Like Sugar」は単なる恋愛の歌というよりも、愛の幻想性そのものを描いた楽曲として読むことができる。聴き手は甘美な口づけに魅了されながらも、その背後に潜む危うさを感じ取り、現実と夢の境界をさまようような感覚に包まれるのだ。
さらに興味深いのは、この曲がEcho & the Bunnymenの中では異例ともいえる「わかりやすさ」を備えている点である。従来の難解な歌詞世界から一歩踏み出し、シンプルなフレーズを繰り返すことで、聴衆を強烈に惹きつけることに成功した。言葉の意味を掘り下げすぎるよりも、その音の響きと感覚的な魅力に身を委ねることが、この楽曲を味わう最適な方法なのかもしれない。
（歌詞引用元：Genius Lyrics / © Original Writers）
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- The Killing Moon by Echo & the Bunnymen
より神秘的でドラマティックな恋愛の象徴を描いた彼らの代表作。 - Just Like Heaven by The Cure
甘美で幻想的な恋愛感情を捉えた、80年代ポップの名曲。 - Love Will Tear Us Apart by Joy Division
愛の苦悩を冷徹に描いたポストパンクの金字塔。対照的に聴くと深い余韻がある。 - Under the Milky Way by The Church
幻想的な夜空のイメージと愛の儚さを歌ったドリーミーな楽曲。 - In Between Days by The Cure
軽快さの中に切なさが滲む、同時代的な「ポップと内省の融合」の好例。
6. アメリカ市場とMTV時代のバンド像
「Lips Like Sugar」はEcho & the Bunnymenにとって、イギリスでのカルト的な人気を超え、アメリカ市場への扉を開いた重要な一曲だった。MTVの影響力が絶頂にあった時代、この曲のプロモーション・ビデオは頻繁にオンエアされ、バンドを「ポストパンクの異端児」から「世界的に認知されるオルタナティブ・ロックの一角」へと押し上げた。
興味深いのは、当時のバンドにとってこの曲が「商業的すぎる」と受け止められ、イアン・マッカロク自身が複雑な感情を抱いていた点である。しかし、結果的に「Lips Like Sugar」は彼らの代表曲のひとつとして愛され続けており、後年多くのアーティストにカバーされることとなった。つまり、この楽曲はEcho & the Bunnymenの芸術性とポップ性の両立を証明する存在であり、80年代の音楽史における彼らの位置を確立する役割を果たしたのである。
コメント