発売日: 1970年12月**
ジャンル: アヴァンギャルド・ロック、エクスペリメンタル・ロック、フリージャズ、現代音楽
“デカール(転写シール)を剥がせ”——構造と美学の極限で踊る、ビーフハート最鋭の知性
『Lick My Decals Off, Baby』は、1970年にリリースされたCaptain Beefheartの4作目のスタジオ・アルバムにして、
『Trout Mask Replica』に続く“難解路線”をさらに洗練・圧縮し、構造と即興を極限まで高密度にパッケージした“知的狂気の結晶”である。
タイトルの“デカール(decals)”とは、既製の装飾やアイデンティティの象徴を意味し、
それらを剥ぎ取って“裸の音楽”“裸の思考”をさらけ出せ、という意味が込められている。
音楽的にも、ポエティックにも、まさにキャプテン・ビーフハートの芸術観が最も純化された瞬間である。
録音は前作よりも明確でシャープになり、構成は短く緻密。
ほぼ全曲が3分前後に凝縮されながらも、強烈な断片と歪んだロジックが次々と襲いかかる。
このアルバムこそ、“Trout Maskの密室版”とも呼ぶべき、聴く者の感覚を削り研ぐ鋭利な刃物のような作品である。
全曲レビュー(抜粋)
1. Lick My Decals Off, Baby
変拍子ギターと緊迫したドラムの上に、言語と音の境界を揺らすヴォーカルが切り込む、緊張感あふれるオープニング。
ビーフハートの芸術宣言とも言うべきトラック。装飾はいらない、本質だけでいい。
3. Doctor Dark
変速ブルースとリズムの跳躍。
“闇のドクター”とは誰か——外ではなく、内に潜む“制御不能な衝動”の象徴のように聴こえる。
ドラムとベースの鬼気迫るアンサンブルが光る。
5. I Love You, You Big Dummy
本作中もっともファンキーでキャッチー(なようでやはり狂っている)一曲。
ビーフハートの“愛”は、常に毒と嘲笑と本気が混ざり合っている。
タイトル自体がすでに最高。
8. Woe-Is-Uh-Me-Bop
言葉遊びと音の分断、ヴォーカルがビートから滑り落ち、また這い上がるような不穏な運動が続く。
ほぼ詩と音響が喧嘩しているが、そこにこそ本作の快楽がある。
11. The Smithsonian Institute Blues (or the Big Dig)
“アメリカの死にかけた文化”への皮肉と讃美。
ブルースの形式を借りながら、化石・考古学・国民的幻想といったテーマを音で発掘する異色作。
ギターが恐竜の骨のように軋む。
総評
『Lick My Decals Off, Baby』は、Captain Beefheartが音楽というメディウムを“哲学的な構造物”として扱った、最も純粋で緻密なアルバムである。
『Trout Mask Replica』が荒れ狂う爆発だったのに対し、本作はその爆発を室内に閉じ込め、分解し、再構築した“構造としての狂気”だ。
そこにあるのは暴力ではなく、設計された異常。
暴走ではなく、意識された崩壊。
聴くたびに、意味の断片が浮かび上がり、やがてまた崩れる。
その繰り返しのなかにしか、この作品は存在し得ない。
このアルバムは、誰にでも開かれていない。
だが、一度“装飾を剥ぎ取る”覚悟をした者にとっては、音楽という表現の限界を知るための最短ルートとなる。
おすすめアルバム
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Henry Cow『Legend』
ロックと現代音楽の構造美が交差する、知的アヴァンギャルドの傑作。 -
The Residents『Not Available』
演劇性、構造主義、音響の脱構築。ビーフハート的実験精神の継承者。 -
Fred Frith『Gravity』
変拍子と異文化要素の融合によるアートロックの新地平。 -
Albert Ayler『Spiritual Unity』
フリージャズの純粋な爆発。ビーフハートの音楽と“構造外の親戚関係”。 -
Tom Waits『Franks Wild Years』
物語性と音響的解体の混交。ビーフハート以降のポップの極北。
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